Neetel Inside ニートノベル
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(三)

 暗闇の中で、揺れていると感じた。
 革製のソファは眠るには幅が狭く、バランスが悪い。体の収まりが落ち着かないことは日常茶飯事だ。だから例に従い、浅い眠りにしがみつきながら身じろぎをしていたのだが、しばらくして揺れが人為的なものであると気づいた。
 肩の辺りを掴まれ、揺すられている。
「陸人さん、陸人さん!」
 切羽詰まった声が聞こえる。
 薄く目を開けると、近くにフウリの顔があった。
「どうしたんだ。昼間のことなら謝っただろ」
 半覚醒のまま答え、掛け布団を引き寄せる。
「違います、そんなことじゃなくて。とにかく起きて部屋に来てください。ステイハムが!」
 時計に目をやると早朝五時。フウリの表情と見比べ、ようやくただ事ではないと思い至った。
 手を引かれ、二階の自室まで連れていかれる。ステイハムのケージを前にして、フウリは言った。
「ステイハムが冷たくなっているんです」
 一気に目が覚めた。
「本当に?」
「本当です。朝、目が覚めてケージを覗いたら隅で丸まっていて。最初は寝ているだけだと思っていたんですが全く動かなくて。触ってみたら冷たくなっていたんです。陸人さん、ステイハムを助けてください!」
「取りあえず、見てみるよ」
 フウリの目には涙が溜まっている。
 僕は急いでケージの蓋を開け、ステイハムの体に触れてみる。すると言う通り、生命のぬくもりが失われ、冷たくなっている。しかも、石ころのように硬くなっていた。その時点で諦めが頭を占めたが、祈るように見つめる現飼い主を前にして、簡単には口にできなかった。
 ほとんど希望がないとわかっていながら、日内休眠の可能性を疑ってみる。しかし、目を開いたまま呼吸は完全に停止して、毛並みも乱れていた。結果は明らかだった。そもそも、日内休眠に入るような室温ではないのだ。
 ステイハムは死んでいる。僕がそれを伝えると、フウリはフローリングに崩れ落ちた。
 かける言葉が見つからない。僕は声も出さずに泣いているフウリをよそに、顔を洗いに行った。中途半端な時間に二度寝するよりも、登校まで起きていたほうがいい。
 同居している女の子が悲しんでいるのは、学校を休む動機には足りる。けれど、憔悴している姿を眺めているのも辛かった。
 そうして結局、僕はいつも通りに登校し、授業を受け、帰宅して。自室の扉を開けた先に、朝方と同じ場所――ケージの前で佇む少女を見つけることになった。
 もしかして、数時間ずっと身動きをしていなかったのだろうか。時が凍ったような彼女の目元は腫れていた。
「ご飯は、食べた?」
「いえ」
「食欲がなくても、何か腹に入れといたほうがいいって。そうだ、魚肉ソーセージ持ってくる。あれくらいなら食べられるだろ」
「いりません」
 フウリは微動だにせず答えた。
 ケージにはまだ、ステイハムの亡骸が残っている。餌入れにはペレットが半分くらい盛られているが、これから減ることはない。ほんの前日まで生命活動の場として機能していたケージは、虚しい棺桶になり果てていた。
「わたしがいけなかったんです」
 絞り出された声は自責に塗れている。
「違うよ、フウリのせいじゃない。フウリの世話のし方、少なくとも僕が見る限り間違ってなかった。元々、ハムスターって長生きする生き物じゃないんだ。そいつも、うちのハムスターとしては二代目。だから落ち込むな、とは言わないけど」
「わたしが悪いんです」
「だから、違うって」
 フウリの口元が歪む。
 いまにも決壊しそうな気配を察して、僕は慌てて言い募った。
「ステイハムは庭に埋めて、墓を建ててやろう。フウリの手で埋葬してもらえるならステイハムだって喜ぶよ。そしたら、今度はペットショップに行って新しいハムスターを買ってこよう。ハムスターって毛並みの柄とか、種類がたくさんあるんだ。フウリも見てみたら、絶対に気に入ったのが見つかるよ。そうだ、次の土日にしよう。私服でなら出掛けたって構わないさ。神経質になる必要ない」
 すると、翠色の瞳が横目を向けてくる。
「最初のハムスターはどうしましたか」
「最初……?」
「陸人さんはステイハムを二代目だと言いました。一代目は死んでしまったんですよね。そのハムスターはどうしたんですか」
「あ、ああ、一代目も庭に埋めたよ。墓までは、つくらなかったけど……」
 なんとなく、やましい気持ちになる。
 埋められた動物は土に還る。分解されて草花の栄養にだってなる。そのサイクルは極めて自然だし、悪いことではないはずだ。しかし、過去の僕は、そんな高尚な理念を持って亡骸を埋めたわけではない。実のところ、今回の出来事が起こるまで、最初に飼っていたハムスターのことなど忘れていたのだ。
「そうですか」
 僕の態度から、フウリはネガティブな感情を鋭く感じ取ったのかもしれない。おざなりな返事をして瞼を伏せる。以降は、何を言っても上の空だった。
 飼い主がその調子なので一時、ステイハムの扱いについては保留になった。ペットの弔いには、業者に頼んで火葬してもらうやり方もある。ハムスターの購入価格からすれば値が張るが、こういうのは心の問題なのだろう。フウリが望むならば叶えてやってもいい。
 しかし保留といっても、ケージの中に亡骸を残しておくわけにはいかない。動物の腐敗が始まるのは存外早い。僕は放心状態のフウリに気を遣いつつ、ステイハムをジップロックに詰め、冷凍庫で保存した。
 冷凍庫の引き出しを閉める直前、魂の抜けたステイハムと目が合った。
「お前は幸せ者だよ。死んだら泣いてくれる飼い主がいるんだから。じゃあな」
 手向けの言葉とともに、僕は彼を暗闇に追いやったのだった。

       

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