Neetel Inside ニートノベル
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(四)

「部屋に来てください」
 ドライヤーを終えて洗面所を出ると、フウリが直立待機していた。
「うわ、どうしたの。風呂を出たら寝るんじゃなかったのか。廊下に立ってると風邪ひくよ」
「はい、寝るつもりです」
「そうなんだ。じゃあ、僕は居間で寝るから……」
「いいえ、部屋に来てください」
 フウリは一足先に入浴を終えてパジャマ姿だ。
 心境の変化があったのだろう、いつもの長手袋をはめていない。新鮮に目にする素手に袖を引かれ、僕は疑問符を浮かべながら着いていった。
 話を巻き戻す。
 緑地公園での一件のあと、ふたりでどうしたかといえば、徒歩で帰った。行きにはかっ飛ばした自転車だが、勾配のある道を引いていくのは控えめにも苦行で、ゆえに僕の言葉数は少なかった。
 道中、黙っていた理由はもう一つある。恥ずかしかったからだ。大仰に語った原稿用紙何枚分か。推理の披露をしたといえば聞こえはいいが、つまり僕は、長々と愛の告白をしたのだ。マンホールの蓋をこじ開けようという衝動に、幾度か駆られた。
 家に帰ってからは、なによりも先んじてステイハムを埋葬した。一つの折り畳み傘にふたりで入り、しゃがみこんで。作業中、フウリはずっと黙っていたが、こうして誘ってくるのだから吐き出したい思いがあるのかもしれない。
 歩調に合わせて揺れる後髪からは、ほのかにシャンプーの香りが漂ってくる。
「入ってください」
 階段を上り終えると、自室だというのに客の扱いで招待される。
 何か話があるのだと思った。だからベッドに腰掛けたのだが、スプリングが更に沈みこんで戸惑った。
「あれ?」
 隣を見ると、至近距離にフウリの横顔がある。「話があるんじゃ?」
 部屋での位置関係は基本的に対面だ。僕がベッドならフウリが椅子、フウリがベッドなら僕が椅子。
「わたしは寝ると言いました」
「そうなんだ。じゃあ、僕は居間で寝るから……」
 立ち上がりかけて、裾を掴んで引き戻される。出来の悪いコントみたいだ。
「ずっと、悪いとは思っていたんです。家主である陸人さんがソファで寝て、わたしがベッドで寝ている状況は不公平ですから」
「いや、そんなことは気にしなくていいって。女の子をソファで寝かせるのはマズいだろうし」
「はい、それは。ベッドは素晴らしい発明だと思います。私も使いたいです」
「だよね、うん。……うん?」
「だから、折衷案です」
 この状態こそがベストです。そう言いたげに、フウリはうなずいて訴えかけてくる。
「もしかして、一緒に寝るっていうこと?」
「はい」
 一緒に寝る。つまりふたりで同じ布団に入り、一夜を共にするということか。いわゆる同衾。
 想像が危うい色合いを帯びる前に、自制の言葉が飛び出した。
「い、いやいやいや、それはダメなんじゃない」
「どうしてですか」
「どうしてって、ええと、そういうのは、家族とか好きあってる男女だけがすることだし」
「…………」
 無言の圧力。言いたいことはわかる。抱きしめながら愛を告白しておいて、好きじゃありませんは通らない。
「いや、でもなぁ……」
 おそらく、フウリに邪な企みはないのだろう。元々キスについての知識もなかったのだし、それ以上を知っているとは思えない。提案は、文字通り一緒に寝ることなのだ。しかし、だからといって問題はある。
 僕だって木石ではない、健康な男子高校生なのだ。好きな女の子と同じ布団に押し込められれば、滾る若さを抑えきれるとは限らない。
 室温が高まるのに応じて、空調が息をひそめる。
 緊張する僕の横で、フウリが唐突に声を発した。
「エ――」
「え?」
「――ックチュン!」
 小鳥の鳴き声みたいなくしゃみだった。
 僕は枕元にあったティッシュを取って渡してやる。
「ありがとうございます」
 鼻を拭く姿を見て、なんだか気が抜けてしまった。
「はあ、わかった、僕もここで寝るよ。言い合ってるあいだに風邪をひいても馬鹿らしいし」
 先んじて布団にもぐり、枕代わりにクッションを敷く。
 照明はフウリの希望で常夜灯になった。
 普段は消灯するので落ち着かない気持ちでいると、背後で囁きが聞こえた。
「こっちを向いてください」
「え……?」
 僕は壁とお見合いする体勢をとっていた。ただでさえ明るいのに、顔を見合ったまま眠れるわけがないと判断したのだ。
 背中が熱い。
「陸人さん、こっちを向いてください」
 再び呼びかけられて、思わず振り向いてしまう。
 寝転がって反転した先に、熱源があった。
 フウリは、想定していたよりもずっと近くにいた。
 甘い匂いがする。体温が伝わる。吐息がかかる。
 あのときと同じだ。二か月前の体験が鮮明によみがえり、唇を熱くする。
 フウリは、残り数センチのところで停止した。
「わたしの名前は型番のようなものだと言いましたよね」
「……ああ」
「個体として識別するとき、陸人さんのいう“フウリ”という呼び方では、とても不自然です。区切り方が中途半端で、伝えるべき情報が伝わりませんから。元いた世界では、誰もそんなふうに呼びませんでした」
「他にしておいたほうがよかった?」
 フウリは枕の上で瞑目した。
「いいえ。おそらく、新しく名付けられたときに初めて、組織のための道具ではなく、わたしはわたし自身になることができました。陸人さんに呼ばれることで、わたしはフウリになれたんです。だから――」
 唇が触れる。接触は一瞬だった。
「――わたしは、陸人さんのものです」
 直後、再び唇を塞がれる。
 前回に比べれば、行為を克明に受け入れることができた。
 目の前にはフウリの睫毛がある。閉じた瞼の細かな動きまで観察しながら、手元にある腰を抱き寄せる。
「ん……」
 体を密着させると、フウリは喉から小声を漏らす。それが可愛らしくて、さらに強く抱きしめた。
「ぅ……ぁむ……ぁぁ……ぷぁっ」
 長いキスのあと、唇を離す。フウリの頬は薄闇でもわかるほど紅潮していた。
 その表情に、胸を締め上げられるような切なさと、下腹部の熱を同時に感じる。フウリはおそらく、いまは何をされても抵抗しないのではないか。ならば、このまま――。
 僕が、両腕に欲望を絡めようとしたときだった。
 ブーッ、ブーッと。
 フウリの腰辺りからビープ音がした。
 まるで犯罪者を吊し上げるかのような攻撃性のある音色は、絶妙のタイミングと併せて冗談みたいだった。異世界人とのセックスは禁止です。
 石化する僕の間近で、フウリは「すみません」と小声で言ってポケットを探る。
 眠るときにも手放せないらしい。取り出されたのは例の、敵の位置を知らせるという機械だ。それを、祈るような所作で額に押し当てる。ゆっくりと離したときには、僕を見つめる瞳が焦点を失っていた。
 フウリが布団を出る。そのまま操り人形じみた動きで机へ向かうと、筆記具を取り出してイメージの再現を始めた。
 僕も隣に立ち、作業を見届ける。
「駅前のモニュメント……?」
 出来上がった模様を見て、呟きが漏れた。
 右上の端にある座標らしき文字列は相変わらず解読できない。しかし、描かれたイラスト群――針を突き刺された親指、ガッツポーズする人面犬、穴だらけのアーチ、それらに紛れた一つには覚えがあった。
 鉄の棒で編まれた、ねじれた奇形の壺。地元民のあいだで待ち合わせ場所に使われがちな。
 駅周辺には土地勘がある。実際の地形と照らし合わせて考えると、思ったよりも縮尺は小さいようだ。黒点が示す位置は駅から間近というほどでもない。交通の便が悪い、寂れた工業地域だったはずだ。しかし、そんなことよりも問題は……。
「……近い」
 隣で漏らされた感想を聞いて、心臓が締め付けられる。
 黒点の位置は、僕が住む住宅街から赴くことが可能な距離だった。他のネアリオがどれくらいの間隔で配置されているのかは知らない。真っ先に死ににいくべき候補者は誰なのか。
 フウリが息を詰める気配が伝わる。回答は暗に示されてしまっていた。
 気づけば僕は、地図が描かれた紙を握りつぶしていた。ぐしゃぐしゃになった紙を丸めてゴミ箱に捨てる。
「余計なことは考えなくていいんだ。フウリは悪くない。僕と一緒にいてくれさえすればいい」
「でも――」
「大丈夫だから」
 続く言葉を遮って、きつく抱きしめる。
 胸のなかで怯える少女は、小さくて温かい。守らなければならないと思った。彼女は弱い。無機質な機械から知らされる、たった一点に翻弄されるほど脆い心を抱えている。だからこそ、僕が守ってやらなければならない。
 さっきまで昂っていたはずの獣欲は、いつの間にか霧散していた。
 その夜、僕らは互いを抱き合ったまま眠りに就いた。衣服越しにも溶けあう体温が、最後の記憶だった。

       

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