Neetel Inside ニートノベル
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(二)

 内心を明かせば、僕は諦めかけていた。フウリの消失から三日が経っても捜索を続けていたのは、惰性というほかない。
 シャワーと短い就寝以外では家に帰らず、ひたすら歩いた。イラストに描かれたオブジェを回りきってから、出会いの場所である公園にも訪れたが、茂みを覗いてもいたのは野良猫だけだった。
 行き先を失った僕は、まさにゾンビの様相だった。フウリ、フウリとうわごとのように呟きながら、無秩序に徘徊する。
 思考が霞んでまとまらないのは空腹のせいもあるだろう。公園の水道で給水はしているが、固形物を口にした覚えがない。
 自分の身に起こった出来事はすべて、夢幻だったのではないか?
 疑いが浮かぶのは一度や二度ではなかったが、否定することができた。
 動かぬ物的証拠だ。懐にはフウリの残したエルミアーがしまってある。
 過去の記憶を確かめるようにして、手に取ってみる。刀身に纏わりついた血液は乾いて固まっている。なんの気なしに、指で擦ってみた。
 茶っぽく変色した色はひび割れから粉になって落ちていく。剥がれた部分からは元の群青色が現れると思っていたが、不思議な現象が起こった。
 血の下に隠れていたのは、くすんだ鈍色だったのだ。現世界でよく見る刃物と同じ金属の光沢がある。
「なんだ? これ」
 さらに観察しようとしたとき、別の問題に気づく。
 背後から通り過ぎた中年女性が、振り向きながら驚愕の表情をしている。そして目が合うなり、慌てて小走りで去っていった。
 しまった。僕は一般の歩道で立ち止まり、刃物を眺めていたのだ。まるっきり危険人物ではないか。
 急いでエルミアーをしまい直す。
 向かい側の道が騒がしくなりはじめたのはそのときだった。
 もう不審者情報が回ったのだろうか。怯えながら目を向けると、学生服を着た集団が校門から流れ出している。
 一瞬、日頃の癖で登校してしまったのかと思ったが、制服のデザインが違う。校門の端には学校名が記されていた。
「ビップラ学園……。中学のやつが何人かいってたっけな。ってことは、隣町まで歩いてきてたのか」
 しかも知らぬ間に、下校時刻になっていたらしい。たったの三日放浪していただけで、世間の流れからはじき出された気分だった。そういえば、自分の学校へ休みの連絡はどうしたのだったか。記憶があやふやだが、適当な理由で誤魔化したような気もする。
 いままでは一種の忘我状態だったのだろう。正気に返ると、足腰の疲労が押し寄せた。
 立っていることもままならず、ふらついて近くの段差に座り込む。そこは公民館の敷地内にある階段だった。植え込みから転がってきた枯れ葉を拾い上げて握りつぶす。粉々になった破片が風に乗って消えていく。
 不意に、ポケットが震えた。
 スマホを耳に当てると、音割れした声が聞こえる。
「陸人!」
「志麻子か」
「ああ、よかった、生きてた。何度も電話したのに出ないから心配したのよ。風邪、長引いてるの? 動ける? 寝込んでるのなら、看病にいこうか」
「ああ、風邪、風邪ね……」
「え、風邪で休んでるんじゃないの? もしかして私と顔を合わせたくないからズル休みしてる? そんなことダメよ」
「違うって。うん、ちょっと体調不良で参っててさ。でもたいしたことない、大丈夫だよ。志麻子の声を聞いたら少し落ち着いた」
「どうしたの、急にしおらしいこと言って。ねぇ、やっぱりだいぶ悪いんじゃない」
「大丈夫だってば」
 僕は、押し問答をしながら正面を眺めていた。反対側の歩道では変わらず、生徒たちの波が緩やかな流れをつくっている。
 偶然だった。
 たいていは二人以上のグループになって談笑しているなかで、ひっそりと紛れている人影に目が留まった。
 一人で歩いている少女はうつむきがちで、塞ぎこんだ心境が読み取れる。
 たまたま一緒に帰る友人がいなかったのか、いつも一人でいるのか。いずれにせよ、どうってことはない光景のはずだった。しかし、ざわざわという胸の訴えに従わされるまま、視線が釘付けになる。
 僕は階段に立ち上がっていた。
 返事がないのを不審に思った志麻子が、電話越しに呼ぶ。
「陸人?」
「ごめん、急用ができた」
 言ったときには、電話を切って走り出していた。
「フウリ!」
 信号のない車道を無理やり横断すると、クラクションが鳴り響いた。生徒たちが一斉に振り向いても構わず、少女の肩に手を置く。
「どうしてこんなところにいるんだ、探したんだぞ!」
「な……」
 絶句する少女の顔を改めて観察する。
 ウィッグだろうか、髪は長くなって、しかも黒色になっている。服装も周囲に紛れた制服に変わっているが、僕にはわかった。
 整った顔かたち、翠色をした独特の虹彩。見間違えるはずがない。ネアリオが纏うオーラはヒトとは違うのだ。人波に紛れたって溶け込まない。
「無事だったのか。怪我は? あんな手紙を置いていなくなるなんて酷いじゃないか。僕はてっきり……。でも、そうか、生きていたならよかった。辛かっただろうけど、もう心配いらないから」
「や……」
 フウリが生きて存在しているだけで、疲労は吹き飛んでしまった。再会の喜びのまま抱きすくめようとして――胸を突き放される。
「やめてください!」
 拒絶する声は雑踏を切り裂いた。道行く生徒たちは流線形に距離を空けながら、不躾な興味をよこしてくる。
 僕は声のトーンを一つ落とした。
「ど、どうしんたんだフウリ、僕のことを忘れたなんて言わないだろ。ほら、家に帰ろう。お腹が空いただろ。フウリが好きな魚肉ソーセージもある。今日は遠慮せずに好きなだけ食べていい」
「人違いです。わたしは、あなたの言っている人ではありません」
 フウリは迷惑そうに言った。僕は五秒くらい固まったあと、あまりの突拍子のなさに笑いがこみ上げてくる。
「僕をからかってるのか?」
「腕を離してください」
「声だってまったく同じじゃないか。冗談ならやめてくれよ、三日三晩探し回った相手にはキツ過ぎるだろ」
「離して……っ」
「つまらないコスプレで騙そうったってダメだ。僕を危険なことに巻き込みたくないから他人の演技をしてるのか。でも、僕らは一蓮托生だって決めただろう。どっちかが勝手に死ぬなんて間違ってる。
 それに、本当に大丈夫なんだ。ああ、そうだった、これを一番最初に言わなくちゃいけなかったんだ。ごめん、気が動転してたよ。なあ聞いてくれ、僕には才能があったんだ。フウリが置いていったエルミアー、あれを使ってィユニュルを簡単に殺せた。つまりこれって、僕が普通じゃないネアリアルを持っているっていうことなんだろ?」
「意味が解りません。離してっ!」
 フウリは拘束する手を払いのけて、逃げ去っていこうとする。僕は追いすがった。しかし、
「ちょっと、君」
 背後から肩を掴まれる。「何があったんだい。女の子に暴力しちゃいかん」
 話しかけてきたのは、壮年で色黒の警備員だった。騒ぎが学校まで伝わって駆けつけたらしい。
「暴力なんてしてません。彼女とは知り合いで、迎えに来ただけなんです」
「そうなのかい?」
 警備員がフウリに水を向ける。
「い、いえ、会ったことありません」
「そんな、違うんです、きっと誤解があるだけなんだ。頼むよ、話を聞いてくれ!」
「わかったわかった、難しい事情があるんだな。でも、往来で騒ぐと皆が怖がるだろう。今日のところは諦めて帰ってもらえんか、な?」
 警備員は穏便な口調だが、僕を厄介者扱いしているのは明らかだった。
「邪魔しないでください。ああ、そうか! もしかして君はフウリじゃなくて他のネアリオなんだな。だから姿が似ているんだ。だったら、ええと、フウリナ・メイクゥルネア・エピネスっていう娘を知ってるだろ。君らは仲間同士で信号を送り合えるって聞いた。だったら連絡を取ってほしい。フウリがいまどこにいるのか教えてくれ!」
「おう、おう、もうやめときなって言っとるだろう」
 説得もむなしく、少女は顔を背けて去っていく。
 それに歩み寄ろうとして、今度は強く羽交い絞めにされる。非力なうえに空腹状態の僕では、警備員を振りほどくことはできなかった。
 最後の望みに懸けて、大声を張り上げる。
「他に手がかりがない。君だけが頼りなんだ! フウリの命が危ないんだよ!」
 制服の後ろ姿がどんどん小さくなっていく。
 結局、彼女は一度たりとも振り返ってくれなかった。

       

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