(五)
終業のチャイムが鳴ってもまだ、僕は夢うつつをさまよっていた。寝不足特有の気怠さがまとわりついている。
しかし一方で、頭の片隅にはそわそわとして落ち着かない部分もあった。
今朝の、あの口づけがフラッシュバックする。甘い匂い、体温、吐息。最後には、唇に伝わる感触。
「初めてだったんだよな……」
男のファーストキスに価値などないとわかっているが。
懊悩する。キスのひとつで、僕はすっかり正気を失ってしまったらしい。
「おい、陸人、大丈夫か」
横を見ると、優作が立っていた。
「うわあ、いきなり話しかけるなよ。驚くだろ」
「さっきから何度も呼んでたんだが」
優作は珍品でも鑑定するようにして、僕の額に手のひらを当てた。
「お前、病気じゃないのか? 陰気に独り言を呟いてるかと思ったら指で唇をなぞったりして。気持ち悪かったぞ」
「うるさいな、放っておけよ。だいたい、どうして優作が二組の教室にいるんだ」
「部室を覗いたら珍しく無人だったからな。お前こそ、居残りの用事でもあるのか?」
見渡すと、教室に残っているのは数人だけだった。その数人も全員、机に向かって作業している。貰った宿題は教室で終わらせるという、怠惰なんだか勤勉なんだかわからない連中だ。
「なあ、優作」
「なんだ?」
重たい瞼を持ち上げながら、僕は言った。
「これは真剣な話なんだけど……。実は、この世界に危機が迫ってるんだ」
「は?」
「優作を頼もしい親友と見込んで話をするよ。あのな、知らなかっただろうけど、僕たちが生きているのとは異なる世界っていうのが、別次元に存在するんだ。最近、その異世界から侵入した敵性生物が街に潜んで、夜な夜な人を喰っている。つまり人類滅亡の危機だ。マジでヤバい。
でも、希望はあるんだ。同じく異世界からやってきた別の生物が、秘密裏に敵性生物を駆除してくれているらしい。もしも機会があれば、僕たち一般市民は、味方である生物に対して手助けをしてやるべきじゃないか。
……っていうようなことを僕が言ったら、優作はどう思う?」
「お前の頭が狂ったんじゃないかと思うだろうな」
「だよな」
だから、こんなことは秘密にする必要すらないのだ。
僕は机の上に両腕を敷いて伏せった。
優作の反応は至極まっ当といえる。僕自身も、冷静な部分では同じ感想を抱いているのだ。わずかでも理性の綻びがあるとすれば、それは唇から入った亀裂だ。だって、初対面の女の子からキスをされるなんて、思春期の男からすれば世界の危機と変わらない異常事態じゃないか。
「よくわからんが、悩んでるなら街に出て気晴らしでもしたらどうだ。俺は買い物の用事があってな。一緒に来るか?」
「うーん……」
体調不良を理由に断りかけて、僕も買い物が急務であることに思い至る。
「行くよ」
荷物を持って、優作の後ろについていった。