Neetel Inside ニートノベル
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(六)

 街での買い物を終えたあと。
 地元の駅を出て、僕らは立ち止まった。
 周辺は会社帰りのサラリーマンで賑わい始めている。人波を避けるため、出入りぐち正面に立つモニュメントに背をつく。
 鉄の棒で編まれた、ねじれた形の壺みたいなモニュメントは現代美術というやつなのだろうか。意味の解らないデザインだが、とにかく目立つので待ち合わせに使われる。
 仕事終わりにデートへ向かう社会人カップルを見送りながら、優作が言った。
「もしかして、昼間は女関係で悩んでたのか?」
「なんだよいきなり」
「いや、やけに別行動で買い物したがるから怪しいと思ってな。女へのプレゼントで悩んでいたのかと。一体、何をそんなに買い込んだんだ」
 優作が靴屋の袋ひとつに対して、僕の荷物は大量だ。複数の店舗で買いあさった品々は、大きい紙袋ふたつにまとめてある。持ち上げているだけでも乳酸が溜まる重さなので、いまは石畳の上に置いていた。
「なんだっていいだろ」
「そういえば昨日、元原が部室に来てたな。ようやく付き合うことになったのか。だったら隠すな。別に茶化したりしない。下手な隠し方をされるとこっちが気を遣うんだ」
「はあ、志麻子と? トンチンカンなこと言うなよ」
「なんだ、違うのか。なら、別の娘と? いやしかし、それは義理に欠けるんじゃないか。人の色恋に口を挟むつもりはないが、筋ってものを通しておかないと後から面倒だぞ」
「だから違うってば。そもそも、志麻子とは付き合いが長いだけで恋愛感情とかはお互いないから。あいつが僕に構うのはただのお節介焼きだよ。たまにいるだろ、人のことに首を突っ込んで、あれこれ説教したがるやつ。
 ああ、そういえば、きのう部室からさっさと逃げ出したのって、変な気を回してたんだろ。やめろよしょうもない」
「うーむ……。まあ、俺から勝手な配慮は差し出がましいか」
 優作はまだ言いたげだったが、吹っ切るように限定品のスニーカーが入った袋を持ち直す。
「今日はここで解散にするか。夜道には気をつけろよ、最近は治安が悪いからな」
「ああ、また明日」
 挨拶を交わし、別々の方向に分かれる。
 置いてあった荷物を持ち上げると、二の腕に重さがのしかかる。
「優作のやつ、妙なところで鋭いな」
 両手に提げた袋の中には、指摘通り女の子へ渡すものが大量に詰まっている。ただし恋人へのプレゼントではなく、同居人への貢ぎ物という表現が正しいが。
 駅前の繁華街を離れると途端に人通りが絶える。
 やがて、ヤングビップ橋にさしかかった。
 ヤングビップ橋はプゲラ川を渡す幅広のトラス橋だ。天気が良ければ有名な霊峰を眺められる場所だが、橋の下の河川敷は陽の当たらない死角になっている。そのため、粗大ゴミが大量に不法投棄されて問題になっていた。
 最近では役所が腰を上げて、ゴミの撤去とともにホームレスの追い出しも敢行したのだという。橋の上には地域自慢の景色があって下には淀んだ現実、という対比は興味を惹かれる皮肉であり、故に苦情も多かったのだろう。とはいえ、目を塞いだら貧困が消えてなくなるわけでもないだろうに。
 そんな経緯があったから、橋に差し掛かって不審な声を聞いたときには、ホームレスが抗議活動でもしているのだと思った。しかし、よく耳を傾けると声は女性のものらしい。すすり泣きと悲鳴の中間のような、不吉を孕んだ響き。
「イマドキ女子のあいだでは、外で泣くのが流行ってるのか?」
 僕は帰宅の足を止めて引き返す。堤防の斜面を降り、橋の下側へと入っていく。スマホを握りしめて、液晶の光を懐中電灯がわりにして進んだ。
 奥まりに入っていくと、だんだん不安になってくる。
 もしも暴漢に襲われている女性がいたとしても、非力な僕では助けられない。警察に通報する準備くらいしておこうか。番号をタッチする手が汗ばんでいた。
 声は断続的に続いている。発生源に近づいていくにつれて、女性の声以外が混ざっているのがわかった。水気を含んで不規則な、まるで生肉を調理しているときのような音。
 この時点でもう、僕は引き返した気持ちでいっぱいだった。しかし一方で、後ろ暗い好奇心の炎には次々薪がくべられ、足を加速させた。
 ほとんど駆け足になって深部に辿り着く。そして、見てしまった。
 大々的に撤去を行っても懲りない住民はいるらしい。暗所にはゴミが積み上げられている。
 放置自転車、家具類、中身の詰まった黒いビニル袋。
 人の捨てたゴミだけならばよかった。
 うずたかく積まれたガラクタの手前に、乱暴にちぎられた生肉が散らばっている。
「ぁ……ぁぅ……ぁぁ」
 声は肉片のひとつから聞こえた。
 二十代くらいの若い女性だ。
 彼女の下半身は胴体と辛うじてつながっていた。抉られたような傷が至る所にあり、鮮血をぶちまけている。
 女性はうつ伏せに這いつくばった体勢で、濁りかけた眼を僕に向けている。助けを求めているのだ。
 全身から血の気が引いていくのがわかった。悲鳴を漏らさなかったのは平静を保っていたからではなく、声帯が固まってしまったからに過ぎない。
 解体された肉は一人分だけではない。女性の周囲には他にも大量に転がっている。大半は彼女よりも悲惨な有様で、形を留めていないものも多い。
 心拍が早まるにつれて、呼吸が難しくなる。
「つ、通報しないと」
 自分を励ますように絞り出す。
 気を失ってはいけない。
 事態はつかめないが、眼前の光景は何らかの災いによってもたらされたに違いない。いま気を失うことは危険だと直感していた。
 番号はすでに入力してある。あとは通話ボタンを押すだけ。硬直した親指をどうにか動かそうとしたとき、
「グフフ、知らない餌が紛れているなぁ……?」
 妙に甲高い、間の抜けた声がした。
 暗がりの中から、闇を引き延ばして現れた影。
 いなかったはずのものが、足音もたてずにそこにいる。
 全身を覆い隠す黒のローブを纏い、顔は目と口を三日月にくり抜いた仮面で隠されている。
 道化と呼ぶにはあまりに禍々しい。
 まるで死神のようだ、と思った。
「少し待っていなさい。調理は順番にしないと落ち着かなくてねぇ」
 死神は僕に向かって言う。
 声色は男らしかったが、人間の性別を当てはめることに意味はない。一目で確信している。こいつは、人間ではない。
 ローブの袖からは返り血のついた刃物が飛び出している。三尺以上はあろう巨大な獲物には切っ先がない。戦いのためではなく、相手を一方的に切り刻むためのエクスキューショナーズソード。それを引きずって、女性の首を落とす。本当に、なんの感慨もないような手つきだった。
 女性は、胴体と切り離されてから驚愕を表情づくった。スプラッタ映画の一コマを見ているようで、現実感がない。
 死神は剣をハエ叩きの要領で使い、蚊の鳴くような断末魔ごと頭蓋を叩き潰した。鈍い音とともに、脳漿が飛び散る。
「次はお前だ」
 仮面の隙間から覗く蛇目が、ぎろりとこちらを向いた。
 瞬間、金縛りが解ける。
「うわああああああああっ!!」
 ちぎれんばかりに脚を動かし、来た道を全速力で引き返す。
 駆けだしてすぐ、僕は恐怖に負けて振り向いた。
 背後では、死神が棒立ちで剣を持ち上げている。いかにリーチが長くても、すでに間合いは十分にとった。大丈夫だ。逃げ切れる。
 振り上げられた剣が、そのまま地面に下される。力なくコンクリートを叩いた音は降参の合図だと思ったが、違った。
 僕は見た。
 武器と地面の接地部分に陰が凝集していく。ペンキをぶちまけたような無秩序な模様がやがて一つの塊となり、それ自体が意思を持っているかのように蠢きはじめる。
 あれは僕を狙っている。理解したときには遅かった。
 地に現れた絵画が大蛇のように這いずり、向かってくる。速度は僕の脚力を凌駕していた。あっという間に、股の下に入られる。
「うわぁ……っ」
 いきなり脚のバランスが崩れた。
 黒に侵食された部分はコンクリートのはずなのに、沼のように沈んだ。踏み込んだ足裏を取られ、あっさりと膝をつく。しかし、ついた膝すら粘性の液体のなかに沈んでいくのだ。
 トリモチに捕まった虫のようにもがく。
 背後では処刑人が近づいている。カラカラと、剣を引きずる金属音が線を描いて向かってくる。
「なんなんだよ、あいつは! ああ、そうだっ、フウリ……」
 この現実離れした状況はまさに、彼女の話を裏付けるものではないか。人が生きる世界に化物が紛れ、災いをもたらす。やつこそがィユニュルとかいうやつなのだ。フウリは真実を話していた。ならば、彼女が敵を討つ救世主であることも真実のはずだ。
「フウリ、フウリならあいつを倒せるはずだ」
 僕は手に持ったスマホを操作する。
 まずは電話帳を開くが、そういえば連絡先交換などしていなかった。
 仕方なく、家の電話番号を入力する。受話器をとってくれる望みは薄いが、他の方法は思い浮かばなかった。
「グフ、助けを呼ぶのか。無駄無駄、お前はもう喋れなくなる」
 喋れなくなる?
 死神の言葉を聞いた直後、下半身が異常を訴える。
 黒い沼に浸かっている部位から、不快感がせりあがり、内側から押し上げられる感覚。まるで触手が這っているような。
 肌に脂汗が滲む。加速度的に進む不快は喉元まで来ていた。
「ぉごっ……うげぇ、げほっ、げほっ」
 体を折って嘔吐する。吐き出されたものは、胃の内容物ではなかった。脚を取っている未知の物質が体内まで侵食して、さらに這い出ようとしているのだ。吐き出しても吐き出しても、際限なく。口内を満たし、気道を塞ぐ。
「……っ……ぐぅ……」
 たまらず口に手を突っ込んで引きずりだすが、それでもキリがない。
 脳に送られる酸素が減っているのがわかった。視界が暗くなり、強烈な死の予感が押し寄せる。
 取り落としたスマホが何度目かのコールを鳴らしている。
 黒色の涙を流しながら、僕は後悔していた。
 僕がフウリと出会ったのは、きっと運命だったのだ。彼女の話を真剣に聞いて、ィユニュルへの対策を打っておくことが唯一、救われる道筋だったのではないか。神様から垂らされた糸を、僕は自らフイにしてしまった。
 しかし、そんな後悔すらも、もう遅い。僕は何者にもなれないまま死んでいくのだ。
 せめて苦しむ時間が短く済みますように。祈るような気持ちで目を閉じたとき、後方で誰かの声が聞こえた。
「≪Hear attentively the noise of his voise≫」
 ――雷鳴が、弾けた。
 眩い光が、瞼を貫いて突き刺さる。爆発じみた轟音が地面を大きく揺らした。
「ひいいぃぃぃぃぃ! 腕がぁっ、私の腕があぁぁぁっ!」
 次に聞こえてきたのは死神の悲鳴だった。同時に、口内を満たしていた物質が煙のように消え失せる。
「っ……はぁぁぁっ」
 肺が欲していた空気を大量に取り込み、肋骨を繰り返し膨らませた。
 何が起こったんだ? 僕は恐る恐る目を開ける。
 一帯はまだ光に満たされている。死神はその輝きに喰われたかのように、片腕を削り取られていた。赤色の血液ではない、紫色の体液が大量に流れている。傷口を抑えて呻く姿からは、先ほどのまでの威容は失せていた。
 この場における狩人の立場は取って代わられていた。死神の正面には、光を受けて陰影を強くする人物。
「陸人、立てる? 立てるなら、走ってなるべく遠くに逃げて」
 聞き馴染みある声の主はすぐわかった。僕に世話を焼くときのトーンは、いつも同じだから。
「志麻子」
 学校の制服を着ているのかと思ったが、よく見ると違う。ブレザーの質感は似ているが、白地に蛍光の青線が入った近未来的なデザインは見覚えがない。肩に掲げられた盾のシンボルマークにも。
 さらに注意を惹いたのはその周囲だ。
 志麻子の四肢や頭上など至る所に、武器や鎧を模した、とにかく物騒な機械が纏われている。磁力を思わせる動きで滑空するそれらは、志麻子を中心にしてSTGのオプションのような働きをしているように見えた。
「ほら、陸人ったら」
「こ、腰が抜けて逃げられそうにない」
「わかった。だったらそこで伏せてじっとしてて。すぐに済ませるから」
 言うが早いか、彼女の隣に浮く、剥き出しのターボエンジンのようなパーツが光った。
「≪Hear attentively the noise of his voise≫」
 再び雷撃。炸裂する音と光。凝視してみても、攻撃の軌道を捉えられない。
 壊れたコンクリートが粉塵になって舞い上がる。視界が晴れると、死神は虫の息だった。膝をつき、胸部に空いた穴と仮面の口の隙間から体液を溢れさせている。
「思ったよりしぶといわね」
「グォォ……。き、貴様、例の“協力者”だな。その聖籍せいじゃく、誰から譲り受けた」
「さあ? 教えられない」
「毛のない猿風情が、過ぎた力を振り回しおってぇ……。あげく私が殺されるなど、あり得ない。あってたまるものか」
「でも残念、これが現実よ。あなたは、いままで見下して、蹂躙してきた種族に葬られるの。覚悟しなさい」
 志麻子の宣告に呼応するように、機械群が布陣を整えはじめる。
「ま、待て。わかった、態度を改めよう。私を生かしておいてくれるなら、相応の対価を与えると約束してやる。貴様らが喉から手が出るほど欲しがっている情報がいくらでもあるぞ、グフフ」
「…………」
 浅ましくへつらいだした死神に、志麻子は冷たい視線を向けた。
 次弾への準備は止まらない。鎧だったパーツが音を立てながら、解体し、接続し、背中に銀色の翼を展開させる。
「あ、あ、あ……。ヒィーやめてくれぇー! 殺すな! 死にたくない! こんな理不尽があるか! 私は、私自身の使命を果たしていたまで! 貴様には手を出していないのに、どんな権利があって罰するというのだ!」
「あなたもよく知っているでしょ。この光は応報の光。罰するのは私じゃない。あなたは、あなた自身の罪によって裁かれるの」
「ヒ、ヒ、ヒィ、いやだ、死にたくない……。頼むぅ……頼むぅ……」
 ついに平伏した死神だったが、恐る恐る顔を上げ、志麻子の表情から望みのないことを悟ると、声を荒げた。
「グフハハ! いいか聞け、絶対に後悔させてやるぞ! 今生が尽きても、私はいつか必ず貴様を見つけ出して、殺して喰う! 皮と肉を剥ぎ、はらわたを引きずり出し、血の一滴残らずまで征服してやる! 覚悟しろ、貴様の身近な――」
 死神の遺言を待たず、志麻子は唱えた。
「≪He directeth it under the whole heaven≫」
 詠唱と同時に、銀色の翼が一斉に毛羽立つ。風切に当たる各部から放射された光線が空中で寄り集まって巨大な球となる。
 まるで、太陽が地上に降りてきたみたいだ。
 僕は眩しさに目をかばったが、それ以上に苦しんでいるのは死神だった。
「があぁああぁぁぁっ! 許さんぞ! こんな、必ず、き、さ、ま、を……」
 断末魔をあげ、頭を抱える手が指先からひび割れていく。時を早回しにしたかのように、その体は生命力を失っていた。
 輝きが急速に増し、臨界に達した球が爆ぜる。四方八方に飛び散った光線のひとつが向かってきて、
「うわっ」
 僕は伏せて丸まった。
 事はすぐに済んだ。蝋燭の火じみた残照のなかで、ゆっくりと自分を確かめる。攻撃が直撃したように思えたが、怪我はしていないようだ。
 よかった。胸を撫で下ろし、目をやった前方に死神だったものがあった。
 光に焼かれ乾ききり、灰と化した全身がやがて、微風に乗って霧散する。
 抜け殻になったローブと仮面、剣だけが地面に落ちた。
「ふぅ……」
 志麻子が息をつく。続けて小声で英語らしきものを呟くと、初めからなかったかのように機械群が消え失せる。こちらを振り向いたときには、女の子は十年来の幼馴染の姿だった。
「大丈夫? 怖かったでしょ」
「はは……。まあ、軽くトラウマかな」
 強がっておどけてみせるが、声が震えている。しかし、恐怖に先立つ疑問がいくつもあった。
「いやいや、それよりも志麻子がどうしてここに。というか、いまのはなんだったんだよ!」
「ここに来たのはたまたま、巡回のルートだったから。このところ事情があって、街の目立たないところにさっきみたいなやつらが潜んでいるの。私は、秘密裏に治安を守る組織の隊員ってわけ。
 でも本当に、間に合ってよかった。一足遅れてたら陸人、死んでたんだから。あ、ついでに言うと緑地公園も巡回のルートなの。私、ストーカーなんてしてないからね。……って、いま説明しても意味がないんだけど」
「え、どういうこと」
「全部、忘れさせるから。そういうわけで、トラウマのことも心配しなくていい。
 はあ、まったく、戦いよりも後処理の方が大変ね。剣も放っておくわけにはいかないし、処分しておかないと。ところで、あの荷物って陸人のよね。そう、じゃあ、持たせておく。ほら、動かないで、じっとしてて」
 言って、志麻子は僕の頭に手をかざしてくる。
 途端、脳みそを揺らされているような酩酊感が襲った。
「なんだ、これ……」
「大丈夫、一回だけなら大した副作用もないはず」
 意識に透明の膜が張り、志麻子の輪郭がおぼろげになっていく。発せられる声も、距離感がぐわんぐわんと定まらない。
「そういえば、ねぇ、陸人が忘れてしまうなら一度、言ってみたいことがあったの」
 辛うじて聞き取れる言葉に耳を傾ける。
 ひとこと、その一文はハッキリと届いた。
「私、陸人のことが好き」
「待っ――」
 問い詰める前に、世界は暗転してしまった。

       

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Neetsha