Neetel Inside ニートノベル
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(九)

 昼のうちに溜まった家事を消化して、夕方からはバイトのシフトが入っていた。
 僕が働いているのは、住宅街からも繁華街からも少し離れたブリティッシュパブ『キボン』だ。
 狭い通りに門を構えて隠れ家を思わせつつも、中に入るとけっこう広く、ヴィクトリアン調の内装が異国情緒を醸し出す。初めて訪れたときには、海外のマフィアがトランプとかしてそうだなと感想を抱いた覚えがある。
 しかし、実際に荒れているわけではなく、どちらかといえば裕福そうな人たちが憩っている。客の回転も激しくなく、単価重視のため忙しい時間帯は少ない。つまり職場としては理想的で、このバイトを勝ち取れたのは運がよかった。
 この日も仕事は大過なく進んでいた。
 空いた手でグラスを拭いていると、入店を知らせるベルが鳴る。
 条件反射で挨拶しながら視線を向けると、そこに見知った人物がいた。
「よう陸、久しぶりだな」
「SHOYAさん、帰ってきてたんですか」
「まあな」
 指を二本立てるジェスチャー。キザっぽい振る舞いが様になっている。
 レザーのパーカーにサングラス、髪は派手な金色。背負ったギターケースがなければチンピラかという見た目はとにかく目立つ。案の定、周囲の客がざわつきだした。
「帰る前に、あらかじめ連絡してくれればいいのに」
「サプライズで来たほうが盛り上がるだろ?」
 隣にいた店長が「仕事はもう上がっていいから、二人で食べていきなさい」と言ったので、さっそくグラス拭きを放ってカウンター席についた。
 SHOYAさんは知名度のある人物で、特にこの店には縁がある。常連が囃し立てるのに乗っかって、僕も言った。
「このあいだの『Mスタ』見ましたよ。全国放送でSHOYAさんの演奏が聴けるなんて感動したなぁ」
「おいおいやめろよ、近所のババアと同じような感想言いやがって。陸は俺の演奏を直に聴いてたくせによ」
「もちろん、演奏は生のほうが迫力ありますけどね。自分の知ってる人が世間に認められるっていうのは嬉しいんですよ。いまじゃ、東京でも外を出歩くのが大変なんじゃないですか」
「んなわけねぇだろ。グラサンして髪染めてりゃ、バンドマンの見分けなんてつかねぇし、そもそもテレビで見ただけの連中はボーカルの顔くらいしか覚えてねぇよ」
 言って、SHOYAさんはサングラスを外した。
 猛禽類を思わせる精悍な顔立ちは、初対面ではたいてい恐ろしい印象を与える。僕も例には漏れなかった。しかし、引け腰でいたのは彼とメンバーが演奏を始めるまでだ。
「SHOYAさんがそこでギター弾いてたの、つい最近なのに、なんだか懐かしいですね」
 僕は店内の隅にある演奏スペースに視線をやった。
 SHOYAさんがギターを担当する『ne-to』は地元民で結成されたロックバンドだ。ライブハウスや飲食店、ときには路上で。あちこちで演奏していて、キボンはその一つだった。特に店長とSHOYAさんの気が合い、契約を結んで定期的にステージに上がっていた。
「初めて聴いたときは印象強烈だったな。感動して体が震える経験なんてしたことなかったから」
「ケケ、音がでかくて震えてただけじゃねぇの」
「そんなことありませんて」
 店長がフィッシュアンドチップスを出してくれたので、ふたりでつまむ。
「でも、実際にここで演奏してた期間て短いんですよね。あれよあれよという間に出世しちゃったから。いいなぁ」
「無名だろうが有名だろうがやることは変わんねぇよ。なんだよ陸、お前テレビスターになりたいのか?」
「いや、僕はSHOYAさんみたいに特別な才能ないからなぁ……」
「だから、楽器をやれって勧めたろ」
「やってみたけど、全然へたくそでしたもん」
「バカ、やってみたって精々一か月くらいだったじゃねぇか。どうせFコードがうまく弾けないとかそんなんだろ。いいか、才能っていうのは偉大なゴッドが俺たちの魂の奥底に隠したお宝なんだよ。魂を燃やし尽くすくらい本気でやらなくちゃ見つかるわけないだろうが」
「そうですかね」
「なんだその気のない返事は。いいか、大人になったつもりで達観ぶって、のめり込むやつを幼稚だとか見下す価値観はクソだ。負け犬の考えだ。他人との競争に負けた犬じゃねぇぞ、そんなもんは問題にならねぇんだ。自分自身の感性に負けて、背を向けて逃げ出すのがクソなんだよ。幼稚で上等。気に入らねぇ事がある度にギャン泣きする赤ん坊が最強だ。あいつらは、腹が減ってるくせにそこそこ満たされてますとかごまかす腰抜け共とは違うからな。だから、ギターは赤ん坊の泣き声と同じなのさ。聴こえるだろ、俺のエモーショナルな叫びが!」
 喋っているうちに滾ってきたらしい。SHOYAさんは、僕に口を挟む隙を与えない。どころか、明後日の方を向いて、ギターをケースから取り出してかき鳴らした。突然の音に振り向いた客たちが歓声を上げる。

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眩むやいば振り違えば
慰みに追われて
傷をふさいでても消えないなら
刻む牢のうち囚われ独り
『ゲンジツニマケナイ』
星の音のしるべを探す
この詩が動きだすまで

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 ステージまで担ぎだされたSHOYAさんは、マイクもなしに熱唱する。
 『ロマンチックファイター』。作詞作曲者のメンバー曰くひねくれた曲らしいのだが、それでも僕を高揚させることには違いない。普段ボーカルを担当しないSHOYAさんの歌声も、言うだけあって魂を感じさせる。
 僕は自然と拍を取って、体を揺らしていた。
 メロディを後頭部から背筋に吸い込み、さらに深みへ潜ろうとする。
 その、ちょうどいいところでスマホが震えた。
 なんだってこんなときに!
 電話が友達から遊びの誘いならまだよかったが、掛けてきたは母だった。
 つまらない話で生演奏を台無しにされるのはごめんだ。
 応答する気にはなれず、スマホをそのままポケットにしまい直す。
 曲は二番の終わりを迎えていた。最高潮へ至ろうとする店内のボルテージに乗り遅れまいと、僕はステージ前の人垣へと駆けていった。

       

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