Neetel Inside ニートノベル
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ディアスポラ ~ミシュガルドの歩き方~
第1章 アリューザでカルファを

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 エーコの喫茶店はなじみの顔ばかりであまり代わり映えしない。着物の上からでもわかるゴツゴツとした鱗の竜人は気だるそうな顔の青年と何やら話し込んでいる。
「うーん、味わい深い。強い苦味の中にコクがある。僕が飲んでいるカルファはテーブルマウンテン原産の豆だ。温暖な海洋性気候の東方大陸南部から来る潮風がテーブルマウンテンにぶつかり雨を降らす。水はけが良いので豆に適している。自然が作り上げたカルファ農園というわけだ」
 気だるそうだった顔はカルファを飲んですっかり覚めて、飲むかしゃべるかしている。
 苦い顔して聞いている竜人は飲むこともしゃべることもできない。やっとのことで話を遮ったがうっかり口を滑らしてしまった。
「こっちのカルファはどこの原産の豆なんだい」
「君のカルファはアルフヘイム大陸のフローリア産の豆だ。フローリアはアルフヘイムの台所と呼ばれるほどの大穀倉地帯だが、本来カルファには適していない。そこから品種改良と魔法農業でカルファの名産地となった。生産者のたゆまぬ研鑽が作り上げたのがこの芳醇な香りというわけだ」
 薀蓄を聞きに来たのでもカルファの匂いに誘われたのでもなく、僕には明確な目的があった。
 そ知らぬ顔で常連客を横切ると、見知らぬ顔だったからか竜人が振り返える。リピーターの多い店だから一見さんは珍しいのかも知れない。
 そのままカウンター席まで進むと、お目当てのオネーサンを見つけた。
 何も変わらない。カウンターにほおづえつく後ろ姿だけでわかる。ショーコだ。アルフヘイムの森に溶け込むような緑の服は四年の歳月でボロボロになってはいたが、引き締まった体は一切衰えていない。むしろ痩せた? はねっ返りの強いボサボサ頭だが、あいかわらずの艶っぽい黒髪は傭兵にしとくには惜しい。そんなショーコはカルファも頼まず女主人に絡んでいた。
「457年もののフローリア赤ワイン!」
「うちは喫茶店ですよ」
 女主人のエーコはケモノ耳をひくつかせて駄々っ子を諭す。
 僕はショーコの右隣の席に腰かけ、一杯カルファを頼んだ。
「アリューザのカルファをひとつ」
 またふざけた注文かと思いエーコはいったん流したが、何かを思い出したように目を丸くした。そして棚から下ろした古い小瓶を開封し、マズルをひくつかせる。
 豆の香りはフローリア産っぽいが、はてアリューザ産のカルファなどあっただろうか? 聞き耳を立てていたカルファ道楽の青年はそういう顔をしていた。
 ショーコが僕のほうを振り向く。見知った顔だったから。
「ジテン? ジテンじゃないか?」
「ショーコさんお久しぶりです。僕が十二の時以来なのによくわかりましたね」
「わかるよ。その目。その髪。そのマント」
 赤い目とちらりと目を合わせて、ショーコさんは僕の青い髪をぽんぽんと撫でた。白地にびっしりと文字が書かれたマントが寸足らずになってしまうほど身長が伸びたって言うのに。いつまでたっても子供扱いだ。
「探しましたよ。ショーコさんに聞きたいことがあるんです。今四年前のディアスポラの乱についての本を書いていまして。首魁の三人、ウォルト・ガーターヴェルト、レビ、フォーゲンの話を聞きにきました」
 ショーコは喉に手を当て、身もだえしながら声を上げる。
「話したい。話したいんだけど、喉が……乾いたなあ」
「僕のおごりでいいんでショーコさんにも……」
 エーコが僕の意思を汲み取って言葉を継いだ。二人分の豆を挽きながら。
「アリューザのカルファね」
 カリカリと鳴る音と豆の芳しさがあの日に誘う。終わりの日であり始まりの日。ショーコは兵の詩をつむぎ始めた。

       

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