「碇」
すきまのような人でした、
人波にするどく切りこめば
モーゼのように彼らを分かち、
かまいたちのように喧騒を運び去る
切り傷のような人でした。
けれども、だれが気づいたでしょう
彼が刻んだそのヒビに
声という声、
苦悩の泡がのまれることに。
だれが見つめていたでしょう
彼の背中を、
視線の果ての海溝を。
それはきっと呼び声のうちよせる断崖、
浮かぶことなき沈黙、そしてなにより
この海で私をつなぎとめる
ただひとつの
碇。