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ベル詩集
“夜”

「なにかの重みで」


なにかの重みで、
この夜は圧しひしがれている
冷たい垂れ幕の奥で鳴りひびく、
遠い回想にとりまかれている

すると声がする――いくえにも閉じた窓の向こう、
夜の重みを手に支えながら、
秋の老木のように身を震わせる、
ざわめく声の持ち主たちが、私を呼ばわり戦慄させた
冬は白い、だが記憶の中では、それはつねに仄暗かった

すると声がする――意識をななめに切り裂く声が、
凍える手のひらで踊る声が、
だれか、女が残していった、
恨めし気な口付けの雪のような感触は、
雲の裂け目から漏れくだった、歌のように部屋をとりかこんだ

ベッドスプリングはきしむ
扉はしめやかに秘密を守る
木漏れ日のように舞い下りた鳩は、
まぶたの端で消えていた

すると私の声がする――
なにかの重みで圧しひしがれた、
この夜と地面とにできた隙間に、
わたしは朝日の一筋となって、うずくまりつつ
しのびやかに滑りこんでゆく、
今日という日を眠るために


「疾走」


沈む太陽を月は見つめる
夜はふくよかな肢体をのべる
流れる星の冷ややかな速度に
わたしの涙は追いつかない

さようなら、きのうの誓いよ
さようなら、こぼれた期待よ
気まぐれで軽はずみな優しさのすべてが
リア・ウィンドウの向こうに散って行く

ツマミをまわせば、期待外れの流行歌手が
うがった歌で口を出す
走行距離表示のふくれあがる数字に
いまさら引き算は通用しないと

二本のワイパーの拒むような手つきは、濡れたガラスを行き来して
落ちつきなく揺れる風景の線を、つぎからつぎへと拭い落とす
ラジオ・パーソナリティがたわむれに傾けた小箱から
なくした指輪の真珠のような、砕けた星々がこぼれ落ちた

一体どこへ導くの? テールランプのこの果てない行列
ほどけたネックレスのきらびやかさで
星座のひな型でもつくるつもり? けれどもそれは結局のところ
色あせた写真を上塗りだなんて、気の利いたまねはしないだろう

吹きすぎる夜は髪を乱れさす
月はあけすけな欠伸(あくび)をもらす
のぼる太陽の軽やかな速度に
わたしのため息は追いつかない


「月と少女のポルカ」


ささくれた夜の表面をすべる
銀色の舌、名は月明かり
または砕かれた太陽のひとかけら
昨日のまなざし、すぼめた唇の中心に向かって
暗い炎の粉(こ)がつどう

星の回転に置きざりにされた
眠れぬ観衆のうちあげた気球が
社交欄記者についばまれるうち、あれよという間に
三日月となる。ネズミたちは踊り
酒盛りに向かう蛇どもの列が
いつしか夜明けを指し示す

いいじゃない、だってインドではまだ夜なんだもの
と、ひねもす舞踏会気分のご令嬢
秋波と旋律にゆれるステップを見事お披露目あそばせる
もういいじゃないか、やめにしないか
とおかんむりな父君、皮肉な笑みはケイレンギミ
眉間の谷のそこしれぬ深みに
空のグラスが投げこまれる

果実酒に漬かった会場をぬけだして、
流し目のみちびく川に辿りつき、
紙細工の小舟にあわ食って乗りこんで、
きらめくカミソリに指を這わせたら、
もう準備は万端ととのった!――あの男ったら、
青ざめた唇びくびくいわせて、こう言ったわ
――ああ、これでやっと二人きりになれたんだね、
 ぼくたち永遠に一緒にいられるんだね、
 この夜の川の温もりに安らってさえいれば、
 あの月を羨むこともなくなるんだね

――だめよ、あんたみたいにギラギラした人は、
 ちょっと望みが高すぎるかんじ、
 あたしがあの空で浮かれてるあいだ、あんたこの星の裏側で
 おとなしく指でもしゃぶってなさいな

ささくれた夜の表面ではねる
銀色にまたたくステップをごらん!
プライドを砕かれた太陽のひとかけら――昨日のまなざしは今いずこ?
意地悪な唇のかたちづくる言葉は
今夜はだれに向けられる?
さあ、次なる踊り手は? 次なる男女の狂騒は?
うかうかしてると、妬みぶかいお陽さまに踏み込まれてしまいますよ、
夜は一瞬なのですよ!

――よろしいかな?
 お手を拝借、死をも厭わざるこのマドモワゼル。
――お手柔らかにね。
 蝋人形でも扱うみたいに。
まわる、すべる、暦が変わる、
一年とは月の百面相、
百年とは跳ねまわる弦楽奏、
あたし、踊るわ、いついつまでも
この足が骨みたいになっちゃうまで
ねえ、人生ってあっというまじゃない?
このポルカよりずっと短いじゃない!

「黄昏の敗残兵」


せまる夕闇を生きのびようとした
最後の陽ざしの一部隊がいま
悲鳴を上げて消えていく。
鉛のような溜め息のあいだで
ビルの影に隊伍を寸断され、
誇るべき陣地、頼るべき兵站も
まもなく退く、街の稜線のかなたへと

見るがいい、このざまを。星明かりの遊撃兵め
俺はついに指揮官を失った!
燃えあがる落日の遠い荘厳さ、
あれこそわれらの故郷であった……
そして看取れ、一足先に
闇に呑まれた救護兵よ
おまえの形見、青一色に広がるはずのあの凱歌すら
淀んだ時の川のぬかるみに
俺は迂闊にも落としてきてしまった……

ああ無名戦士たちの昼の栄光は
ただ燃えかけた軍旗に刻まれるのみ。
塹壕めいた裏路地の口に
銃架のごとくに突きたった電柱が、
硝煙と静けさ、徒労の感じのただ中で
いまも身動きが取れずにいる

おそらくそれは墓標であった。
星の数ほどくりかえされてきた
よりどころない希望と幻滅のサイクルの
ひとつひとつに意味をくれようという
気のふれた試みに寄せる墓碑。
あらゆる努力を無化させるという
空漠たる黄昏の風のほかといって
弔うものとてない霊園

だが奇妙じゃないか――やがて見えてくるのは、
あの全滅の空の闇のすそのを
横切る光のひとかたまり。
願いのあわは砲弾となって
勝ちどきは儚い電文となって
おだやかな夜空を切り裂きながらも
着地の当てなく、あなたのうえを彷徨っている


(2020/1/5 Sun.)
「夜に瞼を下ろさぬ者よ」


夜に瞼を下ろさぬ者よ
 葉むらのそよぎを聴く者よ
  風に祈りを託さぬ者よ
   声なき木霊(こだま)を呼ぶ者よ

おまえは眠る、誰より目覚めたその双眸を
 燐光のように浮き立たせ
  おまえは下る、螺旋の形にねじくれて待つ
   暗い悔恨の階梯を……

渦巻く地底湖の中心に向けて
 力弱くも思いを投げ入れ、
  過ぎ去る時のにがい水流に
   疲れきった舌をひたしている

幾千年と喜びを聞かぬ
 化石のような耳朶のうらがわ、
  寡黙な壁に身をひそめながら
   結晶するこの孤独に聞き入る

願いの死骸の横たわる底で
 切り取った闇をたずさえつつ
  昇る階梯の足どり重い
   おまえは瞼を下ろさない
  
「夜に瞼を下ろさぬ者は
  葉むらのそよぎを聴いている
   風にその身を預ける者は
    果てなき夢路を運ばれる
 海に木船を浮かべる者は
  星のさざめきに竿を入れ
   風の行く先をうらなう者は
    心のありかを問いつづける」



(2020/1/26 Sun.)
「夜の水」


煮沸されたよ
夜の水、
滅菌されたのは
ぼくの目だった
ぼくをうかべた
黒い水、
どんな魚を
溺れ死なせた?

麻酔に漬かった
プランクトンが
きのうの晩、だれかを
生み落としたらしい
沼地のそこから
ふきあげる
くさい風にも似た
産声が、
木につりさがった
仔猫のてあしを
生きてるみたいに
ぶらぶらさせる

だれも
あいつがだした紅茶は
飲みたがらない、
ノミタガラナイヨ。
母親の耳たぶを
刻んで
入れているって
ウワサだもん

(赤い水には、
 腸が浮かぶ
 茶色い水には
 尿がまじってる)

この泉の水も
半年前、あの娘たちが
身をなげるまでは
澄んでたものさ。
波ひとつなく、日差しにあふれ
人魚たちだって
目をうるませて、
わざわざ
死を
もとめたりは
しなかったものさ

〈水洗式の
 海馬なんだよ
 汚物といっしょに
 記憶をながす
 つまみをひねれば
 ほらこのとおり、
 きのうの朝日も
 おもいだせない〉

〈水洗式の
 葬儀なんだよ
 汚物といっしょに
 死体をながす
 紐をひっぱりゃ
 ほらこのとおり、
 生きた証も
 みずのあわ……〉

煮沸されたよ
夜の水、
消毒されたのは
ぼくの目だった
ぼくをうかべた
暗い水、
どんなひかりを
溺れ死なせた?



(2020/5/15 Fri..)

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Neetsha