トップに戻る

 署内の明かりは暗かった。蛍光灯の一つは消えかかっているが、設備の人間に文句を言っても中々変えようとはしない。目の前の書類の文字を読んでいると、目が余計に疲れてくる。

だが、一度読んだ書類は忘れることはない。特に子供が絡んでいたり、凄惨な事件である程そうだった。

 一年前。自衛官を辞めて千寿警察署の刑事課へ配属になった。千寿は自分の故郷であるし、町を良くしたい一心で決めたことだった。それは両親、親友、恋人、この町で生き、この町で死んだ者たちに誓ったことだった。

 午前七時三〇分。現場に行ったとき、思いのほか静かだった。早朝の、しかも通りに面した場所にも関わらず、皆何事もない風を装っていた。

 現場に来た報道関係者は、今のところ新聞社と放送局を合わせて二社のみ。どちらもリベラル派の報道機関だ。

 今朝、女性が通り魔にあった。被害者はミハラセツコ。六十三歳。千寿町北区の古いマンションに一人暮らし。五年前に夫を亡くし、息子夫婦は海外に生活拠点を移している。現場は住んでいるマンションから百メートルも離れていない道路の真ん中。ゴミを捨てに出かけた近所の男性が発見し警察に通報。

 被害者の衣服は冬物のランニングウェア。外傷は首と胸に刺し傷。いや、キリの様なものでくり貫かれたと言うべきか、傷は一直線上に伸びている。凶器は不明。もみ合った形跡も無かった。

 ただの強盗の仕業ではない、とウツミは思っていた。それは、刑事としての勘だった。

「おいウツミ。死因が分かったぞ。」

 目の前のデスクから話しかけてきたのは、グレーのスーツを着て、顎髭を蓄えた初老の男だった。

「死因は出血性ショック死。心臓を勢いよく貫かれて、背中まで裂けていたらしい。」

「何者かがジョギング中の彼女を刺した、ということですか。それも、手慣れた人間が。」

「生きて動いている人間の胸に、あんな綺麗に穴を空けられると思うか?気を失わせてから穴を空けたんだよ。」


「それは何の為に?」

「そりゃメッセージだろうよ。聞いたところによると、ガイシャはマンションからの立ち退きを巡ってトラブルになっていたらしい。例の署名運動なんかにも精力的だったそうだ。俺が思うに、龍門会絡みだな。」

「聞いたことがあります。龍門会はあの一帯の開発に一枚噛んでいると。」

「決まりだ。ガイシャは見せしめに殺されたんだ。どうせ、すぐに誰かが自首してくる。」

「だからと言って、投げやりに仕事をするのもどうかと思いますよ。シマさん。」

「はい、わかりました。刑事さん。」

 シマはため息を吐くと、デスクの上の書類を丸めてゴミ籠の中に放った。



 刑事課に配属になった当初、ウツミは相棒のこの男があまり好きではなかった。



 皮肉屋でやる気が感じられないし、近くで話すと、いつも酒の匂いがする。だがこの男は、裏社会と広い繋がりを持っているし、賄賂を受け取ることであろうと、犯罪者を痛めつけることであろうと、危険な犯罪者を捕まえるためならば、ルールを曲げることはまったく厭わないところがある。



 明らかに自分とは違うタイプの人間ではあるが、ウマが合う事の方が遥かに多かった。



「ですがシマさん。龍門会は先代の会長が死んでから、まだ半月しか経っていません。」

「じゃあキムの野郎だ。あいつは先代の後釜を狙っていたしな。ここで自分の影響力を強める気かもしれん。」



 龍門会は千寿を仕切る最も大きなヤクザの一つだった。主に地主や借主を脅して不動産を買収することに長けている。いわば地上げ屋だった。行政機関の上層部との繋がりが特に強い。



 半月ほど前に先代が殺されてからというもの、目立った動きはしていない。犯人は商売仇の外資系マフィアの一人とされるが、定かではない。



「会長に就任するには先代の敵討ちが条件でしょう。一人暮らしの女性を殺している暇はないはずです。」

「おいウツミ、何が言いたい。まさかお前、例の髑髏の怪人が犯人だと思っているのか?」

「いえ、奴は殺しはやらないでしょう。」



「どうしてわかる。あんな恰好をして犯罪者を痛めつけて自警団を気取ってる奴がマトモのはずがない。俺は、あまりお近づきになりたくないね。」

「そうですね。確かにマトモじゃない。」



 シマの言う通りかもしれない。だが、警察が犯罪者を野放しにしている今、誰が犯罪者を取り締まるのか。世間では最善のものも、それをまず実践する者がいなければ、何もならない。ウツミは書類を鞄に入れると席を立った。



「キムのところに行ってきます。何かを聞き出せるかもしれない。」

「あんまり無茶するなよ。今は向こうもピリピリしているだろうしな。」



 犯人は分かっている。あの夜、シグレと名乗って自分を殺しに来た彼女に間違いない。彼女は殺人に快楽を感じている。それに、心臓を正確に貫いて即死させる技量を持った者は彼女以外に知らない。必ず居場所を見つけて止めるしかない、とウツミは思っていた。



「あとなウツミ。交友関係に気を付けた方がいいぞ。特に若い娘にはな。」

 ウツミは苦笑すると、首を縦に振った。

トップに戻る

Tweet

Neetsha