Neetel Inside ニートノベル
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 十年前、私たち一家は千寿の北区に住んでいた。昔から北区は住宅街だったけど、当時は古い木造の家や、空き地なんかが多くあって、区画の整理が盛んに行われていた。



 だが町の発展に伴い、治安は少しずつ悪くなっていた。地上げ屋の横行、危険な宗教団体、自警団気取りの愚連隊。そして、犯罪取締人の「コーポス」と呼ばれる髑髏の怪人の噂。



 両親は私が生まれた年に二階建ての家を購入してから、ずっと住み続けていた。



 父は千寿北区の交番に務める巡査だった。連続強盗事件の犯人を現行犯逮捕して表彰を受けたこともある、実直な警察官だった。



 家庭では、優しさと厳しさの両方を持ったよき父親だった。私が卑劣な行動を取ったときは容赦なく鉄拳を喰らわせたが、人の為に行ったことは、どんなに小さい事でも褒めてくれた。私は父が嬉しそうに笑う瞬間が好きだったし、褒めてもらうことが嬉しかった。



 母はとにかく寛大で慈悲深かった。私に何か後ろめたい事があると、母はそっと私に寄り添い、話をじっと聞いてくれた。涙で濡れる私の頬をそっと撫でると

「大丈夫、貴方は私たちの子。とっても、優しい子よ。」と囁いた。



 幸せだった。父母の愛に包まれ、金銭にも不自由のない環境で育てられた。



 それを、私は忘れることはない。



 当たり前だと思っていた幸福がどれほど尊いものだったのか。それを踏みにじられたことの痛みも、それによって私が誓った決意も。

 私は決して忘れはしない。十二歳のクリスマスの夜のことを。





 その日は朝から雪が降り積もり、私は暖房のきいた二階の自室で、冬休みの課題を片付けていた。



 年を迎える前に終わらせれば、正月は何の憂いもなく父母とゆっくり過ごせる。下の階から母が焼いている鶏肉の香りがしてきた。もうまもなく夕食の時間だった。



 父の買ってきたクリスマスケーキを囲みながら、母の作ったごちそうを食べる。最高の時間になるはずだった。



 そのときだ。下の階からドン、と大きな音が聞こえ、家全体が震えたように感じた。

 後から聞こえてきたのは父の怒号、母の甲高い叫び声、皿の割れる音、何かが激しくぶつかり合う音。私は頭が真っ白になった。何が起こっているのかを考える前に、息を吸うのことすらままならなくなり、体は硬直して動かない。



 死。一瞬、頭にふっとよぎった恐怖。



 階段を駆け上がる音。何者かが自室に向かって来る。そして部屋の扉が開いた。



 母だった。



 青ざめた顔、乱れた髪、そして、いつも着けている白いエプロンには、真っ赤な絵の具をぶちまけたような大きな染みがあった。



「パパが撃たれた! 逃げなさい!」

「どこに逃げるの! ここは二階だよ!」



 再び、何者かが階段を駆け上がって来る音が聞こえた。一人、二人ではない。



 母は急いで部屋の掃き出し窓を開け、私の襟首を掴むと、勢いよく外に放り投げた。



 細身の母とは思えない力だった。投げられた私の体はベランダの手すりの上を通過し、雪に覆われた地面に向かって落下して行った。そして、後頭部に何かが当たる衝撃と共に、私の意識は途絶えた。



 

 目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。意識を回復した私に、ドクターや警察官がいくつか質問をしていたようだが、何を聞かれ、何を答えたのか覚えていない。



 覚えているのは、悪い夢を見た後の心の重い感覚。



 父と母に早く会いたい。悪夢であったことを確かめたい。



 だが、両親と再び会うことは無かった。遺体の損壊が激しく、欠損した部位が多かったらしい。呆然としていた私に、ある若い刑事が言った。



「私も君と同じくらいの年に、両親を冷酷な奴らに奪われた。強く生きるんだ。犯人は必ず逮捕する。」



 後日、犯人とされる四人の男のうち、三人が射殺された。だが、一人は現在でも行方を眩ませたままだった。



 両親を殺した連中は、ただのチンピラの集まりだったらしい。それぞれに接点はなく、両親を殺した動機も分からなかった。私が刑事になったあとも署内の資料を洗いざらい調べたが、犯人の名前と顔以外は分からず仕舞いだった。



 両親が亡くなって間もなく、私は遺品整理の為に現場に入ることを許された。



 一応の清掃は済んではあったが、住んでいた頃のそれとは別の、鼻にツンと刺すような消毒液の匂いが立ち込め、壊れた家具は撤去されたのか、ガランとした空間が広がっていた。



 目に入った両親の遺品を全て持って帰るつもりだったが、周りを見回すと、不思議とその気持ちは失せた。過去の思い出も、ガランとした室内も、全てが夢の中での出来事の様に感じていた。



 これは、と思うものを見つけては床に並べてはみるものの、両親との思い出に釣り合う遺品が見つからない。



 そして、最後に父のクローゼットを開けた。



 扉を開けると、わずかに父の香りが残っていた。この空間だけは荒らされなかったのか、父の背広がそのままの形でハンガーに掛かっていた。



 私は泣いた。涙が零れ落ちながら、一つずつハンガーを外し、背広に顔を押し付けた。



 父の香り。幸福が当たり前だった頃の香り。ようやく見合うものが見つけられたかもしれない。私はクローゼットから父の服を次々と出していった。



 その時だった。服を出し終えた私が、クローゼットの隅の奥を覗き込んだとき、「それ」はあった。



 古びた大きめの黒い箱だった。紙で作られており、何かのギフトボックスに見えた。



 一瞬、私は嫌な予感を感じた。開けてはいけない何かを見てしまう気がして、手が止まってしまった。開封していない衣服かもしれない。そう自分に言い聞かせ私は箱を開けた。



 箱の中は衣服だった。未開封ではない。白いレザージャケット、灰色のレザーパンツ。そして、それに、一番底には赤い髑髏のマスクが・・・。









「ちょっと待って。」



 アリスはウツミの言葉を遮った。困惑の表情を浮かべながら、言葉を選ぶように少しずつ口を開いた

「どうしてパパがコーポスを続けているのか、少しずつ分かってきた気がする。けど、傷を作りながら、こんな事を続けているなんておかしいと思う。」



「町を良くする為さ。アリス。」

「犯人達は、パパのパパがコーポスである事を知っていた。きっと誰かに雇われて、消しに来た。」

「それは考え過ぎだと思うよ。」



「違う。パパは嘘を付いている。町を良くするって言っているけど、本当は復習の為。パパのパパを殺した黒幕を探す為に、こんなに傷だらけになって戦ってる。自分がコーポスになれば、敵はまた襲ってくるから。」



 ウツミはすぅっと息を吐くと、微笑みを浮かべながらアリスを見つめた。



 悲しそうな目。アリスはそう感じた。

「アリス。私は、あのシグレと名乗った殺し屋が怪しいと思っている。奴を追えば、黒幕にたどり着くかもしれない。」



「けれど、あの夜、パパも私も殺されかけた。」

「そう。あの日、私は奴と向かい合ったとき動けなかった。君を守るつもりでいたのに、動けなかった。君が庇わなかったら、私は死んでいただろう。」



 アリスが俯いたとき、ウツミの手は震えているのが見えた。

「父のように死ぬのが怖かったのだろうね。町を良くする、大切な者達を守る、両親の復讐を遂げる、かつて、そう決心したはずに。」



 ウツミの肩は震え、手の甲には雫がこぼれ落ちていた。



 ウツミは、湧いてくる感情の波を抑えることが出来なかった。復讐鬼となった自分を隠すために、千寿の守護者の仮面を付けたのではないか。千寿を守り続ける父の決意の仮面を、自分は己を誤魔化す為に身に付けていたのではないか。死を目前にしたとき、守ると誓った者が傍にいたのに、自分は臆病だった。 



 ウツミが俯いたとき、アリスは、濡れたウツミの頬をそっと撫でると、耳元でそっと囁いた。

「パパは、私を守ってくれた。大丈夫。パパは優しい人だもの。昔から、ずっとずっと、優しい人だもの。」



 ウツミが顔を上げると、目の前には穏やかな笑みを浮かべたアリスの顔があった。自分にとって、初めて見る彼女の表情だった。



 ウツミはアリスと初めて出会ったとき、他者を寄せ付けない彼女の氷のような美貌に強く惹かれた。母との確執から、孤独に生きざるを得なかったアリス。

 生きてきた過程は大きく違う。けれど、生の果てに求めたものは自分と同じだったのかもしれない、とウツミは思った。



 ウツミはアリスの肩を抱き寄せると、彼女の唇に強く自分の唇を押し付けた。浅く、深く、角度を変えながら舌を絡ませつつ、アリスの豊かな乳房を衣服の上から愛撫する。



「パパ、まだ早いよ。せめて食事の後じゃ駄目なの?」

「ごめんよ、アリス。もう私は、私を抑えられない。」

 ウツミは寝台にアリスの身体を押し付けると、再び唇を重ね合わせた。

       

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