「見事な手前でした。シグレさん。」
扉の向こうから現れたのはキムだった。両脇に体格のいい部下を従え、いつも通りの柔和な笑みを浮かべている。
シグレはこの男が嫌いではなかった。まるで面を張り付けたような薄気味悪い顔や、時折部下に見せる荒っぽい仕草に対して嫌になることもあるが、契約は必ず守る男だったし、交渉次第では気前のいいところもある。殺しの稼業においては、信頼できるビジネスパートナーを見つけることが一番難しい。
「時間が掛かってしまった。それに、生け捕りには出来なかった。」
「いえ、始末しただけで十分です。それに、雇い主の検討は付いています。かの者の遺体は刻んで、そちらに送ってやるとしましょう。それと、貴女への見返りですが、現金以外がお望みでしたね。」
「そうだ。悪いがお前の部下を二名ほど、こちらに引き渡して欲しい。一人目はキタムラ・リョウ、二人目はパク・ソジュン。」
両脇の部下が一瞬身構えようとしたが、キムはそれを制した。
「宜しいでしょう。私は貸し借りを作らない主義です。ですが今は二人とも勾留中です。いずれ、お引渡ししましょう。」
「奇遇だな。私も貸し借りを作らない主義でな。例え死人の依頼であっても承諾した以上、必ず果たすつもりだ。」
シグレはキムに背を向けると、屋上のフェンスに向かって歩きだした。
「差支えなければ、依頼人の名をお聞かせ願えますか。」
「ミハラセツコだ。」
キムが瞬きをするのと同時に、漆黒のワタリガラスは、闇の世界へと飛翔した。
【水面の章 完】