Neetel Inside ニートノベル
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 晴天の空の下、ツツジは入口のシャッターを上げた。



 昨晩はひどい雨だった。お陰で患者は来ないし、患者がいないと自分の心も落ち着かない。



 とにかく誰でもいいから患者が欲しい。治療がしたい。擦りむいた傷には思い切り消毒液をぶっかけ、針が体に刺さったらナイフで切開したい。ツツジは院内の椅子に座ると、ピンセットを指の先でくるくる回し始めた。



 女医として二年前に千寿に診療所を構えてから、患者が絶える事は殆どなかった。千寿では毎日の様に諍いが元で怪我人が出るし、不衛生な環境に住んでいる者の多くは何らかの病を抱えている。



 また、ツツジが金の払えない者も構わず治療する為か、診療所にはひっきりなしに患者がやって来る。患者がいないと落ち着かない性分のツツジにとっては、理想的な場所だった。



 薬の在庫を確かめようとツツジが立ち上がったとき、入り口の方が慌ただしくなった。



 ツツジが外を確かめると、数人の男たちが駆けこんできた。



「ツツジ先生! 急患だ! ヤマさんの腰が折れちまった。」

 血相を変えた男たちが三人がかりで運び込んできたのは、六十代のホームレスの男性だった。背中が九の字に曲がり、荒い息をしている。



 千寿には毎年、多くの者たちがチャンスを求めてやって来る。身分に関わらず、才覚次第でビッグマネーを得られる。それが千寿だった。だが、失敗すれば、大通りから一歩外れた路地、秩序のない完全なアンダーグラウンドの世界に住むことを余儀なくされる。



「先生。朝起きたらよ、外でヤマさんが、腰が折れたって言って苦しんでんだ。」



「奥から二番目のベッドに腹ばいで寝かせな。ヤマさん、何をして腰が折れたんだ?」



「朝散歩していたら、帽子を落としちまった。屈んだら、腰が折れちまった。」



「ぎっくり腰じゃないのかい?」

「いや、この痛みはぎっくり腰じゃねぇ。骨が折れてんだ。」



 ツツジが尾てい骨の上を、親指でぐっと押すと、短い悲鳴と共に身体が跳ね上がった。



 ツツジはにやっと笑うと、続けざまに背中から腰回りを押していった。



 「先生! 止めてくれ! ヤマさんが可哀想だ!」

 指で押されるたびに悲鳴をあげている姿を見ていられず、男が止めに入った。だが、ツツジはその手を振りほどいた。



「煩い! あたしが大丈夫だと言ったら大丈夫なんだ!」



 胸腰筋膜の左下部を押したとき、ツツジは不適な笑みを浮かべた。

「ここか。」

 ツツジがその場所に親指を垂直に立て、体重をかけて押し乗ったとき、激しい苦痛で歪んでいた男の顔が、まるで何事もなかったかの様に緩んだ。



「あれ、先生。今はなんともねえや。すっかり治っちまった。」



「ただの腰痛だよ。今は何も感じないだろうけど、まだ痛みは残っているはずさ。明日、また来な。」



「すげえ。ツツジ先生は名医だ。」

 男たちは感心したような様子で、何度も礼を言い、去っていった。



 ツツジは院内の椅子に座り、天井を見上げていた。

 つまらない。もっと心が躍るような患者に出会いたい。例えば重傷を負っている美少女が良い。絹のような長い黒髪に、細く白い手足。きりっと整った目鼻立ちに、何者をも寄せ付けない気の強さ。全身に負った傷の上から消毒液をぶっかけて、苦痛に歪んだその姿を慰めたい。ツツジは妄想に耽りながら、椅子をくるくると回転させた。



 注射器の在庫を確かめようとツツジが立ち上がったとき、入り口の方が慌ただしくなった。

ツツジが外を確かめると、先ほどの男たちが駆けこんできた。



「何だ? また腰痛か?」



「ツツジ先生! 急患だ!」



 ツツジは男たちが運び込んできた者を見てぎょっとした。血に染まった黒いコート、不自然に折れ曲がった腕、鳥の装飾の入ったヘルメット。明らかに、ホームレスの類ではなかった。



「先生、多分こいつはどこかの殺し屋に違いねえ。だけど、どうやら生きてるみたいなんだ。」



「生きているのか? 私は死人を診ないぞ。」



「間違いねえ。さっきまで息をしていたんだ。」



「ひとまず、コートを脱がせて、ヘルメットを取って、一番奥のベッドに仰向けに寝かせな。」



 千寿ではこういった類の患者が運ばれてくる事がある。

 だが、殺し屋同士の戦いで傷を負った者たちの多くは、治療の甲斐なくベッドの上で亡くなるか、退院して間もなく争いで命を落とすケースが多い。



 以前、敵対する二人の殺し屋を同時に治療するも、次の日に診療所の前で戦いを始め、互いに相討ちになって息絶えていたこともある。



 酷い怪我を治療するのは吝かではないが、殺し屋の治療は好きではなかった。



 男たちがヘルメットを外したとき、思わずツツジは息を飲んだ。

「せ、先生、どうしたんですかい?」



 ツツジの目は見開き、口角は吊り上がり、手はぷるぷると震えていた。

「大丈夫。この娘はあたしがずっと面倒を見るよ。」



 ツツジの只ならぬ雰囲気に、男たちは思わず後ずさった。

       

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