事務所の空気は重かった。



 送った刺客は全て殺され、シマは接収され、部下は逃げ出し、敵方に寝返る有様だった。



 黄土色の高級チェアに背を持たれかけ、ナカムラは憎々しい表情のまま煙を吐いた。室内をシガー特有の香りが包んだ。



「いつから、こうなったんだろうな。」



 ナカムラは葉巻を咥えながら、虚ろな目で天井を見上げると、嘆息を漏らした。



 四十年前、二十歳の自分は玄龍会に入った。当時の会長だったアライ・ゲンジロウに取り立てられ、大きなシマを任された。だが、同僚のクーデターで会長は殺されて組は半壊。その後、千寿を二分した騒乱に辛うじて勝利したのち、規模を縮小しつつも名を龍門会に改め、自分はその隆盛に力を尽くしてきた。



 ところが、今の龍門会は、一年前まで傘持ちだった男が幅を利かせている。数か月前、その男に目をかけ、取り立てた会長が暗殺された。以前より、自分は会長の片腕として忠告していた。あの男を決して信用してはいけない、と。



「恩知らずの、キムのクソッタレめ。」



 ナカムラは机を強く蹴り上げた。思わず、傍らに起立している部下がたじろいだ。



 黒幕はキムに間違いない。キムは殺し屋を雇わないと公言しているが、送り込んだ女刺客は無惨に殺された。彼女は腕のいい殺し屋だった。だが、腐食し、バラバラに刻まれた状態のままダンボールに入れられ、事務所の中に投げ込まれた。



 遺体を調べると、脇腹と喉を何かで貫かれたような傷跡があり、殺し屋の仕業に間違いないという。



「もう、龍門会の主になったつもりか。」



 龍門会のシマの多くは、キムの息が掛かった者達に任されている。だが、自分は諦めていない。キムの台頭を快く思わない者もまだいるし、殺された先代会長の復讐を望む者達を焚きつければ、まだ、勝機はある。



 ナカムラは傍らの部下を呼んだ。



「おい、アオヤマ。シオタニに電話をかけろ。今が先代会長の無念を晴らす好機だ、と。」

 シオタニは実直な男だった。キムにシマは取り上げられたが、先代会長の仇を討つために、子飼いの腕のいい刺客を養っている。シオタニがキムに揺さ振りをかけている間に、反キムの者達を集い、一機にカタをつける。そして、キムを抹殺する。



「カシラ。シオタニさんに電話が繋がりません。」

「繋がらない訳がないだろう。番号を間違えたんじゃないのか?」



 しかし何度掛けても、シオタニは出なかった。



 キムに先手を打たれたのかもしれない、ナカムラがそう思ったとき、事務所の入り口から、金具を激しく打ち付けた様な、甲高い金属音が聞こえた。



 ナカムラは身に迫る危機を本能的に感じた。

「きっとキムの野郎だ! 道具貸せ! テーブルを倒して身を伏せろ!」



 ナカムラの部下たちは四人掛かりで長いテーブルを扉に向けて横に倒すと、みな一斉にその陰に隠れた。それは万一に備えて分厚いチタンで作られており、大概の火器であれば貫通を容易に防ぐことが出来る代物だった。



 四人の部下は皆、拳銃の安全装置を外し、ナカムラもまたショットガンを構えた。



 だが一向に、相手が部屋に入ってくる様子がない。アオヤマが訝しげにテーブルから顔を出すも、敵の姿はなかった。



「カシラ。気のせいじゃないんですか?」

「嵐の前の静けさってあるだろ。今が其れだ。油断するな。」

 ですが、とアオヤマが言いかけたとき、入り口の扉が吹き飛び、硝子と共にテーブルの端に直撃した。



「来やがった! 撃ちまくれ!」

 ナカムラ達がテーブル越しに銃を構えたとき、再び室内に金属音が鳴り響いた。



 その瞬間、目の前から猛烈な風圧を顔に浴び、思わずナカムラは尻餅をついた。そして、自分の目を疑った。扉にむけて盾としていたチタン製のテーブルが縦から両断され、目の前にいた四人の部下の首が宙を舞い、足元にアオヤマの首が鞠のように転がった。



 この手前、覚えがある。



 ナカムラは僅かな時間の間に記憶を呼び起こした。



 アライゲンジロウを殺し、玄龍会を壊滅させ、都市の全てを掌握し、千寿のキングとなった男がいた。その男の強権的な手段から、千寿に住む闇の勢力は二分され、大規模な騒乱となった。誰もが、その男の首を狙った。だが、たった一人の刺客によって、全員血祭りに上げられた。その者はのちに、男を庇って右半身に大火傷を負い、姿を消した。



 ナカムラは過去、玄龍会の残党として、一度この者を遠目に見たことがある。男が数人掛かりで持ってやっとの大方天戟を担ぎ、正面を向いたまま一振りで十人近くの敵の首を刎ねた。



「キムの手の者ではないな。」



 ナカムラは上を見上げると、目の前には白いスーツを着た長身の女性がいた。全ての髪を後ろに短く束ね、見方によっては男性にも見える。だが、ナカムラの目を引いたのは、その者が隻腕だった事に加え、手には九尺ほどの長さの大方天戟が握られていることだった。



「如何にも。」

 女は短く答えると、大方天戟を左手で軽々と持ち上げ、ナカムラを見下ろした。



「主の新たな戦の為、死んでもらう。」

「分かった。だが死ぬ前に、お前の名前を教えてくれ。どうしても、思い出せない。」



「我が名は、呂角リウ・ジャオ 。」



「呂角か。漸く思い出した。だが、死ぬのはお前だ。」

 足元のショットガンに手を伸ばそうとしたとき、ナカムラは落下していく感覚と共に、自分が床から天井を向いていることに気づいた。目の前には、血しぶきを吹き出し、倒れていく自分の身体があった。



 目の前が赤黒くなっていき、ナカムラの意識は途絶えた。