Neetel Inside ニートノベル
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 昨日と比べて、身体は軽かった。



 一日が経つごとに動ける部分が増えてきている。



 昨日は短槍を取ったが、撃たれた右肩に痛みはなかった。



 三週間前、秘伝の座薬から逃れようとベッドから這い出たときは、一歩も動けずにツツジに捕まって酷い目にあった。思い出したくないほどの荒療治だったが、死にかけの自分を一月も掛からず此処まで回復させたのだから、本当は名医なのかもしれない。



「夕食だよ、シグレちゃん。」



 白いカーテンの向こう側からツツジの声が聞こえた。



「今日は、座薬は無いんだろうな。」



「無いよ。だけど夕食のあと、秘伝の注射を打たせて貰うけどね。」



 シグレはベッドに潜り込むと、亀の様に丸くなった。



「あの注射は嫌だ。脳がくらくらして身体が熱くなる。」



「治りは早くなるよ。それに、見舞いに来てくれた友達の為に早く良くならなくちゃね。」



 二週間前、ライゾウの弟子のアカメが診療所に来て、早く治って仕事をしろ、とライゾウからの伝言を残して去って行った。アカメとは同年代の者として、言葉を交わすことも少なくなかった。今のところ、友人と言えるのは彼女のみと言っていい。



「シグレ。我儘を言わずツツジ先生の言う通りにしろ。仕事を持ってきたぞ。」



 突然、カーテンの向こう側からアカメの声が聞こえた。



「ツツジ! アカメが来ている事を何故言わない!」

 強い剣幕でカーテンを開けたシグレを見て、ツツジとアカメは思わず微笑んだ。



「いや、アンタが余りにも我儘だから、アカメちゃんに来て貰ったんだよ。」



「休暇はここまでだぞ、シグレ。お前が居ない間に色々な事が起こった。主に呂角絡みだが。」



 呂角。アカメの口からその名前が出たとき、シグレの表情が張り詰めたものとなった。



 自分を追い込み、殺しかけた相手。



 かつて、コバックスから名前と当時の武勇を聞かされたことがある。



 白いスーツを着た男装の麗人で、大方天戟を振るえば天下無双の武人。銃弾を躱し、一閃で複数人の首を刎ねる。さきの騒乱では数えきれないほどの殺し屋を血祭にあげた。だが、爆発物から主人を守って右半身に大火傷を負い、姿を消した。



「呂角か。奴には借りがある。今はどこにいる?」



「三日前に龍門会の会合に表れて、七十人近くの組員を地獄と病院に送った。他にも六文組の刺客が暴れまわり、死傷者は数えきれない。現在、ライゾウ様とキムが今後について対策を練っている。」  



「キムは生きているのか?」



「生きている。他の幹部には死んだ者もいるというのに、まるで生かされたようだ。」



 妙だ。龍門会は会長を殺されてから、実権を握っているのは最高幹部のキムだった。龍門会を壊滅させる絶好の機であったというのに、敢えてキムを殺さなかったのは何故だ。



 シグレが考えを巡らせていると、アカメはベッドの上に地図を広げた。



 地図は千寿の町をコピーしたもので、赤い印と青い印が所々に付けられている。



「赤は六文組に連なる組で、青は龍門会やライゾウ様の傘下だ。今はまだ両手で数える程度だが、ゴンゾウが仮釈放されてからというもの、六文組に同調する連中が増えてきた。」



「今からでも、私は奴や呂角を殺す。居場所を教えろ。」



「私はその為に来た。これはライゾウ様やキム、そのほか主だった組のトップからの依頼だ。責任は重大だが、報酬は計り知れない。」



「当然引き受ける。奴らに借りを返す絶好の機だ。」



 アカメは地図の南端、赤い印のある部分に指を指した。



「陸道組。かつてはゴンゾウの派閥として、十年前の騒乱を戦った連中だ。今は組をたたんで、自動車修理工場を経営している。そこに、ゴンゾウと呂角は潜伏している。」



「間違いないか?」



「確かな情報だ。この情報を得るために、多くの間者が死んだ。失敗は許されないぞ。」



 シグレは頷いた。ゴンゾウと呂角を纏めて葬る千載一遇の好機だった。



「ライゾウ様の命で、私も出来うる限りお前のサポートをする。決行時刻は今夜の二十三時十五分。それまでに工場内の構造を、よく頭に入れておけ。」



 アカメは工場の図面を地図の上に置くと、用は済んだとばかりに扉から出て行った。



「相変わらず、疾い奴だ。」



 シグレは工場の図面を見たとき、思った以上に複雑な構造をしていると思った。



 曲がりくねった小さな通路。所々、用途の分からない行き止まりがある。



 まるで簡単な城だ。有事の時を見計らって建造したのかもしれない。



 ゴンゾウと呂角が一緒にいる可能性は高い。恐らく、工場内の大きな一室を使用している。



「また怪我をしたら、アタシのところに来な。」



 図面を見つめているシグレに、ツツジが不意に話しかけてきた。



「座薬を辞めてくれるなら、いいだろう。」



「死んだらお終いだからね、シグレちゃん。必ず生きて帰ってくるんだよ。」



 シグレが見上げると、ツツジははいつもの妖しげな雰囲気からは想像できないほど、不安げな表情を浮かべていた。



「大丈夫だ、ツツジ。私はもうヘマはしない。全てを終わらせて、此処に生きて帰ってくる。」



 生きて帰る。今まで他人にそう言った事が有っただろうか。孤独に生き、孤独に死ぬ。生きるべくして生き、死ぬべくして死ぬ。母を失い、父に無下にされ、コバックスに去られてからというものの、それが自分の生きる道だと思っていた。自分は変わったのか、シグレは自分の感情に対して不思議な違和感を覚えた。



「わかった。アタシはシグレちゃんを待つよ。」



 ツツジはシグレの髪に手を伸ばすと、その長い黒髪をそっと撫でた。



「シグレちゃんの仕事モードの顔、アタシは好きだな。」



「それが私の本当の顔だ。」



 シグレは苦笑しつつ俯いた。

       

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