Neetel Inside ニートノベル
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 最初はただの窃盗犯だと思った。



 表の通りから一歩入った路地で、身なりの良い中年女性からバッグを奪った男二人を見たとき、ウツミは間髪入れずに一人を打ち倒した。



 千寿では珍しい事ではなかった。日々、たとえ日中であろうとも陰惨な事件は起こる。



 髑髏の犯罪取締人コーポスとなって以来、多くの犯罪者を相手に戦ってきた。



 そして、今回の彼らも何処にでもいる犯罪者達の一人に過ぎないと思った。



 だが、目の前を走る男の足は速かった。



 父から受け継いだコーポスの装備は軽く、動きやすい様に出来ていた。薄い防刃チョッキと、カスタムスチール高強度の手甲のみで、身体を束縛する者はない。そして自分もまた、自衛官時代は健脚として上官から評価された事もある。



 その自分が追い付けない。



 一歩も距離が詰まらないまま、右へ、左へと縦横無尽に駆ける男に翻弄されていた。



 ただの窃盗犯ではない。ウツミは本能的にそれを感じると、更に足を速めた。



 何処かへ誘き出されているのかもしれない事は、目の前の男を追う最中に感じた。



 だが、退くことも、諦めることも出来なかった。



 これ程の男を囮に使い、何者かが自分を誘い出して始末する事が目的であるならば、其れは父の死の謎を解く鍵となるかもしれない、とウツミは思った。



 千寿中央のビル群を抜け、どんどん北へ向かって行く。北に広がるのは千寿で最も危険な地区であり、たとえ髑髏の仮面を被った男が路上で死んでいようとも誰も気にとめないだろう。自分を誘き出して始末するのであれば、これ以上の場所はない。やがて、薄暗い灯が見えてきたとき、徐々に男との距離が縮まってきた。



 男は狭い路地に入ったとき、足が縺れ始めると同時に上半身が揺れ動き、徐々にスピードが落ちてきた。



 ウツミはその機を見逃さなかった。



 前方に跳躍すると、右手で男の襟首を掴み、その場に引きずり倒した。そして、左手で荒い息をしている男の襟を掴むと、右拳を振り上げた。



「誰の差し金だ!」



「お前は終わりだ、コーポス。此処で、無様に死ね。」



 ウツミが拳を振り下ろそうとした瞬間、男はにやっと笑うと、口からアーモンドに似た香りの息を吹きかけた。シアン化カリウム。ウツミはとっさに判断した。それはシアン化水素特有の特徴的な臭気だった。肺に入れば、臓器を壊死させる



 ウツミが飛びのいたとき、男は口から血の混じった泡を吹きだして意識を失った。



 首筋に手を当てると、男は既に事切れていた。逃げ切れないと判断して毒を飲んだのかもしれない、と思うと同時に、ウツミは嫌な予感がしていた。



 ただの犯罪組織の仕業ではない。これ程の男が命を捨ててまで自分を誘き出したのが何よりの証左

だった。まず思い当たるのは龍門会であったが、龍門会は数週間前に何者かの襲撃に遭い、幹部や組員を大勢殺されている。そんな時期に自分に構っている時間はない。



 信仰宗教絡みか、もしくは新たな犯罪組織か。



 ウツミが考えあぐねていたとき、何処から何者かの気配を感じた。



 恐らく、二人。こちらを見つめ、僅かな殺気を放っている。



 シグレやコバックスの物とは全く違う。



 まるで発する気を無理に覆い隠し、こちらを伺いながら間合いを取っている。



 ウツミは目を瞑ると感覚を研ぎ澄ました。一人は屋根の上。もう一人は、前方の闇の奥。

一人が仕掛け、もう一人が仕留める算段なのかもしれない。だが、相手の得物が分からない以上、少しの油断が死を招く。ウツミは半身に構えた。



 そのとき、前方より風を切る音が聞こえた。



 何かが自分に向けて放たれた。明らかに弾丸ではない。ウツミは瞬時に拳を握りしめると、手甲を下向きにし、肘のバネと手首の返しで素早く其れを打った。



 拳が当たった瞬間、指先から肘にかけて想像以上の衝撃が加わった。まるで分厚い鉄板を殴った時の様に、グローブ越しでも痺れるような痛みを感じた。



 ウツミが二、三歩と退いたとき、目の前にもう一つの影が下りてきた。



 予想の通りだった。ウツミは相手が得物を突き出すより前に懐へ踏み込むと、釣り手で、相手の右肩を掴み、背負い上げたまま引手で後方に投げ飛ばした。



 相手は短い悲鳴と共に地面に叩きつけられた。女の声だった。



 ウツミが振り向くと、それまで上空の雲に隠れていた月が出で、襲ってきた二人の姿が露わとなった。ボディースーツを来た二人組の女だった。一人は小ぶりの鎖鎌を持ち、もう一人の手には短刀が握られていた。



「流石だな、コーポス。私の放った分銅を拳で打ち砕き、シズカを投げ飛ばすとはな。」



 その声は、まるでシグレを連想させる様な冷徹さを孕んだものだった。



 二人共、人を殺し慣れている、いや慣れすぎると言ってもよい程の雰囲気を持っている、とウツミは思った。



「貴様は何者だ。なぜ、私を襲う。」



「私は六文組のチヅル。我らが主の為に、お前には死んでもらう。」



「六文組だと? お前達の主とは何者だ。」



 六文組。千寿の小さい組という印象だった。このところ動きが活発し、組員の中には腕利きの者もいるという話を聞いた事がある。



「話す必要はない!」



 チヅルは左手の鎌を真横に構えると、ウツミに向かって駆け出した。



「囲むぞ! シズカ!」



 チヅルの左から鎖が放たれ、ウツミの右腕に絡まった。



 利き腕を拘束され、引き抜こうにも巻き付いた鎖はビクともしない。背後から短刀を構えて駆けてくるシズカの足音が聞こえる。



 死ぬ訳にはいかない。一瞬頭の中にアリスの表情が見えたとき、ウツミは自ら身体を鎖に絡みに行くようにチヅルの懐目掛けて飛び込んだ。

       

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