コバックスと名乗る西洋人に担ぎ込まれたシグレの姿は痛々しいものだった。
ワタリガラスを模したヘルメットを取ると、泣き腫らし、茫然とした表情をしたシグレの顔があった。衣服を脱がせて診察をするも、軽い打撲以外に外傷はなかった。
コバックスは何時の間にか姿を消してしまっていたし、アカメに聞くもただ首を傾げるのみだった。
担ぎ込まれてから四日、ツツジは途方に暮れていた。
シグレは食事や水すら取らず、今夜も点滴を打ちながらベッドに横になっているのみだった。
話しかけても一切反応せず、ただ、天井の虚空を見上げている。
医者は身体を治せても、壊れた心を紡ぎ直すことは出来ない。
二年前に診療所を開いて、暫く経ったある日、同じような症状の患者を診たことがある。
三十手前の痩せた女性で、路上強盗に遭い、目の前で夫を殺されて心神喪失のまま運ばれてきた。腕の切り傷を治療するも、退院して一週間後に飛び降り自殺を図った。
医者になってから、これほど虚しいことはない。
何の為に医者は存在しているのか、何の為に自分は医者となったのか、ツツジ自身も暫くの間、気持ちが塞ぎ込んで仕事が手に付かなくなった。心を損傷したとき、それを治療できるのは当の本人でなければ難しい。他人が治せるとすれば、それは魔法であり、それを使える人間はこの世に存在しない。
ツツジが点滴液の在庫を確かめようと立ち上がったとき、診療所の扉が開く音がした。
入口の方向を向いたとき、ツツジはぎょっとした表情を浮かべた。
扉の向こうから現れたのは、全身に襤褸布を纏い、異様な雰囲気を放つ者だった。
「し、死神じゃないだろうね。」
「イザヤと申します。迷える私の主人に、道を指し示すべく参りました。」
「シグレちゃんの知り合いかい? でも悪いけど、今は面会謝絶だよ。」
ツツジは道を塞ぐ様にイザヤの前に立った。
イザヤの言う主というのはシグレの事なのかもしれない、とツツジは直感的に感じた。しかし、そのいで立ちは余りにも妖しげではあるし、口調は穏やかだが、まるで畏まる様子がなさそうな言い方に思えた。
「左様ですか。では不躾ながら、此処より主に申します。」
イザヤはゴホン、と喉を鳴らした。
「我が主に申し伝えます。貴女を造った主は、今こう言って慰めておられます。」
「恐れるな。私は貴女の命を買い戻したのだ。
私は貴女の名を呼んだ。貴女は私のものだ。
たとえ水の中をくぐり、大きな困難にぶつかっても、私は共にいる。
悩みの川を渡るときも、溺れはしない。
迫害の火の手が上がり、そこを通り抜けていくときも心配はない。
炎は貴女を焼き殺さないから、恐れることはない。
私は主、貴女の神、貴方の救い主。
やがて、貴女を生かす為に他の者が犠牲になるだろう。
貴女の命を買い戻すため、他の者の命と交換するだろう。
私にとって、貴女は高価で尊いからだ。
私は貴女を愛している
恐れるな。私がついている。
私は貴女を、私の栄光のために造った。
貴女は私の僕だ。
私を信じ、私だけが神であることを知るために、貴女は選ばれたのだ。
私の他に神はいない。今までも、またこれからも。
私が主であって、ほかに救い主はいない。
わたしは力を示す。ただ一言で、貴女を救う。
永遠から永遠まで、私は神である。
私が何かをしようと身を起こすとき、その前に立ちはだかる者はだれもいない。
見よ。私は世の終わりまで、いつも貴女と共にいる。」