Neetel Inside ニートノベル
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 まるで音を奏でるように穏やかな口調で謡うイザヤに、ツツジは目を奪われていた。



 イザヤが何者であるのかは分からない。だが、この男は現世で生きる者とは離れた場所に存在しているような錯覚を感じさせられた。



 そのとき、背後からカーテンを開く音が聞こえた。



「イザヤか。折角来たところ悪いが、私はもう駄目だ。」



 ツツジが振り向くと、寝台の上に胡坐をかいたシグレがいた。それまで半死半生で臥せっていたとは思えないほど、口調はハッキリしている様に思えた。



「貴女にはまだ御役目があります。此処で立ち止まってはなりません。心身共に傷つき、生きるに耐え難い状況であろうとも、貴女を造った主は私を通して語られます。どんなどん底の状況でも、貴女は高価で尊いと無償の愛で呼びかけてくださるのです。」



「私はあのまま、糞尿に塗れたまま死んでも良かったのかもしれない、と思い始めている。」



「それはなりません。貴女はこの滑稽な、冷酷な物語を一刻も早く終わらせなくてはならないのです。其れはやがて、別の物語の始まりとなるでしょう。」



 シグレは思い詰めた顔のまま俯いた。



「イザヤよ、その物語とやらを終わらせるのは私でなくてはならないのか? 千寿にはコーポス、ライゾウやキム、ゴンゾウやその一派がいる。彼らがやがて、此の馬鹿げた騒乱を終わらせるのではないのか?」



「終わらせるでしょう。ですが、其れは千寿を覆う闇を更に深めていくだけであり、真の平穏とは程遠いものです。ワタリ・ゴンゾウ、彼は生きるも死ぬも己が道の上であり、とても万人を導いて行く事は出来ません。」



 イザヤの言っている事はツツジには理解出来なかった。だが、イザヤの言葉がシグレの心を少しずつ解きほぐし、重い呪縛から解放しようとしている様に思えた。



「なら、私はどうすればいい。」



「貴女が歩むのは、命を刈り取りつつ血しぶきの中を進む修羅の道。千寿に蔓延る闇に血の代償を支払わせて、千寿に新たな光を齎すのです。」



「其れが、私の道だというのか。」



 シグレは顔を上げた。その眼には、先程まで失われていた灯がともり、射るような眼差しをイザヤに向けていた。



「イザヤ、お前は最悪の奴だ。だが、理解した。私は、私の道を歩けばいい。それで良いのだろう?」



「仰る通りです。貴女がこれから為す事、得るべきはその中身でよいのです。貴女は、貴女であればよいのです。」



 シグレは寝台から降りると、コートを羽織った。



「ツツジ、面倒を掛けたな。私は退院だ。」



 シグレに話しかけられて、ツツジは我に返った。



 行かせたくない。きっとまた、ボロボロになって帰ってくるに違いない。



 それでも、ツツジは頷くしかなかった。それがシグレの道なのであって、誰も其れを拒む事は出来ない。



「シグレちゃん、退院おめでとう。だけど、アタシはいつでも待っているよ。アタシはアンタが好きだから、それに、愛しているから。いつでも、帰って来ていいからね。」



「ありがとう、ツツジ。座薬は勘弁して欲しいが、私は必ず戻ってくる。此処が、お前が大切な存在になったからな。」



 シグレはワタリガラスの装飾が施されたヘルメットを被ると、外の世界に向かって駆け出した。



 今宵ワタリガラスは、千年の都に舞い戻り、その羽根を再び羽ばたかせた。





                     【双月の章  完】

       

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