Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 目が覚めたとき、アリスは寝台の上にいた。

 上体を起こそうとするも、身体は鉛のように重く力が入らない。

 目で周りを見回すと、天井には裸の電球が一つぶら下がり、打ちっぱなしのコンクリートで囲まれた二間四方の部屋だった。カビのような、果物が腐ったような匂いがする。一方に鉄格子がなされ、奥には人らしき影が見える。

 アリスは、自分が置かれている状況を反芻した。自分は喫茶店にいた。そして眠らせられて此処にいる。もう一度部屋を見回して、助け出された訳ではないことはすぐに理解した。

 声をあげようにも、奥にいる人々は母の「友人たち」であるだろうし、自分が目覚めたと知れば何か、おぞましい事をしてくるようにアリスは思えた。

 今は寝ているフリをして逃げるチャンスを待とう、と思ったとき、鉄格子に近づいてくる足音が聞こえた。

 アリスはほんの少しだけ目を開けると、鉄格子の前には、金色の牛の面を被り、男根を露出した男が剣を持って立っていた。アリスの身体は思わず本能的に動いてしまっていた。

 このあとに、自分に降りかかる最悪の事態が頭をよぎった。

「おはよう。サキちゃん。」
 母の声がした。よく見ると、牛の男の後ろに母らしき影が浮かんでいる。薄目で見ると母ではない、何か異形の者に見えた。

「これは何?この男が私をレイプして、一体何になるというの?」
「あなたの為なのよ、サキちゃん。そして私たちの為でもある。みんなで、いつまでも幸せに暮らすには、これが一番良い方法なの。」

 アリスは鉛のように重い身体を引きずるように後ずさるも、身体が思うように動かない。牛の男が鉄格子に手を掛けると、勢いよく開け放った。そして、アリスを黒い瞳で見詰めた。
「どうか怖がらないでください。私も彼女も、貴女と共に生きたいだけなのです。」

 牛の男から発せられたのは司祭の声だった。牛の男は剣を床に置くと穏やかな口調で語り始めた。

「私は二カ月ほど前、貴女の夢を見ました。光の届かない荒れ果てた大地、いずこから聞こえてくる叫びは、嵐の日に逆風に叩かれて海が発する轟きに似ていました。地獄の颷風は、小止みなく亡霊の群を無理強いに駆り立て、こづき、ゆさぶり、痛めつけていました。私はその群のから離れた場所に、貴女を見つけました。貴女は血みどろの屍に支配され、自由を失い、時に内蔵を食い破られ、時に皮をはぎ取られ、そして、時に局所を愛撫され、噴き出した淫水を身体が干からびるまで吸い尽くされていました。私は感じました。貴女は性と暴力が支配する心の牢獄にいる、と。夥しい屍達が、自らの情欲の為に貴女を牢獄の中に入れたのです。」

 狂っている、とアリスは思った。

「愛するとは、若く美しい者を好んで手に入れたがったり、自分の影響下に置こうとするものではありません。愛するとはまた、自分と似たような者を探したり、嗅ぎ分けたりすることではないし、自分を好む者を好んで受け入れることでもない。愛するとは自分とは全く正反対に生きている者を、その状態のままに喜ぶことです。自分とは逆の感性を持っている人をも、その感性のまま喜ぶことであり、目の前の人間を、一人の人格として受け容れることです。故に、」

 牛の男はアリスの前に膝を付いた。

「私は貴女を、貴女一人の人格を愛します。決して肉体的な形状にではありません。貴女だけを、貴女その人を愛します。」

 牛の男の行動にあっけにとられていたアリスだったが、すぐさま鋭い目線を牛の男の黒い瞳へ向けた。アリスの眼には、氷の様な冷たさがあった。
「嫌だ。私は牛のお面を付けた変態さんに求婚される覚えはないわ。それに、女性の口説き方くらい、少しは勉強した方がいいと思うよ。」

 牛の男もじっとアリスを見詰めた。睨み合ったまま沈黙が流れた。

 アリスにとっては長い長い沈黙だった。仮に襲いかかってきたときは、身体は動かずとも、たとえ殺されても、目の前の男根を食いちぎってやる、とばかりに睨み付けた。そのときだった。


「誰だ!」
 鉄格子の外から男の声がした。直後、男の短い悲鳴と共に肉がひしゃげる音がした。

 アリスが外に目を向けると、一つの影は右へ。もう一つの影は左へ。鉄格子の外に見えていた影は、人形のように次々と弾き飛ばされていく。アリスの母とみられる影も既になかった。  

 そして、一人の影が闇の中から現れ出でた。
「現れたか。残虐なコーポスめ。」

 牛の男は床に置いた剣を拾うと、闇から出でた者に剣先を向けた。
「彼女を迎えに来た。」

 アリスには聞き覚えのある声だった。影が牛男に迫るたびに、徐々に光に照らされてその姿が見えてきた。

 それは、角の生えた赤い髑髏の頭だった。首から下は白いレザージャケットを羽織り、灰色のレザーパンツのいで立ちだった。

 牛の男はその場で剣を振りかぶった。剣の長さはやや短く、室内で取り廻すには使い勝手のよさそうな剣だった。そして、男までの距離をじりじりと詰めていく。

「すまないアリス、遅くなったね。迎えに来たよ。」 

 一瞬だった。牛の男が剣を振り下ろすと同時に、髑髏の男は左足で地面を蹴り一気に距離を詰めると、牛の男の鳩尾に右の拳を突き入れた。

 にぶい音と共に牛の男の背中がぴくっと痙攣した。髑髏の男が拳を引き抜くと、牛の男は剣を落とし、よろよろと前のめりに倒れていた。

「アリス。」
 髑髏の男に見つめられたアリスはただ茫然としていた。

 喫茶店で眠らされてから現在までの記憶を、頭の中で何度も反芻していたが、現実ではない、悪い夢を見ている気分になっていた。それに、目の前に立つ髑髏の男は本当に自分が知る『彼』なのか。

 考えが頭の中でぐるぐると回り始め、強烈な眩暈と共に頭の奥からズキズキと疼くような痛みに襲われた。 身体は今も鉛のように重く、ただ髑髏の男の真っ黒な目を見つめ返すしかなかった。

「おそらく薬を飲まされたのだろう。大丈夫。少し目を閉じていなさい。」
 髑髏の男は手を伸ばすとアリスの瞼をゆっくりと下ろした。

 意識は段々と遠のいていく。横に抱き上げられる感覚と共に、アリスは再び夢の中に落ちていった。

       

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