薄暗い階段を下り部屋に入ると、部屋に染み込んでいるような甘い香りがした。部屋の壁一面には赤い背景に巨大な竜の刺繍が施され、蛇柄のシートの掛かったソファーの上には中央のテーブルを境にライゾウとキムが向き合う様に座っていた。
「久しぶりだな、シグレ。身体は問題ないのか?」
「大丈夫だ、ライゾウ。久々の休暇を楽しんだところだ。」
シグレはキムの隣に座ると、火の着いたシダー片で口に咥えていた葉巻に着火させた。
「シグレさん、休暇も結構ですが、ゴンゾウを殺す役目を忘れてはいませんか?」
「あの時は邪魔が入っただけだ。まだ依頼は継続中だろう?」
シグレが横目で見ると、キムは少し老けた様に思えた。六文組や呂角に襲撃され、幹部の大半を殺された挙句、自分も命からがら逃げた。生きた心地がしなかったに違いないし、今も尚襲撃される恐怖に慄いているのかもしれない。キムは白い息を吐くと、葉巻を皿に置いた。
「早速だが本題に入りましょう、シグレさん。私は貴方に対する依頼を取り下げます。」
「それはどういう事だ。」
ライゾウは今にも怒り出そうとしているシグレを左手で制すると、目の泳いでいるキムに顔を向けた。
「俺も知りたいな、キム。俺はシグレ以上の刺客を知らん。何かアテがあるのか?」
「はい、より優秀な刺客を見つけました。名をスイレンと言い、若く、実戦経験こそ少ないものの、その技量は他を圧倒する女性です。私の見立てでは、シグレさんより上かと。」
「そんな素人に、私の代わりが務まるのか?」
「あそこまで私達がお膳立てした絶好の機を失い、標的を前にしながら逃亡した貴女よりはマシでしょう、シグレさん。」
キムがはっきりと言い切った瞬間、シグレは机を蹴り上げて立った。その顔は真っ赤に高揚し、目には激しい怒りの炎が灯っていた。
「殺されたいか! 薄汚い糞野郎!」
ライゾウは慌てて今にも短槍を取り出そうとするシグレの右手を掴んだ。
「落ち着け、シグレ。お前以上の刺客はおらん。恐らくそいつは呂角に殺されるのがオチだ。」
シグレは目に怒りを滲ませながらライゾウの腕を振りほどくと、キムを睨みつけた。
「いいだろう、キム。私の獲物をくれてやる。だが、二度とお前の依頼は受けん。お前が連中に無惨に殺されようと知った事か。」
シグレはキムに背を向けると、烈しい足音と共に部屋の外へと出て行った。
まずい状況になった、とライゾウは思いつつソファーに座ると頭を抱えた。
このままではシグレほどの手駒を失いかねないばかりか、最悪の場合ゴンゾウ側へ鞍替えしかねない。
「キム、そのスイレンという者は呂角やシグレよりも強いのか?」
「技量は上回るでしょう。隠密の技術も持っておりますし、間違いなく、今回の襲撃を任せてもよいでしょう。」
ライゾウは以前から六文組などのゴンゾウ側の組員を捕えては情報を聞き出そうと躍起になっていた。間者の数はこちらが圧倒的に多いが、得る情報に統一性がなかった。どんな末端の者であろうとも捕え、時折拷問にかけながら情報を聞き出そうとした。一週間前、六文組のシズカを捕えて激しい拷問をかけた。肉を削ぎ、爪を剥がし、皮膚を焼いたが、最期の時まで口を割ることはなく絶命した。
「得ている情報は少ない。今回の襲撃も不安定この上ない。罠の可能性もある。」
「彼女ならば、たとえ罠であろうともやり遂げるしょう。」
ライゾウは無言で頷いた。だが、何か嫌な予感がしていた。
自分はゴンゾウを殺す事ばかりに執着していないだろうか。
己がもし敵であるなら、まずは其処を突く。
「スイレンに伝えてくれ。今回の襲撃は慎重に行え。罠のときはすぐに撤収しろ、と。」
今回の襲撃が成功すれば騒乱は終わる、と自分に言い聞かせるも、ライゾウの不安は消えなかった。