可哀想な人達は、もういない。
千寿全てが、まるで祭りの様に活気づき、人を一人斬ったとて、渇きは癒えない。
「もう他の町に行こうかな。」
ソウジは曇天の下、ビルの屋上で大の字になって空を見上げていた。
風に混じって吹いてくる血の香りに浸るのは悪くなかった。だが、匂いで腹は満たせない。
「お腹が空いたね、虎眼丸」
古の鬼が使っていたとされる妖刀から、鞘越しにも分かるほどの強い霊気が滲み出してきた。
千寿で産まれ、千寿で生きてきたソウジにとって、闇と血と哀しみに包まれたこの都市は大いに魅力的な場所だった。
だが、それも既に終わろうとしている。
光に包まれた秩序の中で、自分は生きられない。
「最後に一人か、二人、斬って何処かに行こうかな。」
千寿で最も斬り甲斐のある人物は誰か。
ソウジは懐から、かつてサブロウに渡された紙の束を取り出した。
それは、六文組が抹殺すべき人物の名前を載せたリストだった。
改めて読んでみると、やたらと小者が多く目につく。
大者は呂角が悉く始末してしまっていた。
今も生きていて、かつ斬り甲斐のありそうな敵と言えば、ライゾウ、コーポス、シグレ。
「違う。つまらない。」
ソウジはリストを投げ捨てると、天を仰いだ。
空腹と喉の渇きは限界にきている。御猪口一杯の血を何杯飲もうとも、腹は満たされない。
大杯に目一杯に注いだ血でなければ、自分も虎眼丸も渇きを癒す事は出来ない。
「斬り甲斐のありそうな人は――」
居た。ソウジは目を見開いた。
どうして、今まで気が付かなかったのか。
千寿を紅蓮の業火に包み、狂乱の祭りを仕立て上げた張本人。
「ワタリ・ゴンゾウ。」
こうして名前を口に出してみると、なんと甘美な響きがするのだろう。
何者をも恐れない絶対的な王を嬲り、辱め、殺す。
あの厳かで精悍な顔を血に染め、血泡を舐めとり、舌を絡める。
生きたまま皮を剥ぎ、局部を切り取り、苦痛と惨めな思いをさせながら長い時間をかけて死に至らせる。そして、流した大量の血で全身を化粧する。
想像するほどに肌が泡立ち、気分が高揚し、股座がいきり立つ。
「ワタリ・ゴンゾウ。」
ソウジは、もう一度名前を呼んだ。
この都市はその名前に染まった。千寿は、既に彼の物。
千寿を去るに、これほど斬り甲斐のある相手がいようか。
ソウジは立ち上がると、虎眼丸を取った。
まずは彼を探さねばならない。
彼は血塗れの王。黄金の玉座にいようが、長年の血の匂いはそう簡単に消えはしない。
血の匂いを嗅ぎながら、風向きに従って歩き出した。