Neetel Inside ニートノベル
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 月が顕れ出で、北東から風が吹き始めた。



 王を凝視めている一羽のワタリガラスは被り物を取った。そして、羽を広げると、一振りの短槍を手の先に伸ばした。



「千寿の王が、無様だな。それでも、貴様はまだ王のつもりか?」



「これが、我の望んだ事だ。還るべき場所へ往くというだけだ。」



 月灯に照らされながら、白銀の短槍が煌めいた。シグレは薄明りの中に残像を残し、ゴンゾウの眼前に立つと、左手の拳銃を叩き落した。



「私の短槍が貴様の命を刈り取る前に、聞きたい事がある。」



 その声に宿るのは怒りか、憎しみか、哀しさか。首筋に槍先を突き付けたまま、シグレはゴンゾウの瞳に自分の貌を映した。



「今でも、ワタリ・チグサを愛しているか?」



「美しくなったな、シグレ。」



「ちゃんと答えろ。答えによっては、苦しまず殺してやる。」



 ゴンゾウはふっと笑うと、震えた左手で槍をぐっと掴んだ。



「死人など愛するものか。我が愛しているのはお前だ、シグレ。」



「殺してやる!」



 シグレは槍を首に突き入れようとするも、万力の様な握力で掴まれた短槍は、ぴくりとも動かなかった。



「シグレ、よく聞け。愛すべき娘の為に、我が命を差し出してやろうというのだ。」



「黙れ。今更になって、父親の様に振舞うな。これ以上、私を苦しませるな!」



 月光に反射しているシグレの瞳から雫が落ち、一滴がゴンゾウの顔に落ちた。



 僅かな飛沫音が鳴る中で、ゴンゾウはじっと涙に腫らした赤い顔を見上げていた。



「お前は何者をも恐れない殺し屋だろう、シグレ。そして今、この父の血を浴びて、お前は、お前になれる。雄々しく生きろ。怯むな、躊躇うな。己の道の上で、孤独に歩め。」



 シグレは顔から徐々に熱が引いていく感覚を覚えた。そして顔を伏せると、左手でゴンゾウのがっしりとした肩を掴んだ。



「問おう、ワタリ・ゴンゾウ。母と私を捨てて歩んだ道とは、天とは、何だったんだ。闘争の果てに、貴様は何を観たんだ。」



「如何なる者にも、歩むべき道があり、天命がある。我を見よ、娘よ。これより、我が闘争が往く果てを見せよう。」



 顔を上げたシグレの瞳に、ゴンゾウの微笑みが映ったとき、短槍を掴んでいた力が、ふっと抜けた。



 身体が前のめりに傾き、袖から伸ばしている短槍で肉を裂いた感触が、右手の腕を通じて伝わってきた。今まで、何十と味わった感覚だった。自らの手で、目の前の命を奪い、噴き出した血の飛沫が、全身に飛び散る。紅い血が槍身を通して手から滴り落ち、地面に血の斑点が落ちる。

幾度となく、自分が生きる為に行ってきた事だった。



 首から短槍を引き抜くと、目の前の大きな身体が仰向けに倒れた。



 シグレは力が抜けた様に、ぺたんと座り込んでいた。



 糞尿塗れのまま路地を彷徨っていた頃から、何かを失う事が怖かった。



 ずっと憎んでいた。殺したいと思っていた。そして漸く、その命を奪った。



 だが、今もなお目から流れ出てくる雫は何なのか。胸を締め付ける喪失感は何なのか。



 貴方は貴方であればいい、とイザヤは言った。



 お前はお前として歩め、と目の前の男は言った。



「殺しの術しか知らない私は、どうあればいい。どう歩めばいい。」



 答えは返ってこなかった。その代わり、遠くから獣の雄叫びが聞こえてきた。



 まるで荒ぶる鬼人が激しく慟哭したかの様に、怒りと悲しみが入り混じった叫びだった。



 シグレは怒りの獣と化した呂角の姿を見定めると、その場でゆっくり立ち上がった。



 決着を付けなければならない。



 両袖から銀の短槍を取り、遠目に見える呂角に向かって突進した。



 血に塗れた呂角の身体は、誰の血であるのか分からないほど赤く染まり、その眼からは大粒の涙が流れていた。左の頬は抉られた様に裂け、下顎は外れて涎が滴り落ちている。



「言葉まで失くし、鬼人と化したか、呂角!」



 シグレは空高く跳んだ。以前、呂角から襲撃を受けて敗れたときに、既にその間合いは見切っていた。だが、絶人の域となった今の呂角に通じるかは分からない。



 鬼人に、間合いは存在しない。此方が遠間に感じていても、鬼人にとっては一足一刀以下の距離となる。目測を少しでも誤れば、九尺の大方天戟は意図も簡単に自分を両断する。大地には、大方天戟を下段に構えた呂角が見える。



 シグレは空中で身体を錐揉み状に身を捻らせた。回転する勢いのまま繰り出された両手の短槍は月明りに煌めき、辺りを照らした。右手の槍先が呂角の胸元に伸びていく。



 そのとき、シグレは時間が止まった感覚に襲われた。自分に向けて、月牙を逆袈裟に斬り上げようとした呂角の動きが、ぴたりと止まっていたからだった。



 ほんの小さな偶然が、戦いの結果を変える事がある。



 それにも関わらず、その勝利が、新たな伝説を生む事がある。



 もし、ゴンゾウがその手で短槍を強く握りしめていなければ、そして、もしシグレが、ゴンゾウの血を全身に浴びていなければ、戦いの結果は異なったものとなっていたかもしれない。シグレの身体や短槍の根本から跳ねた血の雫が、呂角の顔に飛び散ったとき、呂角の目の前にはゴンゾウがいた。



「爸、爸――」



 繰り出された銀の短槍が、呂角の心臓を貫いた。その槍先は背中にまで達し、夥しい量の血が溢れ出た。シグレは瞬時に左の短槍で呂角の首を真横から刺し通した。



「人中の鬼人よ、ワタリ・ゴンゾウを、頼む。」



 シグレが短槍から手を離したとき、無双の鬼人が大地に崩れ落ちた。



 鬼人の亡骸から、それまで弾ける様に発していた膨大な気が、霧が晴れる様に跡形も無く消え失せていく。



 肩で息をしながら、シグレは天を仰いだ。



 王を殺し、最強の者を倒した。此れが、自分が自分として生きる道なのか。



 闇から出で、鋭利な銀の槍を携えてその道を往く。此れが、自分の天命の中身なのか。



 夜空には箒星の通った筋が見え、無表情の月が浮かんでいた。

       

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