Neetel Inside ニートノベル
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SIGURE The 1st Opera
堕葉の章

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 ユグドラシルの根元のミーミルの泉を飲み、知恵を得た。



 思考と知恵が研ぎ澄まされ、さらに嘘を付けるようになった。



 我々の主人は怠け者だ。



 必要な情報は、全て我々から得る。



 もうまもなく、風の冬、剣の冬、狼の冬が来るというのに。



 太陽と月が狼の子に飲み込まれ



 星々が天から落ち、大地と山が震え、あらゆる命が消えるというのに。



 全ての封印と足枷は消し飛び、束縛されていた者達がやってくるというのに。



 主は、我々の嘘を見抜けない。

     

 エメラルドと人間に、傷の無いものは存在しない。



 育つ過程において、過酷な段階を経なければならない。そして、それ故に結晶の中には無数の傷が内包されている。



 父は高潔な人間だった。



 叩き伏せられ、傷を負ってもなお、輝きを失わない。



 そんな父は、自分の誇りだった。



 十歳の頃、学校で数人の金持ちの子に痛めつけられた。

「くたばれ、職工の子。」



 吐き捨てるように投げかけられたその言葉に、自分は激しく傷ついた。



 泣いて帰ったとき、父にその言葉を伝えた。



 父は悲しそうな顔を浮かべつつ、慰めるように肩に手を置いた。

「いいか、ゴン。私も子供の頃に父の事で苛められた。だが、いつしかその傷は私の糧となった。自分を不幸とも思わなくていい。恥じることはない。どう生まれたかじゃない。どう生きるかが重要なんだ。」



 当時の自分は、父の考えを理解できなかった。ただ、父を侮辱された悔しさの念はより一層強くなった。受けた傷の痛みと、心の底から湧き上がる怒りに耐え続けた。



 父はあるとき、居間に母のチエと自分を呼んだ。



「チエ、ゴン、よく聞いてくれ。私は十二歳の頃、職人の父を激しく侮辱された。私だけではない。千寿に住んでいる貧乏な家の者たちは皆、金持ち連中から足蹴にされ、地べたを這うような辛酸を舐めてきた。私はそれを変えたい。そして今、その見込みが立った。」



 父はこれまでになく真剣な顔つきだった。



 母も自分も、父の一言一句を聞き漏らさないように聞いた。



「私は今回の市長選に立候補することに決めた。父を侮辱された日から、私はこのときの為に生きてきた。一人でも多く友人を増やし、借金をしながら資金を集め、ときには力のある者に媚びる真似もした。」



 一か月前、千寿の前市長は殺害された。汚職を発端としたマフィアとの諍いが原因だった。帰路につく途中を誘拐され壮絶な拷問を受けた挙句、翌日にはランドマークタワーの前で鉄棒に串刺しにされた状態で発見された。妻子もまた、そう遠くない場所で首を切り取られた状態の遺体が見つかった。



「当選する可能性は低い。だが、誰かが行動を始めなければならない。誰かが其の礎にならなくてはいけない。たとえ捨て石となろうとも、私はそれを成し遂げたい。だが、お前たちを巻き込む訳にはいかない。故に、お前たちとは縁を絶つことに決めた。」



 縁を絶つ。その言葉を聞いて、自分は目が回るほどのショックを受けたが、母のチエは終始落ち着いた様子だった。



「貴方、私達は常に一緒です。たとえ縁を切ったとて、貴方が殺されてしまったら何もなりません。それに私は今まで、貴方が其の志の為にどれほど苦労をなさったかも知っています。最期の時まで、お手伝いさせてください。」

 母の言葉に父は俯いた。静寂な時間の中で、自分は肩を震わす父の姿を見ていた。



「父さん。俺も協力する。」

 言葉を発するつもりはなかった。頭の中は混乱していた上、その只ならぬ雰囲気に戸惑っていた。だが、内在する想いが父の意志と同期したかのように、口が思わず動いていた。父は驚いた顔で私の瞳を見た。



「ゴン。チエも、お前たちは俺の誇りだ。明日から一緒に頑張ろう。」

 父は短くそう言うと、足早に奥の部屋へ去っていった。

     

 三か月の監視期間を終えたゴンゾウが六文組に入ったことを聞いたとき、ライゾウは思いのほか落ち着いていた。想定していた事だった。あの男が簡単に終わるはずがない。近い内に騒乱は必ず起きる。



 キムに一通りの連絡を済ませると、ライゾウはテーブルに一枚の地図を広げた。千寿の複雑に入り組んだ路地や地下の水路が描かれた地図だった。その地図の上に、一つずつ駒やピンを乗せていく。ライゾウなりの戦の仕方だった。大に囚われれば小を見逃し、小に囚われれば大に敗れる。



 戦いは負けない事が最も良いとされるが、今回は必ず勝たなければならない。



 前回はコーポス等の自警団との連携の末、ゴンゾウの逮捕で一応の勝利を収めたが、今回はゴンゾウを仕留める為に策を練る必要があった。



 先週、龍門会のナカムラが殺害された。事務所にいた者の全ては皆、首を刎ねられ、床に並べられていた。ここ最近、キムに追いやられていたとはいえ、龍門会の重鎮として一定の力を持っていたし、十年前と同様にゴンゾウとの戦では戦力の中核に置くつもりだった。だが先手を打たれ、ナカムラは死んだ。



 間違いなく、動いたのは呂角だった。十年前、ライゾウはゴンゾウを討つべく手練れの刺客を幾人も送り込んだが、悉く呂角に血祭に上げられた。銃弾を躱し、握りしめた大方天戟の一閃で幾人もの敵の首を刎ねる。遠目に呂角を見たとき、呂角を何とかせねばゴンゾウを倒すのは不可能だと悟った。



 そんなあるとき、呂角に殺された弟の仇を討ちたいと名乗り出た男がいた。ライゾウは彼の全身に爆薬を括り付け、ゴンゾウと呂角が同時にいる瞬間を狙わせた。結果、計画は成功した。爆風からゴンゾウを庇った呂角は右半身に大火傷を負い、戦線から退いた。



 だが十年後、呂角は再び現れた。手の者によれば、左手で大方天戟を振るらしい。シグレに呂角を討つよう依頼しようにも連絡がつかない。また、ゴンゾウを狙おうにも情報が足りない。近しい者を捕えて情報を得る必要があるが、その駒もまた足りない。



 ライゾウは再び自警団と連携を取ることを考えた。十年前よりも少なくなったとはいえ、コーポスの二代目を始め、千寿には未だ活動を続けている者もいる。今はゴンゾウ派の組を締め付けつつ、自警団との繋がりを強めていくことが急務だった。



 ライゾウが机の鈴を鳴らすと、天井から一つの影が下りてきた。



 灰色の忍装束を纏った金髪の少女だった。目には火のような灯が輝いている。



「お呼びでしょうか。ライゾウ様。」



「命令は二つだ、アカメ。コーポスの素性を探れ。あと、呂角らに目を付けられぬよう六文組の動きを逐一報告しろ。これは十年前、お前の死んだ父が行った仕事だ。」



 アカメはかつてライゾウに仕えた忍の一人娘だった。今年で十八歳となる。十年前、父のマゴロクが呂角に斬られ、ライゾウに技を教え込まれて育った。戦いの腕は並だが、記憶力がよく五感に優れ、足が恐ろしく速い。諜報戦においては抜群の技量を持っていた。



「承知しました。ですが、六文組を探る事は為さらないのですね。」



「お前の父はそれで死んだ。動向を見るだけで十分だ。」



「お心遣い、感謝致します。では、早速行って参ります。」



「待て、命令はもう一つあった。」



 ライゾウは机上のシガーケースから手巻き煙草を取り出すと、先端に火を灯した。



「シグレを探して伝えろ。仕事は山ほどある、とな。」



 ライゾウが白い煙を吐くと、室内を甘い香りが包んだ。

     

「主の目には、彼は不毛の地に芽を吹いた様に見えた。



 それはまるで柔らかな新芽のよう。



 私たちの目には心引かれるものは何一つなく、慕うようなものはない。



 私たちは彼をさげすみ、受け入れなかった。



 彼は悲しみの人で、苦しみをなめ尽くした人だった。



 私たちは彼に背を向け、そばを通っても顔を逸らした。



 彼が侮られても、そ知らぬふりをした。



 しかし、彼は私たちの悲しみを負い、私たちの嘆きを担った。



 彼がそんなに苦しむのは、罪を犯して神に罰せられているからだと思った。



 しかし、私たちの罪のために傷つき、彼は血を流した。



 彼は私たちに平安を与えようとして、進んで懲らしめを受けた。



 彼がむち打たれたので、私たちは癒された。



 私たちは神の道を離れ、羊のようにさまよい出て、自分勝手な道を歩いてきた。



 しかし神は、私たち一人一人の罪を彼に負わせた。



 彼は痛めつけられ、苦しみ悩んだ。



 それでも、ひと言も語らなかった。



 まるで子羊のように大人しく屠り場へ引いて行かれ、毛を刈り取られる羊のように。



 そのとき、非難を浴びせる者たちの前に、彼は黙って立った。



 人々は彼を裁判にかけ、刑場へ引き立てた。



 果たして、彼が死ぬのは自分たちの罪のためであり、身代わりに罰を受けて苦しんでいることを知っていた者が、その時代にいただろうか。



 彼は罪人扱いを受け、富む者の墓に葬られた。



 悪いことをしたわけでもなく、悪いことばを口にしたわけでもない。



 彼を傷つけ、悲しみで満たすのは、主の計画だったのだ。



 罪の赦しのためのささげ物として、その魂を捧げるとき、彼は多くの子を見ることができる。

彼は復活し、神の計画は彼の手によって成し遂げられる。



 彼は、自分の魂が苦しみもだえた末、神の御業が実現するのを見て満足する。



 私の正しい僕はこのような苦しみを経験して、多くの人を神の前に義とする。



 彼が人々の罪をすべてになうからだ。



 それゆえ、私は彼に、偉大な勝利者としての栄誉を与える。



 彼は進んでいのちをささげたのだ。



 彼は罪人の一人に数えられ、多くの人の罪を負い、罪人のために神に取成しをした。」

     

 イザヤの声が聞こえた。



 目を覚ますと、目の前には見知らぬ天井があった。



 身体を動かそうにも、包帯に全身を拘束され指一本も動かせない。



 消毒液の匂いに包まれた部屋を目で見回しながら、シグレは今置かれている状況を反芻した。



 あの日は強い雨だった。雨風を凌ぐ為にライゾウの店に駆けていたとき、彼女は現れた。



 左腕に大方天戟を持ち、静かな殺気を放ちながら突如真上より出でた。



 油断は時として狩人を獲物へと変える。



 不意を突かれた自分は一目散に駆けたが、激しい動きから右肩の傷は開き、折られた左腕は悲鳴を上げた。やがて体力を失い、目を開くことも困難となった。



 ビルの屋上まで駆けたが、隻腕の彼女は獲物たる自分を見失いはしなかった。



 死中に活を得るべく短槍を口に咥え、彼女に向かって行ったが、短槍は折られ、腹部に刃を受けてビルの隙間に投げ落とされた。



 落下したのはゴミの上だった。上半身に着けた防刃ベストは破られ、腹部からは夥しい血が流れだしていた。激しい痛みと薄れゆく意識の中で、自分は天を仰いだ。



 このまま死ぬのか。その後、意識は途絶えた。



 そして目が覚めると、この部屋にいた。



 シグレは、何か不思議な感覚に陥った。



 長い夢を見ているようだったし、今も生きている実感がない。



 シグレが身体を起こそうとしたとき、足音が聞こえた。



「おや、目が覚めたんだね。まだ動いちゃ駄目だよ。」

 女の声がした。シグレが声の方向を見ると、白衣を身に纏った黒髪の女性が立っていた。



「貴女が、私を拾ったのか?」

「いや、拾ったのはアタシじゃない。出来得る限りの治療はしたけどね。」



「どうしてそこまで。前にも会ったことが?」

「患者を救うことが医者の使命だからね。それに。」



 女医はシグレのすぐ横に座ると、その髪を撫でた。

「アンタが可愛いからさ。」



 シグレはぎょっとした。女医の目は輝き、口角は吊り上がっている。

 感じたことのない恐怖に思わず身を捩ろうとするも、身体が動かない。



「まだ動いちゃ駄目だってば。アタシの名前はツツジ。千寿で診療所を開いている医者さ。」



 シグレは思わず腕から短槍を伸ばそうとするも、武器の入ったコートは見当たらない。それどころか、自分が裸であり、その上から直に包帯を巻かれていることに戦慄した。



「ツツジ。助けて貰ったことには感謝する。だけど少々寒い。コートを取ってくれないか?」

「あの危ないものが沢山入っていたコートだね? 駄目だよ。邪魔になるから。それに。」



 ツツジは白衣のポケットから小瓶を取り出すと、シグレを真上から見下ろした。



「動くなって言ったのに動いたから傷が開いたかもしれない。消毒しなきゃね。」

 ツツジが小瓶の蓋を開けると、白い煙が立った。シグレの目から見ても、明らかに通常の消毒液ではなかった。



「強い消毒液だから、少し沁みるかもしれない。我慢するんだよ。」



 ツツジはにっと笑うと、シグレの右肩に向けて消毒液を垂らした。



 痛い。熱い。苦しい。



 声にならない悲鳴を上げながら、動かせない身体を懸命に動かそうとするシグレを見詰めつつ、ツツジは少しずつ小瓶を傾けていった。



 やがて小瓶の中が空になったとき、荒い息をし、目元に涙を浮かべているシグレの目を、ツツジはそっと拭った。



「よっぽど痛かったんだね。大丈夫。これはとっておきの秘薬でね。すぐ良くなるよ。」



「どうして、こんなことを。」



「アンタの名前を聞かせてくれたら、教えてあげるよ。」



「私の名前は、シグレだ。」



 ツツジはかき消えそうな声で呟いたシグレの頬を撫でると、満足げな表情を浮かべた。



「シグレちゃん、ね。理由は簡単だよ。アタシは治療が大好きなだけさ。だけど。」



 小瓶をポケットに収めながら、ツツジはシグレの耳元に口を寄せた。



「アタシはシグレちゃんが一番好きになっちゃった。」



 耳元で囁かれたシグレは全身が冷える感覚に襲われた。



 何とも形容し難い、身体と心が一気に震える感覚。



 今まで、自分は何度も死線を潜ってきた。



 だが、ツツジが発している殺気に似たものは、シグレの知るどの殺気とも違った。



 あのまま死んだ方がマシだったのかもしれない。



 ツツジは途方に暮れているシグレに笑いかけると、再び小瓶を取り出した。



「次の消毒は三時間後。次は秘伝の座薬も用意しておくよ。」



 頭が真っ白になり、シグレは無表情のまま天井を見上げるしかなかった。

     

 父が殺されて、二年が経った。



 父の地道な活動と、母の献身的なサポートの甲斐があり、貧民層の支持を少しずつ得て、選挙活動が軌道に乗り始めていたさ中だった。



 目撃者によれば、父が演説を終えて千寿のスラム街から帰宅の途中、黒い服装の男が銃を父の頭に目掛けて発砲し、脳を吹き飛ばしたという。



後に発見された遺体には、胸、腕、足の箇所にそれぞれ一発ずつ弾痕が残されていた。



 黒幕は父と共に市長選へ立候補していた男に間違いはない。



それ以外に、父が恨まれる相手は考え付かないからだ。エメラルドの様に、傷だらけに生き、無二の輝きを放つ父だった。



そののち、母は茫然自失となり魂を抜かれた廃人のようになった。椅子に座り、食も満足に取らず、ただ虚空のみを見上げる母を見るのは辛かった。



自分は母を養う為、様々な裏の仕事に手を染めた。誘拐、脅迫、薬物売買、児童買春のあっせん。



 だが、要領の悪さが災いして、どれも上手くいかなかった。四方八方の組織に自分を売り込んだが、門前払いを受けるか、数日の内に辞めさせられるかのどちらかだった。



 そんなある時、自分の運命を変えるあの男に出会った。

     

「貴公らの神は言われる。



 我が民を慰めよ、と。



 エルサレムに語り、これに呼ばれ、服役の期は終り、咎は許され、その様々な罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた。



 我を呼ぶ声がする。



 荒野に主の道を備え、砂漠に我々の神のために大路をまっすぐにせよ、と。



 諸々の谷は高くなり、諸々の山と丘とは低くなり、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。



 こうして主の栄光が現れ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである。



 声が聞える。



 人はみな草だ。その麗しさはすべて野の花のようだ、と。



 主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。



 草は枯れ、花はしぼむ。しかし、我々の神の言葉は永遠に変わることはない。



 良き訪れをシオンに伝える者よ。



 高い山にのぼれ。



 良き訪れをエルサレムに伝える者よ。



 強く声をあげよ。声をあげて恐れるな。ユダのもろもろの町に言え。



 貴公らの神を見よ、と。



 見よ、主なる神は大能を持って来られ、その腕は世を治める。



 見よ、その報いは主と共にあり、その働きの報いは、その御前にある。



 主は牧者のようにその群れを養い、その腕に小羊をいだき、その懐に入れて携え、乳を飲ませている者を優しく導かれる。



 誰が海を測り、指を伸ばして天を測り、地の塵を枡に盛り、天秤をもって、諸々の山を測り、秤をもって、諸々の丘を測ったか。



 誰が主の霊を導き、その相談役となって主を教えたか。



 主は誰と相談して悟りを得たか。



 誰が主に公義の道を教え、知識を教え、悟りの道を示したか。



 見よ。もろもろの国民は、桶の一雫、秤の上の塵の様だ。



 見よ。主は島々を、埃のように上げられる。



 主の御前では、諸々の国民は無きに等しい。



 彼らは主によって、無き者、虚しい者の様だ。



 貴公らは神を誰と比べ、どんな像と比較しようとするのか。



 偶像は細工人が鋳て造り、鍛冶が金をもってそれを覆い、また、その為に銀の鎖を造る。



 貧しい者は、供物として朽ちることのない木を選び、巧みな細工人を求めて、動くことのない像を立たせる。



 貴公らは知らなかったか。



 貴公は聞かなかったか。



 初めから、貴公らに伝えられなかったか。



 地の基をおいた時から、貴公らは悟らなかったか。



 主は地球のはるか上に座して、地に住む者をいなごのように見られる。



 主は天を幕のようにひろげ、これを住むべき天幕のように張る。



 また、諸々の王を無きものとし、地の主たちを、虚しいものとする。



 彼らは、辛うじて植えられ、辛うじて蒔かれ、その幹が辛うじて地に根をおろしたとき、神がその上を吹かれると、彼らは枯れて、藁のように、つむじ風に吹き飛ばされる。



 聖者は言った。



 それで、貴公らは、私を誰に比べ、私は誰に等しいというのか、と。



 目を高く上げて、誰がこれらのものを創造したかを見よ。



 主は数を調べて万軍を率い、各々をその名で呼ばれる。



 その勢いの大いなることにより、またその力の強きがゆえに、一つも欠けることはない。



 ヤコブよ。何ゆえ貴公は、わが道は主に隠れている、と言うか。



 イスラエルよ。何ゆえ貴公は、わが訴えはわが神に顧みられない、と言うか。



 貴公は知らなかったか。



 貴公は聞かなかったか。



 主は永久の神、地の果の創造者であって、弱ることなく、また疲れることなく、その知恵は測りがたい。



 弱った者には力を与え、勢いのない者には強さを増し加えられる。



 年若い者も弱り、かつ疲れ、壮年の者も疲れ果てて倒れる。



 しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、鷲のように翼をはって、昇ることができる。



 走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない。」

     

「胡散臭い物乞い宗教家が。目障りだ。くたばれ。」



「私の名はイザヤと申します。此処で、貴方をお待ちしていました。」



「何の用だ。俺は、お前の様な者なぞ知らん。」



 路地裏で出会ったイザヤは、ボロ衣を纏った浮浪者の様な格好だった。



 顔は衣と闇に隠れて見えず、背丈は小さい。



「ワタリ・ゴンゾウ。貴方はちょうど一カ月前、十六歳の誕生日を迎えました。ですが本来、貴方はその年齢で、世界を統べる千年王国の王となる運命を持っていたのです。」



 イザヤの言っていることは全く理解出来ないものだった。



 ただの狂人なのかもしれない。気前の良い文句を付けて、金をせびろうとしているのかもしれない。



 だが、その声はゴンゾウを惹きつけ、その心を強烈に誘惑するものだった。



「イザヤと言ったな。俺はただの貧しいチンピラだ。物乞いなら他を当たれ。」



「いえ、貴方は今、ご自分の運命を自覚なされている頃です。その為に、私は参りました。貴方の従者となる為に。」



「俺の従者か。悪くないな。それで、お前は俺に何をしてくれるんだ?」



「私は貴方の道を指し示す杖となりましょう。私は貴方が千寿の王となる姿が見えます。御父上の志を継ぎ、貧しき者には富を与え、悪しき者には死を与える。泥の装束を脱ぎ捨て、新たな衣を着て、千寿の闇を照らす巨星となるでしょう。」



 案外、悪い気分ではなかった。イザヤの言葉を聞く度に、まるで本当に自分が千寿の王となったような気分になる。ゴンゾウは自分の服から金色のボタンを外すと、目の前の従者に放った。



「俺は曲がった物事を逆さまに考える癖がある。故にお前の言うことはまだ信用していない。だが、主人は従者に物を与えねばならん。」



 イザヤは少し微笑んだようだった。そして、再び謡いだした。


「海沿いの国々よ、わたしに聞け。



 遠いところの諸々の民よ、耳を傾けよ。



 主は我を生れ出た時から召し、母の胎より出た時から、我が名を語り告げられた。



 主は我が口を鋭利な剣と成し、わたしを御手の陰に隠し、研ぎ澄ました矢と成した。



 また、我に言われた。





 貴公は我が僕、我が栄光を現すべきイスラエルである、と。





 しかし、我は言った。



 我は闇雲に働き、益は無く、虚しく力を費した。しかも尚、我が正しきは主と共にあり、我が報いは我が神と共にある、と。



 ヤコブを己に帰らせ、イスラエルを己のもとに集めるために、我を腹の中から作って、その僕とされた主は言われる。



 我は主の前に尊ばれ、我が神は我が力となられた。



 主は言われた。





 貴方が我が僕となって、ヤコブの諸々の部族をおこし、イスラエルの残った者を帰らせることは、いとも軽い事である。我は貴方を、諸々の国人の光と為して、我が救いを地の果てにまで至らせよう、と。





 イスラエルの贖い主、イスラエルの聖者なる主は、人に侮られる者、民に忌み嫌われる者、に向かってこう言われる。





 諸々の王は見て、立ちあがり、諸々の君は立って、拝礼する。





 これは真実なる主、イスラエルの聖者が、あなたを選ばれたゆえである。



 主はこう言われる。





 我は恵みの時に、貴方に答え、救いの日に貴方を助けた。我は貴方を守り、国を興し、荒れ廃れた地を嗣業として継がせる。



 我は捕えられた人に、出よ、と言い、暗きにおる者に、現れよ、と。





 彼らは道すがら食べることができ、すべての裸の山にも牧草を得る。



 彼らは飢えることがなく、乾くこともない。



 また熱い風も、太陽も彼らを撃つことはない。



 彼らをあわれむ者が彼らを導き、泉のほとりに彼らを導かれるからだ。



 我は、我が諸々の山を道とし、我が大路を高くする。



 見よ。人々は遠くから来る。



 見よ。人々は北から西から、またスエネの地から来る。



 天よ、歌え。



 地よ、喜べ。



 諸々の山よ、声を放って歌え。



 主はその民を慰め、その苦しむ者をあわれまれるからだ。



 しかしシオンは言った。



 主は私を捨て、主は私を忘れられた、と。



 女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、憐れみないようなことがあろうか。



 たとい彼らが忘れるようなことがあっても、我は、貴公を忘れることはない。



 見よ。我は、掌にあなたを彫り刻んだ。



 貴方の石垣は常に我が前にある。



 貴公を建てる者は、貴公を壊す者を追い越し、貴公を荒した者は、貴公から出て行く。



 貴公の目をあげて見回せ。



 彼らは皆集まって、貴公のもとに来る。



 主は言われる。





 私は生きている。貴方は彼らを皆、飾りとして身につけ、花嫁の帯のようにこれを結ぶ。

貴方の荒れ、壊された地は、住む人の多いために狭くなり、貴方を、飲みつくした者は、遥かにに離れ去る、と。





 貴公が子を失った後に生れた子らは、尚、貴公の耳に言う。



 この所は私には狭すぎる。私の為に住むべき所を得させよ、と。



 その時、貴公は心のうちに言う。



 誰かが私の為にこれらの者を産んだのか。私は子を失って、子をもたない。私は捕われ、かつ追いやられた。誰がこれらの者を育てたのか。見よ。私は一人残された。これらの者はどこから来たのか、と。



 主なる神はこう言われる。





 見よ、私は手を諸々の国に向かって上げ、旗を諸々の民にむかって立てる。



 彼らはそのふところにあなたの子らを携え、その肩に貴方の娘たちを載せて来る。



 諸々の王は、貴方の養父となり、その王妃たちは、貴方の乳母となり、彼らはその顔を地につけて、貴方にひれ伏し、貴方の足の塵をなめる。こうして、貴方は私が主であることを知る。私を待ち望む者は、恥をこうむることがない、と。





 勇士が奪った獲物を、どうして取り返すことができようか。



 暴君がかすめた捕虜を、どうして救い出すことができようか。



しかし主はこう言われる。





勇士がかすめた捕虜も取り返され、暴君が奪った獲物も救い出される。



 私は貴方と争う者と争い、貴方の子らを救うからである。



 私は貴方を虐げる者にその肉を食わせ、その血を新しい酒のように飲ませて酔わせる。

 こうして、全ての人は私が主であって、貴方の救い主、また貴方の主、ヤコブの全能者であることを知るようになる。」







 ゴンゾウは腕を組み、足を崩しながらイザヤの詩を聞いた。



「それは喜びの詩か? だが悪くない。俺の門出に相応しい詩想だ。」



「貴方の門出であり、この千寿の門出となりましょう。千寿の王は、正に日の如く。」



 千寿の王。遥か昔から感じていたのかもしれない。



 そして、自分はその魂に導かれるように天より降りてきた新たな衣を身に纏った。



 その日、ワタリ・ゴンゾウの運命の賽は投げられた。





                                                   【堕葉の章  完】

       

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