Neetel Inside ニートノベル
表紙

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 ブラヴォーチームは全滅したと無線ががなり立てていた。そんなことは言われるまでもなくわかっていて、俺は足元の陸橋下で演じられている地獄絵図をぼんやりと眺めていた。かつての仲間が、重武装した特殊私兵たちがゾンビたちにパワーアーマーの隙間から貪り食われている。村田は就職したばかりだったのに。前線で支援するだけだったはずなのに。俺が助けてやる元気を起こせなかったせいで死んでしまった。どうして村田を助けなきゃいけないのかわからなかった。村田は俺をよく慕ってくれていたのに。どうして俺はいつもこうなんだろう。背後から噛みつこうとしてくるゾンビに裏拳を叩きこみ、かつて歯だった残骸を歩道橋にまき散らさせる。その瞬間、俺の背筋に青白い電流が走った。呼吸が浅くなる。めまいがする。俺は感染しているのだろうか?
 経費削減で中華製にされた作戦用スマートフォンを血まみれのグローブで操作する。目標指令は変わらず「女鬼奴(めぎど)大学付属病院内微生物研究所 女鬼奴光太郎」と表示されている。この読みにくい名前の学者が、この街を地獄に変えたバイオハザードの元凶だというが、そんなことが俺になんの関係があるのだろう。こんなことを言うと業務倦怠になってしまうだろうか。もう事件は始まってしまったのだ。この大量の屍たちはどこまでも広がっていくだろう。いまさらこんな狂気の天才科学者を捕まえてどうしようというのか。それよりもこの地獄を観光しつつ、人生とはなんだったのか、ゆっくり考えたい。

 うつ病の診断をされたのは六か月前だった。俺はその頃、仕事も充実していて、昇格もしたし、自分の兵士としての実力にも磨きがかかり、誰から見ても元気そのものだったと思う。妻子には暴力を奮っていたが、ちゃんと男らしく浮気もしたし、当たらない馬券をむやみに買ったりして憂さ晴らしもしていた。いや、本当に憂さが晴れるのは、妻を殴っている時だけだった。仕事でなにか少しでも思うようにいかないことがあると、俺は我慢できなかった。ほんのちょっとした弾丸の命中低下でさえ俺のストレスは背骨を這う毒虫のようにその太い脚で俺の心を咬んだ。俺の人生は、俺の思い通りでなければならないのだ。そして、それが叶わないのであれば、俺の妻は、その身を俺に捧げ、血と痛みで俺の悲しみを共有すべきなのだ。誓い合ったじゃないか? 健やかなるときも病めるときも一緒だと。だから一緒になるためには殴って蹴って転がすしかなかった。俺の中の悲しみが暴力を通じて妻の中へと流れ込む時、俺の心には福音の鐘が鳴り響いていた。それは祝福であり、赦しだった。自分が自身を承認できた時の、あの最高の瞬間の再現だった。それが妻を殴るぐらいのことで得られるのだからやめられない。子供は泣いていたが知ったことか。泣いているのは俺だ。
 俺は兵隊だ。とても大変なんだ。我慢したくないときも我慢しなきゃいけなくて、そして俺のミスで仲間が死んだりする。とてもとても大変な仕事なんだ。だからみんな俺の為に生きなきゃいけないんだ。俺が悲しめば涙を流し、俺が喜べば我がことのように天を仰いで笑わなければいけないんだ。それがルールだ。それが誓いだ。それが約束だったんだ!

 俺はいつからかうつを患っていた。いくら殴っても殴っても満たされなくなっていた。おかしい、こんなはずじゃない。俺はもっと完璧で、凄いんだ。上司にはとても言えなかった。どう言えばいい? あんなに俺に期待してくれていたのに。もう任務のために銃を扱えません、あんな重たいの無理ですなんてどうして言える? やる気は鍛えれば湧いてくる。やる気はアミノ酸でできている。鍛えて鍛えて減らして減らしてそしたら増える。そういうものだったんじゃないのか? それが俺の人生のルールだったはずなのに、俺は朝起きることができなくなって、妻を殴る元気もなくなって、毎日毎日逃げたくて仕方なかった。でも、どこへ逃げればよいのだろう? 我が家にいるというのに。
 今度こそ、今度こそやめると言おう。退職して、出直すんだ。また妻を殴るだけで完璧な自分を演じられる暮らしを取り戻すんだ。そう思いながら、任務を繰り返した。次こそ最後と思いながら、いつまでも終わらぬ任務を繰り返した。次こそ、次こそはと思っているうちに、世界の方が終わってしまった。

 無線機ががなり立てている。アルファ・フォー応答せよ、アルファ・フォー。俺のことだ。だが俺はもう誰の指示にも従いたくなかった。いよいよ世界が終わったというのに仕事なんてしてなにになる? 俺は人生最後の瞬間をいつも通りに暮らすつもりなんてなかった。人生最後の瞬間は、人生最高の瞬間であるべきだ。それが俺の忍耐と努力にこの世界が報いるたった一つの方法なのだ。だから村田を助ける気なんて湧かなかった。どうせ死ぬやつを助けてどうする? それよりもしっかり見納めてやろう。村田の人生最後の瞬間を。
 肩にずっしりと圧し掛かるスリングベルトの重さ。アサルトライフルの弾丸は任務放棄のおかげで充分に残っている。足は不思議と、目標の大学病院へ向かっていた。世界を救うつもりはないが、まだ真実を知る気力くらいは残っているのかもしれない。それに行く先の登り坂には延々と、俺に殴ってもらいたがっている、妻より従順でエキサイティングな人々が待ち受けてくれているじゃないか?
 俺は拳を握り締めて、歩き出した。
 よりよいパンチ、
 よりよい暴力を欲して。

       

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