Neetel Inside ニートノベル
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ぼくたちは死ぬべきだから
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 仕事をやめてしまった。


 前からつらいな、つらいな、と思っていたんだけれども、ついに限界がきた。会社でぶっ倒れて病院に運ばれた。そこで採血されて、ストレスホルモンが基準値を超えていることが判明した。どのみち勝てる勝負ではなかったのだ。俺はそのまま仕事をやめた。収入もないのにどう生きていけばいいのか。何もわからなかった。
 生活保護はかんたんに申請が降りた。俺の体はもうボロボロになっていて、労働基準に達していないらしい。逆にもうそれ以上は再就職も許可されず、俺の社会的人格は死滅した。俺には守るものもなかったし、別にどうでもよかった。明日がどうなろうと知ったことじゃなかった。俺は疲れていて、もう限界だった。それだけなのだ。
 生きるとはとても悲しい行為だった。ずっとずっとつらかった。どれだけ叫んでも誰にも届かない。通じたところで、誰も他人を助けられない。共喰いばかりだ。俺はとてもそれがいやで、なにもかもいやで、うんざりしていた。
 だからゾンビによる世界の終焉は願っていた通りのものだった。



 街で爆発が起こり、感染が拡大したらしい。俺は家にいたから無事だったが、都心のほうは悲惨な状況だ。だが、それがなんだというのだろう。どのみち世界は終わっていたのだ。俺が信じていたものをないがしろにした生き物どもが死んでいくのは見ていて痛快だった。みんな自分だけは助かると思っていたのだ。そうはいくか。みんな死ぬんだ。俺よりも先に死ね。
 武装を整えて、そうだ、外へ出てみようと思った。すると不思議なことが起こった。俺だけゾンビに狙われないのだ。きっと俺のような発達障害の遺伝子には感染させても意味がないとゾンビどもは判断してくれたのだろう。好かれなくてよかった。世界の終焉の時だけは愛されないことが武器になる。
 鉄パイプだけ持って、街を歩いた。そして生存者たちに追いかけられた。やつらは俺が嫌いなのだ。俺を殺せば世界がよくなるというおかしな思想に取り憑かれていて、大勢の生存者が俺に武器を向けてきた。俺はそのうちの一人を撃退した。動かなくなったが、じきにゾンビが噛んで動けるようにしてくれるだろう。なぜか涙が出た。それは悲しみの涙ではなかった。鬱陶しさ、めんどうくささ、月曜日に学校へ行かなければならない憂鬱の涙だった。
 どうして俺を攻撃するのだろう? こんなゾンビだらけの世界になって、どうしてまだ俺を攻撃するのだろう? 俺だって役に立つかもしれないじゃないか。話してみてくれたっていいじゃないか。いきなり武器を向けて攻撃してきた。ゾンビだってそんな不躾なことは俺にしないというのに。



 人間が多すぎることが問題だった。俺を傷つけるのはいつも人間だった。なのに残った人間どもまで俺を毛嫌いしてきた。どうしてなんだろう。俺は愛されたいだけなのに。
 自販機を壊して水を手に入れた。裕福そうな家の窓を破って忍び込み、夜を過ごした。俺はもう自分の魂を信じられない。この世界はどうなってしまうのだろう? だが、ひとまずは、きっと何不自由なく育ったであろう、ピアノのある家の女の子の部屋のベッドでぐっすり眠れるのは、世界が死んでくれたおかげだった。いいにおいがした。においによって哺乳類は性的な選別をするというけれど、だとすればなぜ男からはいいにおいがしても、女からは不快なにおいだと思われる齟齬が発生するのだろう。男と女では目指すべき子孫の性質が違うのだろうか。男はひたすらに子種をばらまいて数だけ多くしたがり、女は確実に優秀な遺伝子を残そうとするのだろうか。だとすればこれは男という生物と女という生物の生存競争であり、どちらがより多く自分の目的に近い子孫を残せるかというゲームなんだろうか。おかしな話だ。どうせ血を混ぜなければ繁殖できないのに。財布を共有しているカップルが、自分がほしいお土産を旅先でより多く買い取ろうとしているみたいだ。そこには利己的な真実しかない。財布を独り占めにしたいのに、そうすれば殺し合いになって絶滅するから、仕方なく手を取り合う。だとすれば俺は欲しい、絶対に自分に歯向かわない奴隷のパートナーが。殺し合うより、支配のほうがマシだ。


 翌朝、俺は目覚めた。扉のそばにパジャマ姿の女の子のゾンビが立っていた。自分のベッドを占領する見知らぬ男を、青紫色に染まった顔でじっと見ていた。そんな顔をするな。おまえだって生きていた頃、ただ生きて裕福であるというだけで、俺からたくさん奪っていったんだ。たんと味わえ。これが奪われるという気持ちなんだ。これが最低な気分というやつなんだ。死んだくらいで、おまえらが赦されるわけがないんだ。たんと苦しめ。俺のように。



 

     







 翌朝、もう女の子のゾンビはいなくなっていた。恐ろしいほどの静けさの中で、俺は世界がまだ終わっていないんじゃないかと妄想した。俺はこの部屋の子と楽しく暮らしていて、付き合っていて、彼女はいま俺のための朝食を作ってくれているのだ。ベーコンハムエッグ。ケチャップをかけて。そんなんでいい。そんなんでいいから、誰かに朝ごはんを作ってほしかった。
 下に降りると、まだ息のある被害者を、この家の住人が貪り喰らっていた。被害者は泣きながら俺を見上げていたが、俺にはどうすることもできなかった。ひやっとだけした。恐怖だろうか、気まずさだろうか。俺は台所を漁って包丁を一本だけ手に入れると、外に出た。いい天気だった。枯れた木の上で、鳥のオスがメスを喰っていた。チチチ、チチチ。鳥語はわからない。
 どこからか車の音がした。生存者たちだ。見るとジープに乗り込んだ男たちが、ゾンビを殺して回っていた。無抵抗のゾンビを。なんてひどいやつらだろう。黙って食われていればいいじゃないか。相手に何かを施そうという気持ちはないのだろうか。俺は小石をジープに向かって投げた。バンパーにあたった小石がきん、と硬い音を立てた。男たちは怒り狂って俺を追いかけてきた。俺は全力で走って逃げて、公園の崖から飛び降りた。大した高さではなかったが、ずり落ちて痛かった。かすかに肉がえぐれたが、つばでもつけておけば治るだろう。ひりひりする。
 会社をやめた時、後悔はなかった。俺はもう限界だったから。玄関の前でしゃがみこんで、涙が止まらなくなった時に、まともに生きるのはやめようと思った。何がまともなのかわからないけれど、この世界はおかしくなっていた。俺がいていい場所じゃなくなっていた。だから、今、とても傷は痛いけど、ここは俺がいてもいい世界なのだ。俺は死ぬかもしれないが、ジープのあいつらだって今頃ゾンビどもに貪り喰われているかもしれない。同じだ。この世界にはもう、どこにも逃げ場などない、イーブンで公平な世界になったのだ。もう誰も助かりはしない。俺はあるき続けた。誰かを探し求めて。
















     




 学校のなかでもとびきりの美人と行動できる。それはきっと誇らしいことなのだろう。梓は綺麗だ。みんな梓と付き合いたがっている。高嶺の花だ。とても届かない。確かサッカー部の誰かと付き合っていた。俺はそいつを殺した。それができるチカラがあったから。それを手に入れたから。
 梓は周囲をうかがっている。死者どもはいつだって俺たちを狙っているのだ。

「気をつけて、藤堂。何があってもあなたは私が守る」
「ありがとう」

 俺はじんわりと胸に染み入る暖かさを感じた。手の中の拳銃を握りしめる。俺はこれで泣き叫び許しを乞うサッカー部を殺した。なぜなら俺はサッカーが大嫌いだから。あんな球蹴りの何が面白いのかわからない。俺が価値を見いだせないものは死ぬべきなのだ。だから殺した。脳みそをふっとばして。
 俺は……いつだって阻害されていた。どうして阻害されるのかわからなかった。いつだって部外者で、他人で、邪魔者扱いだった。ずっと我慢してきた。でももうそんな我慢もしなくていい。俺は負けなくなったのだ。人を殺したが、罪悪感を覚えたりはしなかった。それほど強く俺は悲しんだのだ。その痛みをみんな味わえばいい。
 夕方の校舎に人気はない。足元を見ると倒れた生徒が血を吐きながら死んでいる。どれぐらい生き残っているのだろう。俺は梓に声をかけた。梓が振り向き、青い目が俺を見つめる。目の瞳の色は青に限る。

「梓、俺、疲れちゃった。どこかで休まないか」
「でも、どこで?」
「保健室はどうだろう。ベッドがあるよ」
「いい案ね……」梓は二階から下を見下ろしながら、
「私が先行するわ。藤堂はついてきて」
「わかった」

 梓が壁に背を貼り付けながら、階段を下っていく。俺は隠れもせずにそれについていった。だってそうだろう、隠れてこそこそするなんて、昔の俺みたいだ。俺は変わったんだ。みんなが望んだように。

「……山下」

 梓が苦しげに呻いた。みると同級生の山下が血まみれの姿で俺たちを見上げていた。腹から臓物が垂れ下がっている。誰かに喰われたのだろう。

「ごめん……」

 梓はどうして悲しんでいるんだろう。俺がいるのに。俺と二人なのに。俺たちさえいればいいじゃないか。山下? 誰だそれ話したこともない。全然大事なんかじゃない。
 銃声が校舎に鳴り響いた。梓は硝煙を上げている拳銃の先端を見つめながら息を荒く浅く吐いている。風邪のひきはじめみたいだ。コロナウイルスはとっくに鎮圧されていたが、まさかこんな絶望が直後に待っているなんて、人類は察しもしなかった。愚かなやつらだ。終わりはいつだって俺たちのそばにあったのに。
 俺は倒れた山下の死体を転がした。頭をふっ飛ばされている。灰色の脳みそがこぼれ落ちている。それを上履きでずりずりと床にこすりつけながら、俺は梓を振り返った。

「いこう」
「……あなたは何者なの? 藤堂。どうして平気なの?」
「どうして? 生き延びたいからだよ。君と二人でこの地獄を生き延びなきゃ。俺はそのために、そのためなら、なんだってできるよ。だって、そうしなきゃ死んでしまうだろう? 死ぬのはよくないことだ。死んだら負けだと親父は言ってた。今だけは、親父が正しいと思う」
「藤堂……」
「さ、いこう。保健室にはきっと何か食べ物があるよ。ゾンビはお菓子を食べないから」

 俺たちは暗い廊下を、拳銃を構えながら進んでいった。俺は下腹部からせり上がってくる恐怖と興奮を織り交ぜた性欲に似た何かを感じていた。でも勃起はしていなかった。俺は遺伝で、勃起ができない。




     



 保健室の先生は、いつも俺を邪魔そうにしていた。今ならわかる、仕事の邪魔だったのだ。俺は最後の避難口として保健室を選んで逃げ込んでいた。授業がつらくてつらくて、人生がつらくてつらくて、そんなときは保健室に行くものだと思っていた。だが、保健室の先生は優しくなんてなかった。給料に不満を持ち、休日の少なさに不満を持ち、生徒の迂闊な怪我に不満を持ち、そして生徒のくだらない悩みにうんざりしている、三十路そこそこの女に過ぎなかった。
 だから俺は適当にあしらわれ、悩みも最後まで聞いてもらえず、いつもベッドに寝かされて天井を見上げていた。外では楽しそうな連中の声が響いていて、俺を笑っているようだった。
 みんな死んじまえ、と思った。
 願いは、少しだけ叶った。
 いま、保健室の先生は、首元を大きく噛みちぎられ傾いた頭で俺たちを青白い顔で見つめている。瞳は赤いが、それは魔力でもなんでもなくただの鬱血だ。俺の隣で梓が小さく悲鳴をあげてしゃがみこんだ。

「金代先生……どうして……」
「気をつけて。まだ先生を噛んだやつがいるかもしれない」

 俺だってゾンビに噛まれたらどうすることもできない。殺されるのはごめんだ。慎重に保健室の中を見て回ったが、部屋の中心に先生が棒立ちしているだけで、何もいなかった。薬品棚は手つかずで残っている。漁ったところで、うがい薬でどうなる?

「音を立てるのは気に入らないけど……」

 俺が銃を向けると梓が俺の腕に飛びついてきた。

「ま、待って。先生を撃つのは待って!」
「どうして?」
「どうして、って……先生は……先生は……」
「優しかった?」

 梓はこくんと頷いた。
 俺は笑い方を忘れていたことを思い出した。
 確か、こんなふうに頬を動かすんだ。

「でも、俺には優しくなかったよ」

 撃った。
 銃声と同時に釣り糸が切れたように先生の身体が回転してドサリとリノリウムの床に倒れ込む。
 死人のくせに、血は甘いほどに赤い。
 俺のはきっと、黒いんだろうなとぼんやり思った。

 ○

「落ち着いた?」
「…………。うん」

 梓をベッドに座らせて、保健室の扉と窓に部屋の中の椅子やカーテンレールでバリケードを作って立てこもった。即席のセーフハウスだ。だが、いずれ血の匂いにおびき寄せられて大量に押し寄せてくるだろう。その前に逃げなければ。

「ひとまず学校を脱出しよう。そこから先は……病院か警察署かな。国道に出てひたすら逃げるってのもいいかも。いずれにしても、夜を越さなきゃ話にならない」
「……ねぇ、藤堂」
「なに」

 梓が青い目で俺を見ていた。その瞳が涙で緩み、ときおり薄くぼやけている。

「あたしたちって、なんで一緒なんだっけ」
「…………」
「あたしたち、学校で、文化祭の準備をしてて……そしたらいきなり、悲鳴が聞こえて……」
「拳銃を渡された」
「渡された? そうだっけ?」
「そうだよ」俺は梓を睨みつけた。
「それで? 俺たちはどうしたんだっけ?」
「それで……それで……あ、あたしはテルくんと逃げようとして……でも、テルくんは……」
「死んだ。ゾンビだったから」
「そ、そう……え? 待って……待って……」
「待たない。あいつはゾンビだった。殺すしかなかった」
「ち、違う。テルくんは逃げてきた……みんなで引っ張り上げて……噛まれてないって喜んで……なのに……あれ? どうして藤堂が……藤堂、いつから一緒にいるの? あんたは文化祭の準備、いなかったよね?」
「いたよ」俺は保健室の窓から外をうかがう。午前中の明るい日差しが校庭と何人かの人影に降り注いでいる。
「最初から俺と一緒だったんだよ、梓は」
「ち、がう……ちがう、あんたは、テルくんを殺した……テルくんを殺した!」
「……………………」
「こ、殺した……あたしの大事なテルくんを……あんたが……あ、あんたが……!」

 梓は立ち上がり、よろよろと拳銃を俺に向けようとした。目から大粒の涙が溢れ、その瞳はもう気高い青ではなく薄汚い汚物色だった。ただの焦げ茶、焼けた色。

「藤堂ッ! あ、あんたあたしを……!」
「都合が悪いんだよな」

 俺は静かに立ち上がって、梓に近寄った。あまりにもゆっくりとしたその動きに梓が反応できず(覚悟もできず)硬直している間に手を伸ばし、銃口を払って梓の首に手を伸ばす。
 細い枝のような首に指を絡めて、
 締める。

「ぐっ……エッ……?」
「いつもそうだ。いつもそう。俺にとって都合が悪いことばかりだ。……どうして思い出す? 忘れておけばいいのによ。それのどこが不満なんだ、え? 忘れていれば、俺と二人、どこまでも逃げられるじゃないか。こんな死人だらけの地獄で一人で生きていく気概もないくせに、どうして錯乱したりするんだよ? 少しは頭使って動けよ」
「ガッ…………はっ……と、うど……ぉ……」
「あいつを殺したのは俺だよ。だから何? どうせ死んだだろ、あいつじゃ。俺の邪魔者はみんな死ねばいいんだよ」

 ぐっと最後に、さらに強く締める。

「みんな死ねばいいんだよ」




 ○



 ぐったりした梓を、保健室のベッドに寝かせる。瞼を指で開けてみると、瞳がうっすら青く染まっていくのがわかった。寝息は静かだ。首には俺が締めたアザがある。それをそっと撫でてから、転がっていたスチール椅子を持ち上げて腰掛ける。
 どっと疲れた。
 左手に握る拳銃の重みがやけに応える。暴力のあとに待っているのは疲労と虚脱と満足感。俺は悪党にはなれない。疲れやすすぎるからだ。最後までやれない。いつだって。
 割れた鏡に、俺のやつれた顔が映っている――その目もまた、充血ではありえない、青。

     



 地下鉄に逃げ込めばいいと思った。地上にはゾンビどもがウヨウヨしているが、地下にはまだ入り込んでいないはずだ。バリケードを作って全部の道を封鎖しちまえば、救助が来るまで持ちこたえられる。俺たちは無敵のサッカー部だ。こんなところで死ぬはずがない。誰かが持ってきたアサルトライフルを握り締めて、俺たちは階段を駆け下りた。背後を見ると、まだやつらは追ってきていた。

「ちくしょう! なんだってんだよ! 俺たちがなにしたってんだ!」
「黙って走れ!」

 俺はキャプテンだ。サッカーはチームプレーだ。だから俺は絶望して自棄になりかけていたやつの背中を思い切り蹴り飛ばした。恨みがましげな目で睨まれたが、このサル山のボスは俺だ。オスとして上なのが俺なんだ。それがわからないならぶっ殺してやる。そう思いながら睨みつけたら、やつは目を逸らした。これで決まりだ。俺がボスだ。

「はやく、はやく! やつらが入ってきちゃう!」

 メス女が泣きながら俺の隣を駆け下りていく。俺は地上を見上げながらアサルトライフルを乱射した。ちくしょう、あんなにとろくさい歩き方をしている連中に俺の弾丸はかすりもしなかった。なにか裏があるようにしか思えない、これだけ弾丸をバラまいてまともに当たらないなんて! どうして俺が当たらないんだ、俺のようなまともなやつが、こんな目に遭うはずがない!

「工藤、ねぇ工藤、どうしてこんなことに……そ、それにあいつ」
「うるせぇ! ゴチャゴチャぬかすな!」

 騒いで威勢よくしていなければ俺がライフルを外しまくっていることがバレてしまう。リーダーが不甲斐ないなんていうのはチームにとってなんのメリットもない。いま俺たちがバラバラになってどうする? 大切なのはまとまることであって、いま、俺たちを追いかけてきているゾンビどもを操っているのがクラスメイトで、そのクラスメイトが俺が手酷く振ってやった小泉杏里だなんてことはどうだっていいことだ、そうだ、どうだっていい、あの恨みがましげな目、そして俺へ復讐できることへの薄ら寒い喜びを噛み締めた唇。間違いなくあの女は俺を狙ってきているが、そんなことはどうだっていい、これはチームの危機なんだ。

「阿部、援護しろ! おまえだってショットガン持ってんだろ!」
「わ、わかってるよ、でも、これ、どうやって使えばいいのか……」
「ポンプアクションだよ!」
「ポンプアクションってなんだよ!」

 くそっ役に立たない。ポンプアクションがなにかなんて俺にだってわかるはずがない、適当に喋ってるんだ、少しは合わせてくれたっていいじゃないか? ガシャガシャやれば撃てるようになればいいだけだろうが! どうしてそんな簡単なこともできないんだ、ゴミが!

「ああーっ! 阿部くんが、阿部くんがぁっ!」
「ひああーっ!」

 阿部が喰われた。局部に噛みつかれ、目玉がひっくり返るほどの絶叫を上げながらのたうち回って死んだ。ゾンビどもが俺たちの作ったありあわせのバリケードですらないガラクタの小山を突き崩して進んでくる。死の行軍だ。そして階段のところにぼんやり立っている、ゾンビみたいに青白い顔をした小泉が、俺を見下ろしていた。なにかぶつくさ言っている。気味が悪いからライフルを向けたが、まるで守るようにゾンビが身体を乗り出してきて弾丸はすべて肉の壁に邪魔されて小泉に届かない。くそっ!

「どうしよう工藤、この先、行き止まりだよ!」
「なんでだよ! 線路はどこまでも続いてるはずだろォッ!?」
「列車が横転してるの!! ど、どうしよう!? ねぇどうすればいい!?」
「俺が知るかァッ!!」

 この糞バカ女、顔がいいからって付き合ってやったのに、どうしようだと? 少しは頭を使えよ列車が倒れてるなら窓ガラスでも割って先へ進むしかないだろゾンビはもうゾンビはもうこんなにも目の前に来てるんだぞ! 阿部が喰われたんだぞ! もう少し危機感を持って自分の頭で考えたらどうなんだ? 俺ばっかりか、俺ばっかり悪者か。いつだって俺のせいにされるんだ、キャプテンだから、兄貴だから、イケメンだから、運動神経バツグンだから。なんだって俺のせいになるんだ、その尻馬に乗ってラクしてきた糞女風情が、俺にどうしようだと? それを一番言いたいのは俺だ、俺なんだ!

「えっ、やだっちょっとやめ、あっ、ああああああアアアアアアアアアアアアアアああ!!!!!!!!!!」

 糞女がもたもたしているうちにゾンビに追いつかれて転がされ、顔面から枕木に顔をぶつけた。そのままむしゃむしゃと足から貪り食われる。手足から喰われるのが最悪だ。死ぬまで時間がいくらかかかる。俺はクソ女の手からふっ飛ばされた自動拳銃を拾い上げるとさっと悲惨な背後を見てから先へ進むことにした。

「工藤ォォォォォォォッ‼ だずげっ……逃げなッ……でッ…………アッ……」
「逃げるに決まってるだろ」

 小泉が追ってるのは俺なんだぞ。
 俺は横転した列車の窓ガラスをシューズで思い切り蹴り込んでぶち破った。よかった、まだ俺にツキはある。死んだ二人の分も俺は生きなきゃならないんだ。だがすぐに列車がどうして横転したのか理解した。列車の反対側には何もなかった。土砂崩れを起こしたのだ。崩落だ。いったいどうして? テロでもあったというのか。そもそもこれはどんなバカ騒ぎだっていうんだ? いきなり死者が蘇って人間を喰い始めた。俺たちは必死で逃げて、そしたら小泉が俺たちの前に現れて、そして、
 俺たちは小泉に銃を向けて、



「工藤くん」



 俺は横転した列車の中で、反対側の落石で潰された窓を傾いだ座席を踏みつけながら見上げていた。振り返ると俺が入ってきた
窓ガラスの枠から、小泉が顔を出していた。ブサイクなツラ。のっぺらとしていて、馬ヅラで、目にクマがひどく、唇が気持ち悪いほど小さい。一重まぶたで、眉毛が男みたいに濃い。それでも胸だけは大きいから、揉んでやるつもりで一ヶ月だけ付き合った。最悪の一ヶ月だった。痛がって泣きながら牛みたいに吠える女をバックから攻め立てる自分に嫌悪感で一杯だった。喘ぎ声すらブサイクは下品だ。だからそう言ってやった。小泉は泣いた。だからなんだ? 泣いてどうなる、ブスが直るか。こんな上玉の俺と本気で付き合えると思い上がったおまえが全部悪いんだ。身の程を知らないのか? 奇跡なんて起きねぇんだよ。阿部が喰われたように、バカな女が喰われたように、そして今、俺が……

「ひひっ」

 小泉が笑った。楽しそうに笑った。その瞳が青く輝き、すっと窓枠から首を引っ込めた。次に出てきたのは、無数の爛れた死者の手だった。少しずつ、少しずつ、ゾンビが入ってくる。逃げ場はない。俺はアサルトライフルを構えながら、64のゲームだったらバグ抜けできそうなほど列車の角に背中を張りつけて汗でぬめる手を何度も拭った。死にたくない。死にたくない。死にたくない……どうしてゾンビどもはあの女に従うんだろう? ゾンビと見分けのつかない生き物だからだろうか? だとしたら笑える。こんなやり方で復讐するなんて、人間以下だ。ゾンビ以下だ。くそったれ……ああ、やめろ、俺の足にさわるな、俺の足に


     

 ブラヴォーチームは全滅したと無線ががなり立てていた。そんなことは言われるまでもなくわかっていて、俺は足元の陸橋下で演じられている地獄絵図をぼんやりと眺めていた。かつての仲間が、重武装した特殊私兵たちがゾンビたちにパワーアーマーの隙間から貪り食われている。村田は就職したばかりだったのに。前線で支援するだけだったはずなのに。俺が助けてやる元気を起こせなかったせいで死んでしまった。どうして村田を助けなきゃいけないのかわからなかった。村田は俺をよく慕ってくれていたのに。どうして俺はいつもこうなんだろう。背後から噛みつこうとしてくるゾンビに裏拳を叩きこみ、かつて歯だった残骸を歩道橋にまき散らさせる。その瞬間、俺の背筋に青白い電流が走った。呼吸が浅くなる。めまいがする。俺は感染しているのだろうか?
 経費削減で中華製にされた作戦用スマートフォンを血まみれのグローブで操作する。目標指令は変わらず「女鬼奴(めぎど)大学付属病院内微生物研究所 女鬼奴光太郎」と表示されている。この読みにくい名前の学者が、この街を地獄に変えたバイオハザードの元凶だというが、そんなことが俺になんの関係があるのだろう。こんなことを言うと業務倦怠になってしまうだろうか。もう事件は始まってしまったのだ。この大量の屍たちはどこまでも広がっていくだろう。いまさらこんな狂気の天才科学者を捕まえてどうしようというのか。それよりもこの地獄を観光しつつ、人生とはなんだったのか、ゆっくり考えたい。

 うつ病の診断をされたのは六か月前だった。俺はその頃、仕事も充実していて、昇格もしたし、自分の兵士としての実力にも磨きがかかり、誰から見ても元気そのものだったと思う。妻子には暴力を奮っていたが、ちゃんと男らしく浮気もしたし、当たらない馬券をむやみに買ったりして憂さ晴らしもしていた。いや、本当に憂さが晴れるのは、妻を殴っている時だけだった。仕事でなにか少しでも思うようにいかないことがあると、俺は我慢できなかった。ほんのちょっとした弾丸の命中低下でさえ俺のストレスは背骨を這う毒虫のようにその太い脚で俺の心を咬んだ。俺の人生は、俺の思い通りでなければならないのだ。そして、それが叶わないのであれば、俺の妻は、その身を俺に捧げ、血と痛みで俺の悲しみを共有すべきなのだ。誓い合ったじゃないか? 健やかなるときも病めるときも一緒だと。だから一緒になるためには殴って蹴って転がすしかなかった。俺の中の悲しみが暴力を通じて妻の中へと流れ込む時、俺の心には福音の鐘が鳴り響いていた。それは祝福であり、赦しだった。自分が自身を承認できた時の、あの最高の瞬間の再現だった。それが妻を殴るぐらいのことで得られるのだからやめられない。子供は泣いていたが知ったことか。泣いているのは俺だ。
 俺は兵隊だ。とても大変なんだ。我慢したくないときも我慢しなきゃいけなくて、そして俺のミスで仲間が死んだりする。とてもとても大変な仕事なんだ。だからみんな俺の為に生きなきゃいけないんだ。俺が悲しめば涙を流し、俺が喜べば我がことのように天を仰いで笑わなければいけないんだ。それがルールだ。それが誓いだ。それが約束だったんだ!

 俺はいつからかうつを患っていた。いくら殴っても殴っても満たされなくなっていた。おかしい、こんなはずじゃない。俺はもっと完璧で、凄いんだ。上司にはとても言えなかった。どう言えばいい? あんなに俺に期待してくれていたのに。もう任務のために銃を扱えません、あんな重たいの無理ですなんてどうして言える? やる気は鍛えれば湧いてくる。やる気はアミノ酸でできている。鍛えて鍛えて減らして減らしてそしたら増える。そういうものだったんじゃないのか? それが俺の人生のルールだったはずなのに、俺は朝起きることができなくなって、妻を殴る元気もなくなって、毎日毎日逃げたくて仕方なかった。でも、どこへ逃げればよいのだろう? 我が家にいるというのに。
 今度こそ、今度こそやめると言おう。退職して、出直すんだ。また妻を殴るだけで完璧な自分を演じられる暮らしを取り戻すんだ。そう思いながら、任務を繰り返した。次こそ最後と思いながら、いつまでも終わらぬ任務を繰り返した。次こそ、次こそはと思っているうちに、世界の方が終わってしまった。

 無線機ががなり立てている。アルファ・フォー応答せよ、アルファ・フォー。俺のことだ。だが俺はもう誰の指示にも従いたくなかった。いよいよ世界が終わったというのに仕事なんてしてなにになる? 俺は人生最後の瞬間をいつも通りに暮らすつもりなんてなかった。人生最後の瞬間は、人生最高の瞬間であるべきだ。それが俺の忍耐と努力にこの世界が報いるたった一つの方法なのだ。だから村田を助ける気なんて湧かなかった。どうせ死ぬやつを助けてどうする? それよりもしっかり見納めてやろう。村田の人生最後の瞬間を。
 肩にずっしりと圧し掛かるスリングベルトの重さ。アサルトライフルの弾丸は任務放棄のおかげで充分に残っている。足は不思議と、目標の大学病院へ向かっていた。世界を救うつもりはないが、まだ真実を知る気力くらいは残っているのかもしれない。それに行く先の登り坂には延々と、俺に殴ってもらいたがっている、妻より従順でエキサイティングな人々が待ち受けてくれているじゃないか?
 俺は拳を握り締めて、歩き出した。
 よりよいパンチ、
 よりよい暴力を欲して。

     



 降りそうで降らない、そんな曇り空がどこまでも広がっている。

「大丈夫、藤堂? 疲れてない?」
「ああ、大丈夫だよ梓」

 どこかで誰かの悲鳴がした気がする。いちいち気にしていられない。
 学校から脱出した俺たちは崩壊した街を歩いていた。ハンドガンを構え、敵に用心しながら進んでいく。戦車や軍用車が大破しているが、これは近隣駐在自衛軍が急報を聞きつけて駆けつけたものだ。まだ数人のゾンビが群がって中の重装備をした隊員を貪っている。アサルトライフルが運転席からぶら下がっているのが見えたが、危険すぎて取りにはいけない。

「ひどい……どうしてこんなことに」
「さあ。それより、この事件の発生源を突き止めないと」
「どうして?」

 梓は俺の手を取り心配そうな顔をしてきた。

「藤堂が危険な目に遭うのは耐えられないよ……このままゾンビがいないところまで逃げられないの?」
「いや、それより真実を追いかけたい。いまここから逃げたら何もわからないまま終わってしまう」

 この事件を起こしたやつにしか聞けないことがある。それを聞くまではたとえ梓を連れていたとしても逃げるわけにはいかない。
 だが、どこへ向かえばいいのか皆目検討もつかない。このバイオハザードがどこまで広がっているのかも……いや、そうか。
 俺は今、どこまでこの現象が発生しているのかわからない。全世界規模なのか、それともこの街だけなのか? それを確かめるためには高いところへ登ってみるのが一番だ。スマホは圏外になっているから電波塔は機能不全を起こしたようだが……それでも街の混乱状況を高所から見ることで状況は把握できるはず。
 このあたりで一番高い建物は一つ隣の駅のライフタワー50だ。確か地下鉄直結の駅ビルだから最寄りの地下鉄から行けば歩いてもいけるだろう。

「梓、こっちだ」
「う、うん……」

 梓は不安そうになりつつもついてくる。手を繋いでいると梓の手の暖かさが滲んできて幸せな気持ちを味わえる。俺だけの特権だ。
 地下鉄……学校への通学に使っていたが、いつも嫌な空気が漂っていた。空調が詰まっていたんじゃないだろうか。あんなところに人間を押し込めたりするから妙なウイルスが蔓延するのだ。サッカー部の連中のバカ笑いを思い出す。何が楽しくてあんなに笑っていたんだろう。理解不能だ。だが、もうすでに立場は逆転した。俺が王で、やつらが奴隷になったのだ。このチカラのおかげで。
 その証拠に、地下鉄へ降りていく階段の途中で阿部が死んでいた。下半身から下を食いちぎられている。可哀想にな。授業のサッカーで散々俺を足手まといしていたおまえにもう足はないんだ。自慢の足はどっかのゾンビの腹の中だ。ざまぁみろ。俺は思い切り阿部の頭を蹴っ飛ばすと、首がごきりと嫌な音がしてひっくり返った。梓が悲鳴をあげる。

「あ、阿部くん……どうして……」
「バカだから捕まったんだ。いや、足が遅くてノロマだからか。サッカーなんかやってたって糞の役にも立たねぇじゃねぇか。バカバカしい。実にバカバカしいゲームだよ。そう思うだろ?」
「う、うん」
「ショットガンか……」

 阿部のそばにショットガンが転がっている。中を調べてみると一発も撃たれていなかった。おそらく撃ち方がよくわからなかったんだろう。俺は常日頃から銃器を調べて学校の連中を皆殺しにする妄想をしていたから、どんな銃器も扱える。これも約得というやつだ。この世界では、俺が正しいんだ。阿部ごときじゃなく。

「もらっておいてやるよ、阿部」

 俺は阿部の死体を階段の下の闇まで蹴り転がした。物音はしない。阿部を殺したゾンビどもはもう去ったようだ。俺はあたりにサッカー部キャプテンの工藤がいないか探したが、顔もわからないほど喰われた女子生徒が一体転がっているだけだった。

「隣駅か……どうするかな」

 俺は周囲を見回して、改札横の駅員がいる詰め所を調べた。案の定、防災用バッグがそのまま残されていて、その中に非常食や懐中電灯などが残されていた。これがそっくりそのままゾンビ世界では役に立つ。俺は少し肌寒そうにしている梓にブランケットをかけてやった。

「ありがとう、藤堂」
「なら、抱き締めてくれ」
「うん、わかった」

 梓が俺をハグする。俺はそこから伝わってくる暖かさを取りこぼさないように閉じ込めておきたかった。しかし何分、何十分ハグしても、離れるとすぐに冷えた。なぜだろう。俺には、熱が逃げていく体質でもあるのだろうか。
 悲しい体質だった。

     


 地下鉄には思ったよりもゾンビがたむろっていた。どこから紛れ込んだのか知らないが、片っ端から頭を吹っ飛ばす。
 銃が規制されなくなったのは俺が産まれて数年経ってからだった。冷え込んだ経済を建て直すために銃という経済サイクルを活動させた日本は水を得た魚のように蘇った。銃砲店が駅前に立ち並び、ファッション雑誌と提携したオシャレなミリタリーグッズがトレンドになった。もともとの穏やかで事なかれ主義の国民性から、銃による犯罪は今まで一度もない。俺たち日本人にとって、銃というのはファンタジーなのだ。実際に現実を変える道具じゃない。こんなもので現実は変わったりしない。
 道端に落ちている暴動の果てにこぼれ落ちた弾薬を拾い集めながら、俺は梓の手を引いて、地下鉄を抜けた。眩しい日差し。隣町まで来るだけだったが、夜が明けたのだろうか。スマートウォッチは壁に当てて壊れてしまっていた。どのみち圏外で時間はわからない。ふいに俺は膨大な安心感を覚えた。時間がわからない。俺はもう、誰にも急かされたりしなくていいんだ。

「どうしたの……?」
「なんでもない」

 心配そうな梓に首を振って、ライフタワー50を見上げる。窓から俺を見下ろすゾンビがいた。景色はいいか。それとも何か喰いたいか。
 俺は梓を伴って非常エレベーターを使い(停電していたが、自家発電機が回ったらしく、排気塔から黒煙が吹き出していた)、最上階の展望台まで上がった。
 いい眺めだった。
 あちこちで火災が起きている。ひっくり返ったクルマと脱線した列車。倒壊しかけたビルの根っこにはネズミの巣を掘り起こしたようにゾンビの群れがおしくらまんじゅうをしていた。いずれ倒れるだろう。
 俺は、恋人たちが座るために用意されたベンチに梓と座った。

「なあ、梓」
「なに、藤堂」
「良い世界になったよな……」

 この世界で、もう永遠にサッカーが開催されることはないだろう。死体の頭を蹴飛ばす悪ふざけくらいの類似品が残るだけだ。あの白と黒のボール、顔面に当てられた時の強い衝撃、蹴り損なった時の屈辱と虚しさ。なにもかもなくなった。俺はこの大地からサッカー部に所属していたすべての男子が死に絶えることを願った。あんなスポーツが存在することを呪った。

「……もう、みんないないね」
「いいんだよ、べつに。いなくていいやつは消えればいい。俺には、いて欲しい人だけいればいい」

 俺は梓を見た。すべすべとした頬には産毛すら生えていない。

「それがおまえなんだ、梓」
「藤堂……」
「なあ、梓。俺のこと、好き?」

 尋ねてみた。ほんのささいな勇気だった。ここまで守ってきたんだ、簡単に答えは戻ってくるはずだと思っていた。
 梓は何も言わなかった。時間が停止したように、表情すら凍りついて俺を見返していた。

「梓?」
「……あ」

 その瞳が、青く染め上げたはずの虹彩が赤く滲んでいた。俺はカッとなった。
 抵抗している。
 梓が、俺に「好き」と答えるのを抵抗している。
 恥ずかしさで? いいや。
 ――嫌悪で。
 俺は梓にショットガンを向けた。
 きれいな喉に銃口をくっつけて、もう一度、聞く。

「なあ、梓。俺のこと、好きだよな。俺のこと、大事でたまらないよな。そうだろう?」
「………………え、あ」
「ここまで守ってきてやったんだ」俺は銃口で梓の頬を叩く。
「俺は大変な思いをして、死ぬような思いで、ばけものどもからおまえを守って、この景色を見せてやったんだ。恩人だ。見ろ、もう地平線の果てまでなにもかも崩れてる。この世界は終わったんだ。どこにも逃げ道なんてないんだ。俺たちは二人で生きていくんだよ、梓」
「あ……た、し、は」
「なんで言うことが聞けない?」

 俺は近くにあったゴミ箱を蹴飛ばした。回収される前に清掃員がゾンビと化したゴミ箱の中身は、飲みかけのコーラで一杯だった。

「俺がそんなに間違ったか? 何がそんなに気に入らないんだ?」

 梓が苦しげに顔を歪める。銃口を舐める舌が唇から溢れる。涙を浮かべた目は真紅に近づく。

「い……や……」
「テルくんがそんなにいいか。玉っころ蹴り転がせて、背が高けりゃおまえなんでもいいのか? 恥ずかしくないのか? そんなんで男を選びやがって。あいつは俺をうしろから蹴っ飛ばしたことだってあるんだぞ。あいつは俺にカンニングさせたことだってあるんだぞ。卑劣で、愚鈍で、どうしようもないカス野郎だったんだ。だからブッ殺してやったんだよ。もう二度と、誰かを悲しませなくていいように。おまえだって、あんなゴミと一緒にいたって悲しむだけなんだ。どうしてそれがわからない? 俺がおまえを悲しませたことがあったか? おまえが逆らわなければ、俺はこんな風におまえにショットガン突っ込まなくたっていいんだ。俺、チンチン勃たないんだ。おまえを無理やりレイプしたくたってできないんだ。それでもおまえを守るんだ、俺ってまじめだろ? いいやつだろ? なあ? そう思うだろ?」
「ぐぇ……けほっ……」

 梓が戻しそうになったので銃口をクチから引っこ抜く。よだれでべとべとの銃身を袖で磨いてから、梓にもう一度問いかける。頬を鷲掴みにして、爪を立て、俺から視線を逸らせないようにして。

「なあ、俺のこと、好きだろ? 好きだよな?」
「……ぁ……」
「梓は俺が好きで好きでたまらないんだよ」

 囁く。注ぎ込む。
 梓の瞳が真っ青に染まっていく。

「す……き……とう、どう……。……。好き、藤堂。あたしは、藤堂が……好きだよ」
「そうだよな。わかってたよ。きっと疲れてたんだ。もう嫌だからな。もう裏切らないでくれよな。俺は、君を裏切らないんだから」

 俺は梓をハグした。そしておずおずと、梓も俺の背に手を回す。
 夕陽の中で、俺たちは一つの影になっていた。俺は手放すつもりはない。なにがあっても。誰が来ようとも。
 この世界が、地獄である限り。


       

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Neetsha