身体を重ねるたびに、アカリは、ニシダの目の蓋周りが黒く変色していくのが分かった。

 殺人の罪で二十年の刑期を終え、両豪組の組長として復帰してからというもの、収監前に比べて酷く臆病になったという。以前は気前の良い組長だったらしいが、現在は一文惜しみで疑しげに他人を見る。

 それでも、アカリはニシダの元を離れる気はなかった。妾として不自由ない暮らしを与えられていた上に、何より安全である為だった。

 以前、地元の名士としてニイミ・ケンジを知人に紹介された。初めは立派な紳士という印象だったが、あるとき執拗に言い寄られ、遂には半ば拘束される様な形で辱めを受けた。

 ケンジの攻めは苛烈だった。現在も肩に火傷痕が残り、雨の日には疼いた痛みを感じる。

 屋敷から裸同然の姿で逃げ帰ったアカリを見て、ニシダは烈火の如く怒り狂った。それは、今にでも飛び出していきそうな組長を組員達が力づくで静止するほどだった。

 それ以来、傍に置かれ、その寵愛を受けている。

 今夜も、アカリとニシダは一糸纏わない姿で身体を密着させ、唇を重ね合っていた。

 昨晩の嵐が過ぎ去り、部屋の窓から皓々と月明かりが差し込んでいる。

 静寂な空間の中で、互いの息遣いのみが聞こえ、肌表面の感覚は、より鋭敏さを増していた。

「俺を、独りにしないでくれ、アカリ。」

 今にも消えそうな、か細い声だった。そこに、アウトロー達を纏めている男の姿はない。

「何時までも、一緒です。」

 アカリの両腕が、ニシダの頭部を包み込んだ。

 哀れな男だと思った。人を裏切り、陥れ、ある時はカラスをサギと呼び、周囲を欺いて生き抜いてきた男が、今は疑心暗鬼に苛まれ、目の前の女に赤子の様にすり寄っている。

 それでも、気疎いとは感じなかった。ニシダの暗く深い猜疑心の中に、自分が光として存在している事の方が嬉しかった。誰かに望まれて生きる喜びを、初めて感じた為だった。

 ニシダはアカリの上に乗ると、乳飲み子の様に乳房へ吸い付いた。

 舌先が乳房を濡らす音が森閑の部屋に響いたとき、アカリは風の音を聞いた。

 閉ざされた部屋の中で、確かに風の音を聞いた。

 それは、まるで鳥が羽搏いたときに空気が薄く裂ける様な音だった。

 アカリが耳を澄ますと、それまで動いていたニシダの舌の動きが急に止まった。

「どうしました?」

 返事はなかった。そして、ニシダの身体から血温が少しずつ下がっていくのが、肌を通して伝わってきた。

「どうなされたのですか?」

 やはり返事はなかった。それどころか、目の前の身体は、沈み込む様に乳房の上に覆いかぶさり、何処からか流れ出た生暖かい液がアカリの肌を濡らした。

 何が起きているのか分からなかった。肌についた汁を掬うと、其れは黒く、滑らかだった。指の間から滴り落ち、酸化した鉄の様な匂いが鼻をついた。

「アカリだな?」

 女性の声が聞こえた。冷たさを含んだ、静寂の間に諧う声だった。

「両豪組を潰し、アカリという女を連れてこい、と依頼を受けた。大人しく来て貰うぞ?」

「私が声を上げれば、部屋の外の人達が貴女を殺すわよ?」

「この屋敷内で生きているのは、私とお前だけだ。」

 突然、正面に黒い影が現れ出で、アカリは目を見開いた。

 目線の先にいたのは、カラスの面を付けた黒いコートの人物だった。

 恰も、地獄の長が遣わしたグリマルキンの様に忍び寄ってきた彼女は、アカリの目の前に、右の掌をすっと差し出した。

「今なら、私はお前に自由を与えてやれる。絶望の中で生きる位なら、死ぬ自由を選んだ方が良い事もある。」

 アカリは目を瞑ると、躊躇う様子もなく自分の左手を、目の前の掌に載せた。

「良いだろう、アカリ。お前の望む通りにしてやる。」

 カラスの面を被った彼女は、黒いコートを翻し、アカリの視界を塞いだ。