Neetel Inside ニートノベル
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 幌舞は季節の変化を感じない土地だった。

 春夏秋冬、まるで其処だけ雪雲に覆われているかの様に薄暗く、冷気は常に渦を巻いていた。真夜中になると、寒さは更に厳しいものとなり、通りを歩く者はいずれも冷えを堪えながら白い息を吐いている。

 だが、そのまま凍えて死ぬ者はいない。

 全ての住人が衣食住を保証され、家に帰れば暖房の効いた部屋に、温かい食事、そして家族がいる。誰もが幌舞を地上の楽園と呼び、この地を目指してやって来る移民は数が知れない。

 また、幌舞は決して入植者を引き渡さない。それ故に、時折途方もない犯罪者が訪れ、騒ぎを起こす事がある。しかし、幌舞にも警察や軍隊に似た組織が存在する。有事があれば瞬く間に鎮圧と粛清が行われ、都市内は常に高水準の治安が保たれている。

 ところが、その楽園を穢す人々が存在する。

 彼らは自らを神威と名乗り、幌舞の自治政府たるツユキ家に反抗を示している。

 愚かな者達だと思った。

 一体、何が不満でテロまがいの騒ぎを起こすのか理解出来なかった。

 つい先日も輸送車が襲撃され、多数の武器弾薬を奪われた。

 彼らは自治政府の管理する施設を襲い、度々都市網を麻痺させている。

 幌舞の鎮圧部隊が取り締まりに漕ぎ出すも、網の様に張り巡らされた地下水道から通じるアジトの場所を特定する事は困難を極めた。

 だが、一筋の光明が差し込んだ。

 ある時、神威の襲撃によって殺害された者の妹を名乗る少女から、アジトの場所について通報があった。ツユキ家の上層部は罠であるとして取り合わなかったが、現場で動く人間として藁にも縋りたい状況であった上に、成功すれば自らの昇進が約束される。

 待ち合わせの場所として少女に指定されたのは、幌舞の南東端に存在する地下水道の一角だった。過去に何度か調査に赴いているが、有益な情報は得られていない。

 だが、真実であれば大きなチャンスだった。

 指定された時間の三十分前に出発し、路面電車に揺られながら往来する人々を見た。

 市民は何れも幸福を享受している。

 子供と手を繋ぎ、笑みを浮かべて道を歩いてゆく女性の姿を見ると、和やかな気持ちになると同時に、神威に対する怒りが沸々と湧きあがってくる。

 口上では自由、真実と正当性を謳っているが、その実、市民を苦しめているテロリストに過ぎない。幌舞にとって唯一の、打ち倒さねばならない悪だった。

 だが、彼らは一般人と同じ格好をしている為に、特定が難しい。怪しげな人物を捕えて尋問するも、その殆どは全くの無関係であったり、口を割る前に尋問中に死亡する場合が多い。

 車内の乗客や、窓に映る市民の群れに、紛れ込んでいても不思議ではない、捉えどころのない厄介な存在なのだ。

 やがて路面電車は停止し、指定場所に最も近い停留所に降りた。
此処から徒歩で行くが、アジトに繋がるらしい地下水路の入り口はすぐ傍だった。

 幌舞の中にはマンホールが幾つも存在し、複雑に入組んだ地下への入り口となっている。そして、降車した場所から東に向けて目を凝らすと、これ見よがしに半開きとなっているマンホールと、通報者と思わしき少女が見えた。

 念の為、胸ポケットから拳銃を何時でも取り出せる事を確認すると、少女の元へ向かった。

「三日前、電話をくれたのは君かい?」

「ええ、私です。おじ様は、お一人ですか?」

「そうだ。彼らは薄情で、君の電話を怪しんで誰も付いて来なかったんだ。でも、安心して欲しい。私は君を信じるよ。」

「ありがとうございます。死んだ兄も浮かばれます。」

 目の前の少女を見て、その美しさに思わず息を飲んだ。整った目鼻立ち、ベージュの髪を後ろで結び、フード付きの純白のコートを纏っている。だが、可憐さの中に、男を引き付ける魔性さにも似た雰囲気を感じた。

 この少女は、危ない。

 我に返ったとき、諜報員としての勘が自分に語り掛けた。

 それでも、まるで操られる様に、マンホールの下方へ降りていく少女に身体が勝手に付いていく。

 この少女に付いていっては、いけない。

 脳の至るところから発する警告音が聞こえる。だが、彼女の白いうなじを見てからというもの、まるで全身のシナプスが麻痺したかの様に言う事を聞かなかった。

 やがて水路の床に足が着いたとき、薄暗い空間に白く反射する少女の肌が映った。

「この先、十分ほど歩いた場所にアジトがあります。」

「君の名前は、サクマ・リナと言ったね?」

「電話でお伝えした通りです。其れが、何か?」

「最近、神威を調査していた仲間が、何人も失踪している。それも、水路の中で。」

「おじ様は、私をお疑いで?」

「個人的に調査をした。すると、失踪した者は何れも同じ女性と付き合っていた。それも、君と同じくらいの年齢の女性と。」

「それが私であると、そう仰りたいんですか?」

「そういう訳ではないが。」

 はっきりそうだ、とは何故か言えなかった。

 失踪した仲間もまた、同じ手口で罠に掛かったのかもしれない。
 そのとき、自分の手は無意識に胸ポケットに伸びていた。

 警告音で一杯になった脳内が、手を動かそうと神経を介して懸命に電気信号を送っている。

 やがて、震える手で拳銃のグリップパネルを掴むと、懐から抜き放った。

「神威の一味、ニイミ・ユウ。反逆罪で逮捕する。」

 銃口を向けた先で、少女の眼が光った。

 次の瞬間、自分がトリガーを引く前に、重い金属的な衝撃音が二度、水路内に響き渡った。間髪入れず、胸に焼ける様な痛みが走り、弾き飛ばされる様に身体が仰向けに落ちていった。そして目の前には、自分の胸から飛び散った血の飛沫と、その向こうに銃口を向けている少女の姿があった。

「そのまま付いて来れば、今より楽に死ねたのに。」

 煙が立ったままの銃口を向けながら、少女は倒れている自分に跨った。

「俺の正体が分かった事は、褒めてあげますよ。おじ様。」

「なぜお前達は、市民を苦しめる事をする。」

「幌舞の人達が、本当に幸せだと思っているんですか? もしそうなら、お笑い種ですよ。」

「神威は異常者の群れだ。お前の様な子供にまで、女の身形をさせて銃を持たせている。いい加減、目を覚ませ。」

「ツユキ家の所為で、大切な存在を失った者は大勢いるんですよ。その人々の為に、俺達は武器をとった。真の自由を、得る為に。」

 どん、と勢い良く鉄の杭を壁に打ち込む様な激しい音が、コンクリート製の壁に反射し、拡散され、水路の中に響いていった。

       

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