Neetel Inside 文芸新都
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見えなくなったもの
第三話 譲れないもの

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三話 譲れないもの

 眠れなかった。気が付けば窓から日が差し、ランプを点けずとも部屋の全貌が目視出来る程に明るくなっていた。
昨夜の事もあったが、ずっと"彼等"が姦しい。あの男や父の真似をしては、只管に笑い転げていた。
 折角今日は、母が戦から戻って来る日だと言うのに、目元に隈が出来た状態で迎えなければならなかった。
我が子の顔を見た母は、こちらの前では優しい顔をしてくれたが、父と二人で話していた際に聞き耳を立てると、重々しい声で父を責め立てていた。
 昨夜の事を話すべきか、父は少し迷ったようだったが、用心してもらう事に越した事は無いと判断したらしく、ある伝手で母の暗殺計画を耳にしたと話し、次の戦には出ないよう提案したが、母はそれを一蹴した。

「逆に言えば、皇帝陛下が私に皇位の座を譲るという事を、視野に入れておいでという事だ。漸く掴んだ好機を、みすみす手放す訳にはいくまい。軍人が命を狙われて臆したと、他の継承権を持つ者共に嗤われるのは目に見えている」
「であれば、私とカールもご一緒します。貴女にもしもの事があれば、あの子に向ける顔が無い」
「戯けた事を抜かすなフォルカー。それこそ奴等の思う壺だろう。お前の言っている事は、この家を敵地に移すと同義だぞ」

 皇族であるが故、その婿として迎え入れられた父は、母の反論に為す術も無く、次に食い下がる言葉が出なかった。
母が言うには、そもそもその暗殺計画とやらも、真実であるか疑わしいと、そう言った。
 継承権序列第1位の皇子は、自身を玉座に就かせるが為、あらゆる手段を惜しまないという話は聞いているが、比較的序列の低い母を態々付け狙うのは、確かにあまり考えにくい。
しかし、序列が高ければ高い程、一筋縄ではいかないのも事実。手がつけられなくなる前に、潰しておく事も考える可能性は十分にあった。父はそれを危惧していたのだ。

「テントの材質などは、すぐに分かる。取り替えろと言えば済む話た。随分と見縊られたものだが、そもそもその伝手とやら、信用出来るのか?」
「……トクサ卿より、言伝いただいたものです」

 長く躊躇った後、父がそう言うと、母は暫く黙り込んだ。恐らく、相当顔を顰めているのだろう。
必ず何かしらの証拠を提示する為、情報は確かなのだろうが、何処か掴み所の無い男という印象であるのは、母も同じだったようだ。
 終いに母はふんと鼻息を吐き、席を立った。

「……奴を信用している訳では無いが、用心しておく。この話は終わりだ」

 そう言った後、足音がこちらへ向かって来るものだから、此処に居ては盗み聞きがバレてしまうと思い、慌てて音を立てないようその場を去った。
しかし、廊下を走っていてはいずれ見つかる。そう思った矢先に見つけた扉の向こうに、気付けば飛び入っていた。
これで母に見つかる可能性は下がる。そう思って安心したのも束の間、部屋の方を見やって唖然としてしまった。
 そこは辺り一面が霧で白んでおり、奥で東洋人の着姿の少女が一人、行儀良く座っていた。
高貴な着物を着た、長い薄桃色の髪と瞳をした、額と目の下に何やら紋様がある少女だった。
彼女の前に置かれた、占いに使われる盤がくるくる回っているのを見つめながら、何やら物憂げな顔をしていた。

「本当はこんな事、貴方に言う義理も情けも無いの。人間は嫌いだもの」

 何が起こったか分からず、ぼんやり彼女を眺めていると、突如彼女がそう言った。どう見ても人の形をしているが、どうやら彼女も人間ではないらしい。
何の事か分からず、ただ彼女を凝視していると、少女はこちらを見向きもせず、一度しか言わないと前置きした。

「そんなに難しい事じゃないわ。静寂を望むなら静寂たれ、喧騒を望むなら喧騒たれ、それだけよ。但し、どちらも全てにおいて、という事は心に留めておく事ね。自分の望んだ事ぐらいは、自分で片を付けなさい」

 こちらの事などお構い無しに話し続ける少女に、一体何の事か訊こうとしたその時、彼女の嫌悪の目がギロリとこちらを睨みつけた。
思わず肩を竦めると、突然背後から何者かに引っ張られ、後ろに倒れかかった体が誰かとぶつかった。

「悪い子だ。母の目を誤魔化せると思ったか?」

 真上から聞き覚えのある声がして、見上げると、母が優しい笑顔を向けていた。
部屋に不審な者が居る、と思わず叫ぼうとして、少女の方へ向き直ると、そこには誰もおらず、大きな姿見が自分と母を映しているだけだった。

「また白昼夢を見たのだな、そんな隈を作るからだ。少し寝ておいで。それから母と出かけよう」

そう言って母が頭を撫でてくれると、不思議とさっきまでの緊張が解れたような感覚に陥った。
 自室へ連れられて、ベッドへ入ると、母は額に口付けをして、愛おしそうに我が子を寝かしつけた。
"彼等"もほとぼりが冷めたらしく、騒めきが収まっている。その日は漸く、穏やかな気持ちで眠りに就く事が出来たのだった。
 恐らくあの少女も、"彼等"の悪戯か何かだろう。あまりにも無視し過ぎていた所為か、こちらに構えとあのような幻を見せたのだ。
はしたなく騒ぎ立てるような事は禁じられていたし、いくら静かにしていても、"彼等"まで静かになる事など、今まで一度たりとも無かったのだから。
 昼下がりに目が醒めると、ずっと付き添ってくれていたらしい母が、また優しい笑みを向けてくれた。
そして、狩猟会へ連れ出してくれた。この日獲れた鹿の肉をワインに漬け込んで、父と、母と、共にその肉の食べ頃を心待ちにしていた。
出来上がったヴィルトをテーブルに並べて、次は釣りへ行こうだの、母より白い父の顔を改めろだの、一家団欒の時を楽しんでいた。
それ故に、あの男が駆けつけた夜の事、あの少女が現れた朝の事、自分の心の内にあった不安は、母が家を出る日まですっかり忘れてしまっていた。

「カール、良い子にしているんだよ」

 玄関先で、母は笑ってそう言った。
今になって不安が蘇り、ぎゅっと母の裾を掴むと、母は心配無いと頭を撫でてくれた。
 ずっと黙り込んでいた父は、何やら意を決したような顔をすると、札のようなものを数枚取り出して、母に手渡した。

「防御壁を生成する護符です。これをテントに貼って、夜を過ごして下さい。外から矢などは入らず、テントが燃え盛ろうと、中に居る貴女が燃える事はありません」

父の説明を聞いて、母は呆れたような顔で受け取った。そして心配無いと言っているのにとぼやきながら、父の護符を大事そうにポーチに入れたのだった。
そんな護符があるなら、母が暗殺される心配など無いだろう。そう思い直して、戦場へと赴く母の背中を見送りながら、早くも次に母と出かける日を楽しみにしていた。

 その数日後、あの少女の言葉の真意を知る事になるなど、この時は思ってもいなかった。

       

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