Neetel Inside 文芸新都
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見えなくなったもの
第一話 夢に棲むもの

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一話 夢に棲むもの

 最初に、このキキョウと名乗る獏と出会ったのは、戦に出た母が、帰ってこなくなる夢を見た日だった。
 獏とは、悪夢を主食としている、御伽噺の生き物である。話によれば、この獏も“彼等”と同じ類の者らしかった。
癖のある紫の前髪は目元を隠す程に長く、男か女かも分からない。坊ちゃんと呼んでくる割には、自分と歳の変わらなさそうな子供で、その形は人間と言って間違い無かった。
 悲しみに暮れる父、棺の中で眠る母、重々しい葬儀の光景だった。
しかしそれが、突如布のようにひらめいて、ある一点へ、獏の口の中へと吸い込まれていったのだ。
それからその場所は、何も無い只の暗闇となり、そこに自分と獏だけが立っていた。
だが、驚いたのは獏の方だった。叫んだ後に腰を抜かし、震え慄いていた。
獏に悪夢を食われた夢の主は、その場で起きるか深い眠りに落ちるかで、例え“彼等”が見える者であっても、そうそう獏だけが居る、この空間には立っていないらしい。
普段は気怠げな声で、悪戯っぽく笑い飛すが、その反面こちらが声を荒げると、途端に言葉を吃らせる小心者の顔もあった。
 それからは悪夢を見る度、こんな風に獏と話すようになっていた。そして自分にしか見えない、“彼等”の呼び名や生態についてを、色々聞いていた。
その他にも、悪夢はどんな味がするのか、獏は本当はどんな姿をしているのか、そんな事も訊いてみたが、それに関してはまともな答えが返って来なかった。
否、その回答には、こちらが理解し兼ねた。夢の中である故、理解しない方が良いような気さえした。
聞けば、"彼等"が見える者は非常に稀だが、自分の他にも何人か居て、"彼等"が特に見えないのは、人間の一族らしかった。しかし、他に"彼等"が見える者を訊いても、獏は興味無さげに首を傾げるばかりだったのだ。
 ただ、この獏の話す事には、何の信憑性も無かった。何せ『獏』と言う存在そのものが、御伽噺の域を出なかったからだ。
本来の姿は、象と鼠を足して2で割ったような姿をしていた筈だし、何より此処は夢の中なのだから、同じ人間が何回も出て来て、出鱈目を話しているように見える事も否定出来なかった。
しかし、この獏が人間に見えるのも、此処が夢の中だからと諭され、人によっては絵本の通りの姿だったり、恐ろしい大男に見えたり、見目麗しい女性と見られる事もあるらしい。
つまりは、自分が人間の子供だから、獏も同じ様な姿に見えるのだと、そう言われた。
 少し考えれば分かる事だった。此処は夢の中であり、現実ではないのだ。この者が人間であれ亜人であれ、実在するとも限らない。全ては出鱈目なのだ。
何故なら、獏の話す事一切に、物的な証拠は何一つとして無いのだから。そう思う事にした。

「そりゃあ、その女もあっしらと同じだからでやすよぉ」

 父の実家で、あのメイドと会ったその日の夜だった。結局その後メイドは家主に呼ばれ、その日は姿を見る事は無かった。
皇位継承争い云々で、ならず者に手をかけられそうになる夢を見て、またこの獏と会った。
誰にも言えないこの歓喜を、どうにかして伝えたくて、思わず今日の事を話すと、一面漆黒の空間で、獏の笑い声だけがけらけらと響いた。
 何が面白いのか、何故笑うのか、喜びは怒りに一転し、獏を睨みつけた。

「あっしがそう見えるなぁ、坊ちゃんが人間としか馴染みがねぇからでやすが、彼女は違う。人間に化けてやがんでさぁ」

 こちらの顔になど目もくれず、そう話す獏の言葉を、今思えば何故信じようとしなかったのだろう。
否、信じたところで、この先の未来が変わる訳でも無いのだが。
しかしその時は、どうにもその気怠げな声が、何処か自分を見下しているように聞こえて、あまり好きではなかった。

「彼女が選ばれた者っつぅんなら、そうなんでやしょうよぉ。あれでもあいつは、神に仕える巫女なんでやすよ?」

 そして獏は、またそんな出鱈目を言って笑った。その言葉の真意が、その頃は全く理解できなかった。
神に仕える巫女ならば、何故人間の給仕をしているのか。更に言えば、人間こそ至上とされ、他種族は排されるこの国で、態々人間に化けてまでそこに仕えるなど、考えられない。
それを問えば、獏はまた興味無さげに首を傾げた。今の暮らしを害されないなら、他がどうであれ関係無いと、そう言うのだった。
 口や態度には出さないようにしたものの、真剣な話をしていたのに、軽くあしらわれたようで、どうにも面白くなかった。
だから次の日の夜は、奴に会わずに深い眠りに就けるよう、少しだけ夜更かしをする事に決めた。
そうしなければ、この先の未来は変わっていたかも知れないと思ったが、普段通りの時間にベッドへ潜ったとしても、自分の気の持ちようが変わるだけで、結局の所、その先の事実は揺るぎようが無かったのだった――。

 ――その日の夜は雨が降っていた。その所為なのかは知らないが、"彼等"はいつもより大人しく、しかし何やら嘲っているような、これから起こる事を楽しみにしているような、とにかく嫌な笑い声を堪えていた。
暫く寝ないと決めたものの、する事も無く、父やメイド達に見つからないように、広い屋敷の中を歩き回っていた。
通ろうとしている廊下に、人が居ない事を確認した後で、窓の方へ目をやると、露でほぼほぼ見えない外で、確かに黒い影が通りかかった。

「来た、来た、来た、来た!!」

 途端、彼等が少し騒めき始めた。盗人の類かと思うと、居ても立ってもいられず、かと言って真っ向から立ち向かったところで、大人の男性では勝ち目が無い。
その窓を静かに開けて、その人影の姿をこの目で捉えようと顔を出すと、影はすぐにこちらに気が付いた。
思わず声を上げそうになったが、その顔には見覚えがあった。

「殿下、夜分遅くに大変恐れ入りますが、どうかお静かに。お父君に、火急の用で参りました」

 緑色の前髪を後ろへ流し、いつも笑みを絶やさない、飄々とした男という印象だったが、この時は真剣な表情で、重く静かな声をしていた。
外套を纏ったその男は、トクサと言う名の、この国の文官だった。


       

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