最後のレッスンは川崎の支配人や投光さんの厚意でゲネプロの形式になった。
きょうが終わればもう本番しかない、そう思うと体が震える。「ちょっと待ってください」となんとか言い終えると、楽屋のトイレに駆け込んで少し吐いた。口をゆすいで、パレオをなびかせ走って戻る。
 いつ蛍光灯が消えるだろう。貝殻の中から目を見開いて待っている。
「ひかりちゃん、呼吸してる?」麗香姐さんから声がかかった。「死ぬよ?」と言うと、麗香さんの横で見ている支配人が笑った。
「呼吸してる?」なんて、どういうアドバイスなんだろう。そして、姐さんにそんなアドバイスをさせたわたしって、なんだそりゃ。笑えてしまう。大丈夫でーす、返事をする。客電が消える。
「はいそれでは華のトップステージを飾りますのは本日のゲスト雪野ひかり嬢です。ひかり嬢は呼吸を忘れないように、お客様が呼吸を忘れるようなステージをお願いいたします」
投光さんのアナウンスが、観客のふたりしかいない場内に響いた。「ひゅーひゅー」とおどけて投光さんの気の利いた言葉に反応する麗香姐さん。ひとりで大きな拍手をしてくれる支配人。

 思い出せ、麗香姐さんの言葉を。そう言い聞かせるようにつぶやいて、手持ちノートに書き込んだ言葉を反芻する。一曲目がはじまる。貝殻をゆっくりひらいて、ゆっくり立ちあがって、ゆっくり一歩目を踏み出す。
「音をしっかり聞いて」「貝殻開いたら拍手もらえるから、しっかり待って。イントロの間はゆっくり見せる。立ち姿と歩き姿で間をもたせて」
脳内に響く言葉と、いま姐さんからかけられている言葉とが交錯する。
「考えすぎると身体動かなくなるんだから」言葉を言葉のまま、脳内においておく。「あなた賢いんだから、聞いた言葉はちゃんと自分の中で消化できてるはずだよ」
 客席に背を向ける。青い光の途切れた、自分の影をみる。そこに曲線はあるか。わたしは、エロいか。
「ストリップの客は『脱ぐからエロい』なんて目で見たりしないからね。ここじゃ全員脱ぐんだから」
出っ尻が悪目立ちしないように。いちばん気をつかう振りだ。動画で見ると、よくわかる。不自然に、無意味に尻を突き出しているように見える。姐さんのように、一連の動きのなかで身体を折り、結果的にお尻が出るようなニュアンスを出す。
 ヒールの音を響かせながら、左右にステップ。根岸劇場はここまで広くない。気持ち小さめに幅をとる。同じだけ返ってきて、中央でピルエット。靴底の擦れる鋭い音。

 曲が替わって、テンポが落ちつく。
「二曲目からは手拍子もらえない曲だから、ビビらないでやんなよ」
そう言われ、にわかに観客の目を感じた。そうだった。この人たちにどう見えるのか、考えなければ。
 身体の柔軟性は残っていたから、ベッドショーのポーズはレッスンでも苦にならなかった。
「まずはポーズ切るのにみんな苦戦するんだけどね。そこはよくできてる。問題はそのあと。ポーズに入ってから、決めにいくタイミングが大事だから」
四つんばいから手脚を上げる。七分くらいまで上げたところで、ほんの少しスピードをゆるめる。そして、伸びきる瞬間にもう一度勢いをつける。
「タメて、ノビる」
頭で考えるのと同じタイミングで麗香姐さんの声が聞こえる。
「このタイミングはお客さんの反応見てみないと実感できないと思うけど、意識しておくと役に立つから」
ノートに小さい文字で、言われるまま補足したことを思い出す。
 最後のポーズを切る。まだ筋肉がないわたしは、ブリッジから立ち上がることができない。支配人の拍手が途切れたのを聞いて、代わりにブリッジを一回くずしてから立ち上がり、バレエ風の礼をいれて帰っていく。
「オープンショーの練習もしようか。ひかりちゃん、そっちのほうが苦手そうだから」
と言われ、かぶりの席に座った支配人と麗香姐さんにまんこを見せた。麗香姐さんの前で、わたしは笑顔をひきつらせながらひらいた。姐さんは、なにを思ったのか「うわあ……」とかまととぶって、色っぽく口もとに手を当てた。

 「よし、おいで」
麗香姐さんのひとことで支配人が後ろに下がっていった。わたしは袖から舞台に戻った。
「きょうのこのゲネプロ、忘れちゃダメだよ」
「はい」
「あのノート、字ちっちゃ過ぎて読みづらいよ」
「勝手に読んだんですか」
「でも困ったときはアレに立ち返るようにすれば、ひかりちゃんもきっと大丈夫だから。いつかふたりで踊ろ」
「ふたりでですか」姐さんの目を見る。
「ふたりだよ? 膝治ったら、また戻ってくる気でいるから。そのときは川崎でお祭りだよ。ちょうどこれくらいの時期にしようね。雪野ひかり周年週アンド早蕨麗香復帰週って」
「まずは、まずはわたしがちゃんとデビューするところからですよね」
「そうね……でもねえ、本番は大変だよ?」
姐さんは二、三回うなずいて、真面目な顔になって続けた。
「百やったうちの五十もできないと思った方がいいよ。人生だってそうでしょ」
そう早口で言うと、わたしの脇腹を小突いてきた。わたしは、言葉を返せないでいた。