スイカを改札機にかざし、せき立てられるようにゲートを通ると、左側から強い日差しを感じた。屋根のあるぎりぎりまで行くと、道路を挟んだ映画館のビルの上から太陽が照りつけている。北海道ではまずみられないような真冬の光。
 あまりの明るさに、劇場に向かう足を止めた。「川崎地下街アゼリア方面」と矢印が出ているのを見つけ、階段を降りる。まっすぐ進んで突き当たりを左に曲がれば、劇場最寄りの出口に着くはずだ。パン、寿司、居酒屋、定食、と店の並ぶなかを歩く。きのうの客が持ってきたバケツいっぱいのチキンはここで買ってきたのか。目移りはしても、劇場に一歩近づくたびに感じるかすかな震えは続いている。目に見える震えじゃない、胸の奥の震源の存在だけを確かに感じている。演者ぶんだけ差し入れされて、麗香姐さんから半分食べさせてもらったとんかつ弁当のにおい。
 角のカフェを過ぎて左に曲がる。二股にわかれた出口の右側をあがっていく。県道をそれて、路地を右、左、右、左、右。夜になっても同じ顔でだんまりとしてたたずむ、「Live Strip Theater」と書かれた電気のつかない大きなネオンに迎えられる。入口前には数人がたまっていて、貼りだされた演者の写真をスマホで撮ったり、同じ踊り子のファンどうしで話したりしている。何人か見知った顔がある。さすがに毎日決まった時間にあらわれて、スタッフのように立ち働いているのだから、「なに、新しい従業員さん? あなたも踊らないの」などときかれることもあり、来週から根岸でデビューする新人だと認知されはじめていた。
「まあ、紹介はほどほどにしておいてね。あんまりみんなに知れたら面倒っちゃ面倒だからさ。孫を愛でるような目線のなかに、ふと性欲がみえたりしてね。中途半端ないまが一番面倒くさい」と麗香姐さんに釘を刺されている。

 支配人に挨拶をすませて、いったん外をまわって楽屋に入る。
「おはようございます」
ちらほらと返事がある。楠葉うれい姐さんの姿がない。つまりは麗香姐さんの出番がもう近い。
「きょう、人すんごいでしょ」
「中はまだ見てないですけど」それでも、劇場の扉が開いたときの音の漏れかた、タバコを吸う客の多さ、入口前のたむろで十分すぎるほど様子は知れていた。
「まあ、嬉しいことだけどねえ」麗香姐さんは差し入れのお菓子をつまんだ。
「ポラロイドショーが長引いて、曲がカットされたら嫌だな。引退興行だから、さすがにそれはないだろうけど」
「ステージ押してるんですか」
「どうにか許容範囲でまわしてくれてるかな。ポラロイドショーをダブルとかトリプルで、っていうのは、二人とか三人まとめてやっちゃって、なんとか時間おさめてる感じ」
「もう行ったほうがいいですかね」普段なら麗香姐さんの二回目演目が終わるくらいの時間だ。
「見られるかなあ。ひかりちゃんの背じゃ、厳しいかもよ」

 ところどころ錆びついた階段を降りると、プレハブの物置の影で、五十代くらいの男性客が泣いていた。扱いかねると思って通り過ぎると、
「おねえちゃん、レイちゃんの付き人? それともあれかい、恋人かなにか」と後ろから声をかけられた。
「あ、いえ、あの」なにを返してもきな臭いことになりそうで、いちばん傷の浅い答えを探す。
「まあ、そうです。付き人というか、近くデビューするので」
「あ、そう。毎日レイちゃんの荷物運んで、大変だ」本当はなにを言いたいのか、いまひとつ掴みきれない。
「ありがとうございます。でもこれがいまのわたしの仕事なので」
一息でずらっと言い切って、足早に劇場に向かった。
 スーツケースをひいて劇場まで来ているだけなのに、わたしが麗香姐さんに付いていることを知っているのは、もしかしたら恐ろしいことなのかもしれない。なぜ姐さんのスーツケースだとわかったのだろう。朝、姐さんの劇場入りから待機している客だろうか。なんにせよ、振り返る気は起こらない。
 ロビーに定着しきった煙の白が、許容量をはるかに超えて開け放した扉の先まで侵入してきている。煙霧のカーテンをくぐりながら、窓口で券を売る支配人にぱっと目を合わせ、喫煙所を通って劇場の扉を引くと、内側から寄りかかっていた小太りの男性が足をもつれさせた。
 わたしの背じゃ難しい。言っている意味がよくわかった。座席はすべて埋まっている。いつもなら荷物だけがおいてある席がいくつかあるものだが、きょうに限ってはすべての背もたれから頭が生えていて、光合成を忘れた密林じみていた。高木から垂れる葉をかき分けて前に進もうとしても、押しやった体が体を呼び、いっこうに道は開かない。遠くから、聴き慣れた曲と強い光を感じて、仕方がなくわたしは引き返すことにした。めり込んでくる体の侵入を許してできた隙間を縫って、なんとか外へ出た。喫煙所の客が場内に雪崩れるように入っていって、灰皿にはまだ火種の残る吸殻がいくつか混じっている。「だめでした」と支配人に言って、楽屋にもどる。階段近くで泣いてた客は、もういない。
 手が空いた楽屋のみんなで麗香姐さんのポラロイドショーの写真にシールを貼っていると、姐さんが鏡の前に座った。セミロングの髪を手際よくまとめてピンで留め、ネットで小さくまとめる。手つきがこなれている。傍らに置かれた、耳に少しかかる長さのウィッグを手に取ろうとして、わたしの視線に気づいた。
「明日、デビューでしょ。いま、どんな気持ち」
改めてそんなことを言われると、返事に窮してしまう。
「恐ろしいような、嬉しいような、でも、昨日『本番は大変だ』って言われて……」本当に引っかかっているのはそこではない。百やったうちの五十もできない。無力なわたしを想像して、胸が、肋骨が、ゆっくりと強く自分を自分の中に閉じ込めていくような息苦しさをおぼえる。
「そう。本番は大変。いままで見てきて、よくわかったでしょ。でも、そのぶん、舞台は自由。あの場所を自由で楽しいと思えたら、きっとひかりちゃんは踊り子を続けられるから」