曲が変わる。心地よいギターの揺れに流されて、再び舞台に戻ってくる。暗転のあいだに袖の奥のほうにしまい込んだ貝殻が、まだごろごろと硬質な音をあげている。
 曲調に合わせて右に一歩、左に一歩、お盆のほうへ進んでいく。

  コンクリートにしみ込む 冷たい陽とさまよう
  ふるえる肩を抱いて 二度と戻らない

 儚げなアウトロとともに、シュルシュルシュル……とかすかな音。いちだんと照明が暗くなって、ミラーボールの光がちらちら、壁の鏡に映ってちらちら。いくたびもの反射を繰り返してきた、細く、弱まった光に背中を射抜かれる感覚で気がつく。舞台奥の幕が開いたのだ。リハーサルで見て驚いた、一面の鏡張りの壁。
 わたしの乗ったお盆が、静かに回り始めた。天井を見上げて横たわった姿勢から、ゆっくりと脚を上げ、下着に手をかける。右腰のひもをほどいて左腰に二重に結んでやると、短い三曲目が終わって、ベッドショーの曲がはじまる。慌ててブラを外し、舞台奥の方へ軽く投げる。
 脚をひらひら上げては下げる。腹筋をつかって同時に上体を揺らして、水の中でわたしは浮かぶ。目の前の客が、わたしの脚の、そしてまんこの動きに合わせて柔らかくうなずいているのがわかる。そのあいだにも神経は指先に。背骨のくぼみを降りていく汗が、腹筋の震えでその流れを早めている。お盆は回りつづけ、わたしは何回転目かではじめてまともに鏡をみる。古ぼけた劇場の暗がりに並ぶ鏡は、わたしがいつの日か見ていた、憎むべき鏡によく似ていた。



 ユナちゃんの豊かな太腿部が見える。自分と体格はさほど変わらない。腕の細さや足の長さも。バーレッスンのグランプリエのときに、大きくかがみ込みながらバーを挟んで踊るユナちゃんを盗み見る。スカートを履いてはいるが、腰の落ちはじめる位置や曲げきった膝から、大体の体つきを推し測る。やっぱりほとんど変わらない。でも、そうだとしたら……。
 あごを引いて鏡を見る。胸の前で手を開くような動きを何度も繰り返すユナちゃん。凛とした背中。鏡に映る顔が、蛍光灯を背負っていて薄暗い。彼女もまた、自分の嫌いなしぐさと向き合っているのだろうか。だとしたら、そのユナちゃんにどうしたら追いつけるのか考えているわたしは、もう一段低い。
 自分の何もかもが嫌いになり始めていた。きれいに伸びてくれない脚。その脚を意識しすぎておろそかになる腕の位置。流れるようにひらいてくれない指先。そして何より、なんだか釣り合いの悪い顔。こうして寝転がっていると、そんなすべてから意識だけ切り離されているみたいで気が楽だった。リノリウムの冷たさのせいだろうか。
「いつまで残ってんの。もう閉めますよ」ドアの向こうは電灯がついて明るかった。母の声だった。

 往時のにぎわいもすっかり消えた山あいの炭鉱町で、母はバレエに殉じるかのように指導に熱をあげていた。というか、わたしの知っている母はバレエにのみ殉じた、と言うべきかもしれない。
「お前は、歪んでいるよ」
 毎日のように、母はわたしに言った。言われるたび鏡の前に立った。あるいは立たされていたのが無意識のうち習慣になったのか、思い出せない。教室の一面に貼られた鏡のなか、真正面に立つわたしはどこがおかしいのだろう。ユガンデイルことは、美しくないこと。それだけが母とわたしの解釈の一致。毎日毎日、自分を美しく見せることだけに全霊をささげ、階段を降りて自室に向かうとくたくたになった。
「のんちゃん、じゃあね、またすいようび」
元気な声に少しだけドアを開けると、土間で彼女がトウシューズを履き替えている。同学年のユナちゃんは、母の「お気に入り」だった。

 いま、劇場の鏡が、自分を見るためではなく、自分を見せるためにあるものでよかったと、わたしは思う。視界は光によって与えられるものなのに、鏡に映った自分を見るときだけはその受動性をかたくなに拒む。鏡の向こうの不格好さが途切れない思考を促す。脳の血流が増えるような、わかりやすい切迫感。わたしがもう一度鏡と向き合うことができたのは、ストリップをはじめたあとだった。
 鏡を見るたび泣いていたあの頃のわたしを、母はどういう思いで見つめていたのだろう。みずからの一挙手一投足に絶え間ない批評を迫られる緊張に、早くも耐えられなくなった娘の姿を。あのいなかまちの鏡の向こうでは、わたしはせめて一番でなくてはならなかった。唐草を模した枝からこじゃれた看板のぶら下がる、町に一軒のバレエ教室の娘として。