「麗香さんのような、ストリッパーになりたいです」

 楽屋に戻って、シャワーから出てきた麗香さんに頼みこんだ。
「あっしは止めないけど、いい?」
予期せぬ言葉。快諾でも、拒絶でも、またわたしに対して熟慮を求めるでもなかった。わたしの目をしっかりと見て言った。この目を逸らしてはいけない。
「とりあえず、服、着てもいいかな」
楽屋の真ん中で、白い容器からボディクリームを取り、腕、肩まわりとおそらく決められた順序で塗っていく。五百円玉くらいの大きさのクリームをくるくると手で伸ばし、その手を軽く曲げた脚へもっていく。あの淡いピンク色に染められた脚。懐かしい子守唄のように大事に抱きかかえている三十分前の記憶。音も光も衣装もメイクも、すべてが踊り子を美しく、かわいく見せるためだけにあったあの時間。踊り子の身体と精神と創意工夫とが、そのままなんの検閲も受けずに舞台に上げられていく世界。そうか、誰も止めてくれないんだ。
「さ、どうする?」
ボアフリースの長いワンピースを着て、鏡の前でドライヤーをあてている。わたしが近づいていくと、隣の座布団をぽんぽんと触った。正座で麗香さんのほうを向くと、ドライヤーの風が止んだ。
「やりたい……です」
「こっち向いて言おうか」
くるりとわたしの座布団の向きを直した。隣にならんで、鏡を介して目を合わせる。
「言ってごらん」鏡に映った麗香さんは言う。やっぱりなんど見たって、鏡は嫌いだ。いや、鏡に映った、わたしが嫌いだ。だけど少しだけ安心感があるのはなぜだろう。隣には麗香さんがいる。この鏡は、過去ではなく未来を映している。
「ストリップがやりたいです」
麗香さんは小さく二度、うなずいた。
「お金もなくて、家も仕事もなくて鶯谷の神社で泣いてたんだから、おあつらえ向きだとは思ってたけど。でも、過程が大事だったと思うよ。自分からすすんで宣言したあなたに、自信、持ちなさい」
 その日から、彼女のことを「麗香姐さん」と呼んでいる。



 麗香姐さんのとりなしで、早々にデビューが決まった。わたしのデビューは一週間ーーこの世界でいう十日後の、同じ根岸劇場となった。
「デビュー演目、どんなのが踊りたいの」
「わたし、あの『マーメイド』が踊りたいです」と言うと、楽屋にいた全員が笑った。
「いちおう、まだ麗香姐さんの持ち演目だし……」
「あたしのときはド素人だったから、『好きなCD持って来い』って言われてデスメタル持ってったらスミレ姐さんに呆れられたなあ」
「あなた、なんかダンスやってた?」
「中学まで、少しだけバレエを」
「お、素養あるじゃーん! じゃあ、バレエを軸にしたやりやすい演目にするといいよ」
「いや」麗香姐さんが口を開いた。
「『マーメイド』、あげるよ。あっし、来週で引退するから」

 次の日から、昼は麗香姐さんの家で部屋の掃除や食器の後片付けなど、いわゆる居候として過ごし、夕方に姐さんが乗っている川崎ライブシアターへと向かう日々がはじまった。ホームの劇場での引退興行とあって、毎日わたしが着く頃には椅子席がほとんど埋まっている。姐さんは根岸劇場のラストステージと同じ「マーメイド」を偶数回目の演目にして、奇数回目をほぼ日替わりで出している。新作も過去作も定期的にいろんなところで出してるから大丈夫だと言うが、周りの姐さんたちは「技のデパート」「鬼のような複数出し」と笑いながらも心配している。
「でもね、どの先輩を見てても、引退週は無理してでもやり切るもんなのよ」
わたしは比較的客の少ない二回目公演のマーメイドをみて勉強し、その後は楽屋に入って四回目が終わるまで雑用係になる。SNSに上げる写真を撮ったり、ゴミを捨てたり、弁当やタバコや栄養ドリンクの買い出しに行ったり、とにかく言われたことをなんでもやった。川崎は終演が二三時と少し早い。そこから舞台を借りて自主練をして、身支度をととのえた麗香姐さんがやってきたらレッスン開始。「引退週だからいまはお金持ちだけどさ、出世払いだからね」と毎日姐さんがもらってくるチップでタクシーに同乗し、帰宅と同時にふたりはぐうぐう眠った。
「あっしのだけじゃなくて、全員の踊りをちゃんと通しで見たほうがいいよ。とくに二番目の小泉ルミカちゃんの踊りと、あっしの前に出てくる楠葉うれいちゃん、よく見てきて」
「ルミカちゃんは人に見られているってことをまだ意識しきれてない。まあ芸歴が浅いからしょうがないんだけどね。で、うれいちゃんはそこをわかってる。どの角度にあなたが立つか、じゃなくて、どの角度に立てば客席からどう見えるか、それを考えてから舞台に立ちなさい。舞台だけじゃなくて普段から考える癖がつくくらい」

 ふと、いつかのバレエの記憶、唯一楽しかったバレエの記憶がよみがえった。客席のユナちゃんは、わたしのことを羨んでくれたのだろうか。そして母は……客席から観ていたんだったっけ? いまとなっては忘れてしまったし、そんなことを考えている時間がない。あの日楽屋で小さな鏡に、自ら飛び込んだ。もう、元の世界には戻ってこれないのだから。