Neetel Inside ニートノベル
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 翌日もまったく起きれなかった。トイレにだけは這うようにしていったが、身体がだるくて起きれない。ぜんぜん元気じゃない。何もしたくなかったし、何も出来なかった。奏さんは大丈夫と言ってくれたが、すごく不安だった。抗うつ剤を多めに飲んでしまった。僕は……兄さんのようになってしまうんだろうか。

 窓から見える里山はいつものような雰囲気だった。みんながそれぞれの仕事をのんびりとこなしている。今年は農作物が豊富に採れたそうだ。よかった。里山がいつも通りだと僕も元気になれそうな気がする。でも同時に永遠にこのままの世界が続いていくような、そんな恐ろしい空想も生まれてしまう。変化も地獄、停滞も悪夢だとすれば僕はどうすればよいのだろう?
 爆堂山の夢はよく見た。決戦以前の、あの圧倒的なチカラ……僕の兄さんを廃人にした幻魔。やつのせいで兄さんは赤ちゃんになってしまった。なにもできず、なにも考えられず、泣いてばかりいた。あんなに強かった兄さんの剣も式も、溶けるようになくなってしまった。なにもかも夢だったかのように。兄さんの努力も、決意も、そして許嫁だった聖恵さんも。聖恵さんはあっけなく兄さんを捨てた。赤ちゃん言葉しか話せなくなって、よく愚図った兄さんを聖恵さんは面倒を見る気にはなれなかったらしい。もともと田舎の生活も性に合わなかったらしく、引っ越しの準備を楽しげに進めていた。何もかも忘れて、新天地で愉快に暮らしていこうというつもりだったらしい。爆堂山なんて兵隊が考えればいい問題で、自分には関係ないということだ。僕はそんな聖恵さんに我慢がならなかった。兄さんは聖恵さんとの幸せな結婚生活を夢見ていた。純潔を守り、理性に縛られ、兄さんはおかしくなってしまった。それもこれも聖恵さんのためだ。爆堂山を倒し、剣士としての務めを終えてから、聖恵さんと一緒になるために兄さんは剣も式も磨き抜いたのだ。それを……たかが赤ちゃん返りしただけで捨ててしまう聖恵さんが僕は赦せなかった。
 だから僕は聖恵さんを斬った。

 引っ越しの前日、兄さんの荷物を引き渡しに来た聖恵さんのさっぱりした横顔を追って、僕は夜道を駆けた。迷いはなかった。追いついたとき、自分の剣樹と式銘を告げ、驚く聖恵さんをわざと逃してから辱めるために背中から斬り捨てた。勢い余って袈裟を真っ二つにしてしまった。兄さんが吸うはずだった乳首、兄さんが揉むはずだった乳房、兄さんが昂ぶらせるはずだった心臓が顕になり夜道を真っ赤に染めた。綺麗な赤い鮮血だった。
 赦せるだろうか?
 あんなに頑張った兄さんを捨てるなんて。
 あんなに人間をやめてしまうほど壊れた兄さんを見捨てるなんて。
 僕にはできない。女はイカれてる。自分のことしか考えていないんだ。兄さんの気持ちも、愛も、あいつらには負担でしかないんだ。赦せるもんか。絶対に。
 すぐに僕はじいに見つかった。剣気で起こしてしまったらしい。すぐに闇の中に袖を引かれて連れ込まれ、

「忘れろ」

 ……それだけ言われた。そして僕はふらふらになりながら奏さんのところに戻り、泥のように眠って、そして次の朝には僕が聖恵さんを斬り殺した路地には何もなかった。みんなに聖恵さんの行方を聞くと、早朝にトラックで出ていったらしいと口々に繰り返していた。その姿を見た人は不思議と誰もいなかった。
 じいは何も言わなかった。僕もだから言われた通りに兄さんの許嫁のことを忘れた。子供の頃から二人一緒で育ったのに、僕にとっても義姉さんにあたる人だったのに、あの人の心には都会への羨望だけがあったのだ。剣魔だった兄さんに嫁げば、この里山に縛られる。それが聖恵さんには子供の頃から、地獄のような恐怖だったのだろう。この里山が、圧倒的なチカラを持った牢獄に見えたのだろう。くだらない。
 本当の地獄は、爆堂山の前に立つことだ。

 兄さんはその地獄から血塗れで生還して、そして二度と立てなくなってしまった。今はなにもできず、里の女衆たちにどこかの座敷牢で面倒を見てもらっているはずだ。僕は兄さんに会わせてもらえなかった。戦意をくじかれる可能性があるからとじいは言っていた。でも僕は怖くない。赤ちゃんになったら、この里山のみんなが僕をもう一度育ててくれる。そこにどんな恐怖があるだろう? 聖恵さんもそのひとりとして、里山のために戦った兄さんに身も心も捧げるべきだったのだ。兄さんは赤ちゃんになったが、身体は今も大人だ。性の処理を里の娘たちが手でしているらしい。兄さんは誰からも尊敬される最強の剣士だったのに、今では娘たちにパンツとズボンを下ろされて、牛のように呻きながら精液を吐露している。とても幸せそうにしているらしい。それでも死ぬよりマシなんだ。死んだらなにもできない。パンツとズボンを若い娘に一方的に下ろされて恥部を弄ばれる屈辱を味わうことすらできない。聖恵さんは死んだ。もうなにもできない。兄さんを裏切り見捨てて行くことも。

       

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