Neetel Inside 文芸新都
表紙

要するに短い話なんだよ
山小屋にて

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 寒中の夜、月明かりが世界を照らすこの時。人の手が届くことのない深緑の森に、一人の少女が姿を現した。
 金色の長い髪をなびかせ、音も無く森を歩いている。……何も知らない者が一目見ようものなら、白いワンピースに身を包むだけの彼女が幻影か何かかと思うことだろう。
 12月、空気も風も肌寒いこの季節に、布切れ一枚の格好で歩いているともなれば、存在を疑がおうにも仕方が無い。
「――――はぁ」
 その少女を視界に捕らえる男が居た。吐けば白いこの空気に見合う格好をしている。
 ウールがふちに飾られている帽子、動物の皮で出来ているのであろう固めのジャケット、動きやすさと生地の耐久性を追及したジーンズ。……そして、その手には一丁の猟銃が握られていた。
 壮齢を思わせるしわの多い顔、何を生業にしているのか手は分厚い皮膚で覆われ、その鋭い眼光は少女を捉え離さない。
 男は迷い人だった。この季節になるとふもとまで降りてくる熊を狩ることで、生活を立てている狩猟者。しかし、今日に限って成果は思わしくない……いや、おかしかった。
 いつもなら耳を傾けると鳥の鳴き声が聞こえ、小動物の足音がそこらから聞こえてくるこの山。それが今日に限って、何も聞こえなかった。聞こえないだけならまだいい、生き物の姿がなかったのだ。
 こんなこともあるのだろうと、山を降り始めた。……それが今から五時間ほど前。
 さすがに男もおかしいと思った。いつもならば遅くても一時間ほどで降りれるはずが、五時間歩いても家に着かないのだ。依然生き物の気配がしないこの山を、五時間も歩き続ければ気も狂おう。
 そう、ならばこの少女も幻影だ。虫ですら存在していないというのに、この場に相応しくない格好の少女が現れたのだから、これはもう自分の気が狂ったとしか思えない。
 しかし、男は目が離せなかった。幻影だというのに、年端もいかない少女の姿形だというのに、ソレは圧倒的な存在感を辺りに放っていたのだ。その、殺気にも似た感覚を猟師が無視出来るはずもなく、気付けば猟銃を幻影に対して構えていた。
「――――はぁ」
 吐く息が白い。
 少女は猟銃を構える猟師に気付いてないのか、はたまた気にもしていないのか、まるで猟師が存在していないかのように目の前を音も無く歩いている。
 猟師もまた、猟銃の引き金を引くことが出来なかった。カタカタと猟銃のバレルが震え、歯がガチガチと鳴り、気付くと猟師の体は激しく震えていたのだ。少女の姿を見る。猟師は見たくない、けど目が瞑れない、体が動かない、少女が目の前を歩く。
 少女は薄らと笑みを浮かべていた。そして、その手には何が握られているのか最初はわからなかった。……しばらくして自分の職業柄、目にすることが多いある物だと認識。
 ――――心臓だった。






 ――僕は生まれてこの方、“青”というものを見たことがない。
 他人が口々に言う「青い空」というものも、僕が見ればいつもと変わらない灰塵色の空。「綺麗な海」と呼ばれる景色も、僕が見れば埃色の水が広がるだけ。

 ――共感覚、そう医者が言った。常人ではありえない五感の感じ方をするというそれは、僕にとっては当たり前のことだった。
 ピアノの“ド”を鳴らすと、口に塩の味が広がる。一度音楽を聴けば、それは一度の食事以上に多彩な味が口中に広がる。ひらがなの“あ”はいつも赤色。新聞を読むと、そこにはカラフルな文字が羅列される。そして、皆が青というその色は、灰色でしかない。
 一つの感覚しか使用しない事柄でも、何故か複数の感覚が作用してしまう。また、他の人間が常識だと思っている共通の感覚を、僕は感じることが出来ない。
 ……そんな僕は、やはり都会で暮らすことは出来なかった。
 深夜になれど響き渡る車の騒音。あの音は錆のような味を出すため、非常に聞きたくない音の一つ。目に優しいという街灯も、僕が見れば極彩色。とても見ていられないピンク色。
 とりわけ、僕を非常に悩ませる要素が、“人間”だった。
 人間が発する言葉は一言一言異なっている。その度に僕は無限に連なる味覚を感じることになるのだ。……それだけなら耐えれもしよう。音楽ならば、むしろ心地よいのだから。……これは心の持ちようなのか、はたまた神が定めたことなのか。人が暴言を吐くたびに、僕はある味を感じることになる。
 ……血の味。ただの感覚を飲み干せるわけなどなく、暴言が続く限りあの鉄が混じる濃厚な液体の味を感じ続けなければいけない。

 人間というのは異端を排除するように出来ている。……いや、人間に限らずほとんどの動物には、そんな行動がインプットされているらしい。
 そんな動物の群れに、会話すらも成立しないような僕という異端が紛れ込めば、排除するのは当然といえる。哀れ僕は普通の学校に行くこともままならず、かと言って施設では心無い大人に虐げられていた。
 そう、そんな僕にも家族は居る。家族は普通なんだな、これが。共感覚というのは遺伝性がないらしく、先天的と後天的、そのどちらであるか、これすらもわかっていないらしい。……わからないはずだ。何故ならば、共感覚を持つ人間はそれが当たり前だと思っているからだ。
 これは色々なことがあった後に知ったんだけど、共感覚を持つ人間は4000人に一人、これくらいの割合で居るらしい。単純に計算すると、全人類で100万人は下らないと言うことだ。……僕の他にも100万人、同じ悩みを抱えた人がいる。そう考えて精神の安定を図った時期もあった。

 話が逸れた。
 つまり僕は俗世間を離れ、まるで高齢者の如く山に隠居することになった。家族はここにはいない。僕一人だけ。
 この、人に忘れられた山小屋に一人、僕は住んでいた――。


『山小屋にて』


 鳥の鳴き声が聞こえる。そう頭が理解した途端、容赦ない日差しが目を襲う。……覚醒。鳥の鳴き声は味がしない。これが人々が言う“水の味”なのだろうか。
 そんな、幾度となく経験した葛藤とも取れる考えを払い、体を起こす。
 季節は冬。エアコンなんていう気の利いた物がこの山小屋にあるはずもなく、結果、こうして肌をさすような冷気が部屋に充満している。しかし、物は考え様という。この身を凍らす空気も、最近の正された生活サイクルに一役買っているのかと思えば、そこまで憎たらしいものでもない。
 ……前述の通り、この小屋には近代的な、いわゆる機械じみた物はほとんどない。まず電気が通っていないこと、これがこの状況に拍車をかけているのだろう。……次に水道もない。これは結構な痛手となっている。顔を洗うにはこの季節、水面が氷に覆われている井戸を使わなければならない。というか、生活用水は全部井戸から汲むしかない。なんとも面倒極まりないと思うのだが、ここに暮らし始めてから既に五年、今では当たり前のようにこなしている自分を見ると、人間の慣れという力を思い知らされる。
 布団を整え、普段着に着替える。そのまま木製の扉を開け、外に出る。
 なんとも清清しい朝である。太陽の光は適度な温もりを与え、依然衰えることのない冷気は意識を鮮明にしてくれる。……と、いつもと変わらない灰色の空の下、うんと伸びをした。




 施設でよくしてもらった人に提案された“引越し”。これは僕に衝撃を与えた。
 幼少の頃から不自由な暮らしをしていた僕は、自然な流れで施設に預けられることになった。しかし、その後の施設でもうまくやれず、気付けば心身共に消耗しきっていた少年が一人。
 その頃の僕は全てを諦めていたように思える。人々の話すことは、僕にとっての“嘘”でまみれており、肯定出来ることはほとんどなかった。……首を横に振るたびに吐かれる“血の味”、それは若干12歳の少年を消耗させるには充分だったと言えるだろう。……そんな中で、一人の“おじさん”に出会った。
 彼は自分の事を“先生”と呼べ、初めて会ったときにそう言った。だが、そんな先生に対して最初は視線を傾けることさえしなかった。仕方がない、他人との会話が僕にとって一番の苦痛だったのだから。
 そんな心を一向に開く素振りを見せない僕に対して、先生は怒るわけでも何かを言うわけでもなく、ただ、黙って傍に佇むだけ。
 と、ここまで話しておいてなんだけど、途中は割合する。ここからは見ていて顔を背けたくなるほどのハートフルな物語になってしまう。……まぁ、いろんなことがあり僕は先生と打ち明けた。
 打ち解けてから二週間ほど経ったある日のこと、先生は僕にこう言った。「引越しをしないか」、と。そんなこんなで何故か僕は山小屋に捨てられてしまった。いや、別にそれをした先生が憎かったわけじゃない。ただ、良く言えば住みなれた施設を簡単に離れると言える先生に、子供じみた反発、そして憧れを抱いたのだ。
 引越しをしてから最初の一年は、先生と共に暮らした。先生はとてもじゃないが先生と呼べないくらい、とてもサバイバルに長けていた。その意味では彼は僕の先生だったかもしれない。とにかく、最初の一年はこの山のふもとでどうやって生きるか、これだけを生きていくことで学んでいた。
 と、ここでまた中略。ここからはまたお涙頂戴的なストーリーになってしまうので、割合する。……まぁ、いろんなことがあって僕は一人で暮らすことになった。
 食料は? 自給自足。山の動物を狩り、山の植物を採り生きている。狩り? 猟銃を使用。
 猟銃を扱うには色々なしがらみが存在する。対して、狩猟自体は対象にもよるけど、特に資格がいることなどはない。……そんな僕は色々と法を逸脱していると考えるべきだろう。考えると途方もないので、割合する。
 さて、現在。不便なことは多々あれど、苦痛とは無縁なこの山小屋。そんな僕は、今日も元気に暮らしています。




 ――鳥の鳴き声が森に木霊する。木々は呼吸し、辺りには濃密な森の匂い。地面では細かな生物が蠢き、そして。
「な、んじゃあ、こりゃあ……」
 一人の男が目を見開いている。その視線を追うと、地面。そこには動物や虫に食い荒らされたのだろう、無残な姿となった亡骸が一つ。
 木々の間に、白いワンピースが見えた気がした。


       

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