Neetel Inside 文芸新都
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 一日の生活サイクル、これは生きるということに於いて極めて重要な要素だ。動物というものは“生態”に則って行動している。
 人間である僕もまた例外ではないのだけど、ここで違ってくるのがまた人間。……人間は行動するに当たってまず思考する。考え、自分なりの答えに到って初めて行動するのだ。
 指を動かす、さすがにこの程度じゃ考えるも何もないけど、“一日”というマクロな視点で考えると“予定”ということが重要になってくる。しかしながらこの状況、山小屋で生きるというのは兎にも角にも何をするにしても“暇”、これに尽きると言ってもいい。
 そう、長々となんだったけど、要するに暇。暇!
「暇だー」
 


『森の中にて』



「うーむ……目がちかちかする」
 新しく持ってきてもらった小説を読む。しかしこの小説、何かと蛍光色の字が多い。話が面白いだけに食い入るように読んでいるんだけど、それが仇となるとは。
 眉間を押さえながら、知らずとため息が出る。ロッキングチェアを無意識に揺らしながら、ふと考えてしまったのだ。いつまでこんな暮らしを続けるのか、と。
 施設から引越しをし早五年。気付けば少年から青年と呼ばれる年になり、体付きもしっかりとしてきた。……しかし、変わらない生活。
 人と接することは一ヶ月に一度。たまにやってくる猟師との挨拶を加えても十に満たない人とのコミュニケーション。とてもじゃないけど、数えれるほどしか人と接していないのは、不健康ではないのか。
「ふふっ」
 と、そこまで考えて急に可笑しくなる。あそこまで人を毛嫌いしていた僕が、人恋しいと。抱腹絶倒とは言わない。けど、とても皮肉めいたその事実に僕の口は堪えられなかったらしい。
 でも、と。また考える。確かに回数は少ないけれど、人との接触は苦痛じゃない。けど、それは“あの味”を忘れてしまったからじゃないのか。あの濃厚で芳醇な香りがし、金属めいた味のする液体を。
 
 ドンドンドン!

「おぉーい! いないのかい!」
 深く考えていたのだろう、ノックの音と誰かの声、それに今気付いた。どうりで舌が刺激されていると思った。
 気付いたからといって慌てるわけでもなく、非常にマイペースにドアを開ける。
「はい、どちらさ――」
「おぉ、いたのか! よかったよかった!!」
「ちょ……距離が近いし、声が大きいですよ……」
 ぐ、この人は……。
「……っとと、すまんね。取り乱しちまったい」
 悪びれることなく、軽々と謝罪をするこの人物。容姿は見るからに猟師。もこもこという可愛らしい擬音とは正反対に暑苦しいその格好は、この山での冬を外で過ごすには必須といえる。
 しかしながらその格好、さらにヒゲ面という暑苦しい組み合わせで近付かれるというのは、正直同性としては躊躇われる。……だからと言って異性が好むのか、と聞かれても答えれるわけじゃない。
「どうしたんです、そんなに暑苦しくなってしまって。近くに寄らないでください」
「心配するのか拒絶するのか、せめてどっちかにしてくれい。わしはそんなに頭が良くないんだ」
「自分で頭の悪さをカミングアウトするのは結構ですが、さっさと用件を言いやがってください」
「冷たいのう」
 お互いに玄関を挟んで立つこと三分、会話が進まないとはこのことだ。
 ……別に好きで冷たく対応しているわけじゃないんだ。ただ、その、本能というか……そう、遺伝子がそうしろと命じているに違いない。さながらトムとジェリーのように、本当は仲良しなんだ。……多分。
「っとまぁ、ふざけるのはこれくらいにしようじゃないかの。…………ふう」
 ジジイが深く息を吐いた。そういえばさっき扉を開けたとき、とても焦っていたように見えたような。なるほど、まだ落ち着いていなかったのか。
「落ち着きました?」
「あぁ、すまんの。……心して聞いてくれ」
「どうぞ」
「いつも通り、わしは山に登り狩りをしておった。ブルタールを連れてな」
 ブルタール、猟師が我が子のように可愛がっている犬。人それを猟犬と呼ぶ。
 ちなみにブルタールとは独逸語で“果敢な”という意味らしい。似合わないから日本語に直せと言ったら本気で泣かれたことは記憶に新しい。
「半刻ほど経ったとき、ふとそれを見つけたんじゃよ」
「いいから結論を言えジジイ。前置きが長すぎるんです」
「――山で人が死んでおった」
「……っ」
 先程までの和みを含んだ周りの空気が、一気に変質する。重苦しい、恐怖を含んだ空気に。
 僕は地面を見て、ジジイは僕を見て。時間の感覚が狂ったのか、何十分も経っているかのように思える。そんな中、ジジイが再度口を開く。
「どうやら仏さんはわしと同じ猟師のようじゃった。……というのもだな、その、なんというか、亡骸が動物に食われたのか、それはもう無残なもんでな。かろうじて近くに落ちていた猟銃と、原形をとどめていた服で判別できたんじゃ」
「猟師、ですか。見つけたのはどこらへんです?」
「山の中腹あたりじゃな。……思うに、わしゃ山で迷って眠ったところをクマかなんかに襲われたと睨んどるんだが」
「おかしいですね」
「むう?」
 ジジイは自分の考えしかないと思っていたのだろう。その考えを否定すると、なにやら間抜けな顔で見てくる。
「まずですよ、この僕が住む山小屋位置、わかりますか」
「ちょうど山の中腹とふもとの境目じゃな」
「はい。で、この山小屋より上には民家どころか建物すら建っていません。となると、その死んだ猟師はふもと側から歩いて中腹まで行ったのだと推測されます。……そこで問題です。冬になったというのに山で狩りをするほどの手馴れた猟師が、片道一時間もかからない距離で迷うのでしょうか」
「そりゃ山じゃからの、何があるかわからんわい」
「それは否定できません。次に寝ている間に襲われたという話ですが、その猟師の周りに火の跡は無かったのですか?」
「あるわけないじゃろ…………む、おかしいのう」
「今の季節は冬。それに加えて猟師の場合、動物避けに焚き木をするのは常識と言っても過言ではないこと。ならば導き出される答えは?」
「もっとわからんくなったわい」
「実は僕もです」
 長々と推理小説の解決シーンよろしく話していたにも関わらず、話していた当の本人もわからなくなってしまった。
 ……それにしても、見つけたのは山の中腹。具体的な場所はわからないけど、ここからなら三十分かかるかどうか。とどのつまり、近い。半端なく近い。
「で、話は戻りますが、それを僕に伝えに来てくれたってことですね」
「うんむ。しかし、わしも取り乱しておったからの、ひとまずは人に会いたかったというのもあった」
「まぁ、丁度いいと言ったら丁度いいですね。不謹慎ながら、暇だった僕にこれから一ヶ月は飽きそうにもないネタをもってきてくれたのですから」
「気に入ってくれたのなら何よりじゃな。わしゃ早くかーちゃんが待つ我が家に帰りたいわい」
「ははは、じゃあ帰ってください。色々と不都合が出来てきたので」
 眉間を軽く押さえる素振りを見せると、相手の返事も待たずに僕は扉を一方的に閉めた。ジジイが直前に何かを言っていたような気がするが、今はそれどころじゃない。
 ふらふらとした足取りで、ベッドの傍にゆく。すぐ横に添えられた引き出しの取っ手を引くと、力加減をあやまったのか中身が床にぶちまけられてしまった。床に落とした物の中に、お目当てのブツを見つける。すぐさま箱から中身を取り出し、水も用意していないのに飲み込んだ。

 薬、鎮痛剤。感覚を常人よりも多く使う僕は、それに耐えられない体質だったらしい。共感覚を持つ人の中にはそんなことはない人が多いらしいけど、僕は珍しい例の、そのまた珍しい例だったらしく、生まれてこの方薬は手放せない物となっている。
 ちなみに今飲んだ薬はイブプロフェンとアセトアミノフェンの二つが配合されている。……そのどちらかがやさしさで出来ているらしい薬、というのが通説らしい。
 ……そう、市販の鎮痛剤だ。“先生”が言うには、僕の共感覚はほとんどが“気の持ちよう”だという。つまり、飲めば収まると自分で暗示すればいいということ。……情けないながらも、それで収まってしまうのがこの頭痛。最初の頃はこれが悔しくて先生に突っかかったものだ。
 ほっ、とため息をつく。久々に長時間人と話した。だけど、これが僕の限界なのだろう。必然的に人との会話が必要とされる街では、まだ生きていけないらしい。その事実は落胆を思わせるが、反して僕は安堵を感じていた。






 深夜、全てが寝静まる丑の刻。新月のこの日、比喩ではなく本当に何も生きていないのかと思わせるこの森。都会から離れ、近代社会から取り残されたこの森。
 人間の手がほとんど入らないこの森では、純然たる食物連鎖のピラミッドが形成されている。虫は鳥に食われ、鳥は肉食動物に食われ、肉食動物は大型肉食動物に食われ、大型肉食動物は土に還り、それを虫が食う。また、草花や木の実は草食動物に食われ、それを含んだ草食動物は肉食動物に食われ、そして土に還った大型肉食動物は草花の養分となる。同じように頂点には大型肉食動物が君臨する。美しい、ある種の完璧主義を思わせるその一連の流れは、確かにこの森が生きているということの証であった。
 そこに異物が一つ、二つ。
 一つは人間。猟師を生業とした霊長類。彼等は草食動物、肉食動物、大型肉食動物を食すのに対し、地に還らない。この森に還元していないのだ。森に確立された意識があったとすれば、彼らのことを許さないのだろう。森には略奪者としてしか映っていないのだから。……しかし人間は奪う。例え森と意思疎通出来たとしても、奪うに違いない。
 二つ目は理解が不可能。動く生物、動物ならば生きるということ=他の生物を殺すことに繋がる。しかし、この二つ目の存在は何もしない。食物連鎖からかけ離れている。……森には敵対心を抱くことは出来なかった。その存在は先日、人間をものともせず、殺した。ならばその存在が食物連鎖の頂点に立つのでは、とも思う。けど、その存在もまた人間と同じく森に還元していなかった。それと同時に、森から奪うこともしない。木の実を食べるわけでもなく、動物を狩るわけでもなく、木を殺すわけでもなく、虫を踏み潰すわけでもなく。ただ、“彼女”はそこに存在していた。
「はぁー。はあー」
 そんな彼女は今、自分の体温と外の温度差で生じる“白い息”を見て楽しんでいた。となると、やはり彼女は生きているのだろう。
 視覚出来るようになった水蒸気を見て喜ぶその姿は、TPOを考えなければ年相応の少女のものだと認識できる。






「――ッ」
 照準を合わせ、ゆっくりと引き金に添えた指を折る。ターン、と。森に木霊する銃声。その度に僕の口の中では記憶にない味が広がる。
 一ヶ月に一度、街のほうから保存食を持ってきてくれる人がいるのだけど、それだけでは足りない場合が多い。基本的に僕は大食らいだ。結果、保存食は半月ほどで消費されてしまう。
 狩り、山に住む小動物を狩る程度(大型肉食動物……熊などは基本、一人で狩るような標的ではない)だが、それでも何の準備もしていない人間が野生の動物を殺すことは困難だろう。そこでこの猟銃が活躍してくれる。猟銃の使用に関しては、特に問題はない。弾は十分山小屋にあるし、銃の調整は先生に教わってから自分でやるようにしている。
 パキパキと小枝を踏みおりながら、そこに存在するであろう野兎の死骸を探す。……発見。足などが痙攣している様を見るとまだ生きているようにも思える。しかし、死んでいる。黒い色がそれを示していた。

 ……これは長年この感覚と付き合ってわかってきたことなんだけど、僕が感じる色は“心の持ち様”に左右されるらしい。つまり、他人が感じている色が等しく同じに見えるわけではなく、物・場合、平たく言えばそれらから成る感情によって違う。しかし、そこに共通点がある。
 目の前に横たわる野兎の死骸、かろうじて細部がわかるほどまでに濃い黒。これは兎に限ったことじゃない。死後の生物は全て黒と認識されるようなのだ。共感覚を研究している人には大変興味深い事例らしい。僕にゃ関係ないけど。
 しかしながら黒。銃創から流れる血まで黒。黒いペンキを上からぶちまけたようなそれは、正直食欲を刺激しない。それでも慣れるのが人間なのだから、例え氷河期が来ても人間は生き残るのだろうと確信に到らせる。
 ……と、死骸を予め用意していた布袋に入れる。兎一羽から摂取できる肉の量はたかが知れているが、僕一人で食すとなるとその量は十分に足りている。
 夕方、黄色に染まる空を見て軽く眩暈。太陽の光は眩しいと言うが、それだけは同意できる。なんとも目に優しくないこの色に慣れたのは奇跡と言えよう。
 猟銃に備わったベルトを肩にかけると、不自由の一言に尽きる我が家への帰路に着いた。





 ――――それが、五時間前。





 既に歩く気概は失せ、心身ともに疲弊しきっていた。
 ……山を降り始めて既に数時間。僕は未だ小屋に着くこともなく、既に日が沈み気温が下がったこの森に一人佇んでいた。
 闇というのは常人と共通の感覚だ。目を凝らせど見えるのは先の見通せない森。……最初の一時間は特に疑いもしなかった。さらに一時間が経って、異変を感じた。さらに一時間、常に携帯しているコンパスを頼りに一直線、曲がることなく山を降り続けたはずだった。さらに一時間、片手に持っている兎の死骸が妙に重くなった気がして捨てた。依然小屋に辿り着かない。……そして一時間。
「――――はぁ」
 吐いた息が白い。
 長年この山に住む者として、装備は万全のはずだった。外気を感じさせないほどに重ねた衣服。頑丈で保温性能も高い手袋。登山用の靴。……なのに、なのに何故。この魂まで凍てつきそうな冷気はなんなんだ。
 一度不穏なことを考えると、思考はそう簡単には止まってくれない。
 目に付くのが、動く物の少なさ。夜になると夜行性の動物が動き出すはずなのに、その気配を全く感じさせない。ふと地面を見ても、虫の一匹いやしない。まるで悪夢だ、そう思う。世界に忘れられ、時という概念からも捨てられ、残されたのは在るのかどうかさえもあやふやな人間が一人。
 いつもならばオレンジ色の暖かい光を投げかける月も、今夜は姿が見えない。新月なのだろう、それだけで心細い。
「――――はぁ」
 寒い。とても寒い。
 この取り残された感覚は、昔を思い出させる。何をいっても肯定されず、やることなすことを否定され、最後にはこの世に落としてくれた両親でさえも……。
「あぁ」
 涙が頬を伝う。もう駄目だと自分でもわかる。体温を奪われ肉体的にも、孤独に晒され精神的にも、このままだと死んでしまうだろうと。……よく考えれば求めるものは理由が二つに対し、一つだった。……“暖かいもの”、ただそれ一つ。暖かい飲み物が欲しい。暖かく僕を迎えてくれる人が欲しい。
 何の因果でここまでの瀕死状態に陥ってしまったのか。いつも通りの行動の中に、突然現れたイレギュラーな因子。それを僕が分かるはずもなく。
 考えていることが支離滅裂なのは自分でもわかっている。けど、思考をやめちゃいけない。今重要なのは、意識を手放さないことだとわかっていたから。
「…………」
 ――なのに、僕は思考することをやめてしまった。
「あら、一昨日に続いて今日もお客さん? ……こんばんは、おにいさん。今夜はいい新月ね」
「……あ」
 全てがどうでもいいと思えるくらい、何もかもが矮小に感じれるくらい、それほどまでの存在感を放つ存在に、心を奪われてしまった。
 そう、少女がどんな格好で山にいようと、どんな理由でここにいようと、そんなことは既に僕の頭にはない。……唯一つ、“それ”から目が離せなかった。
 見たことがない、だけど求めていたに違いない、――その青い瞳に。




       

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