Neetel Inside 文芸新都
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ゴロ貞
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 その日、店の暖簾が初めて揺れたのは、昼下がりを過ぎようかという頃合だった。
 店主がそれに気付き、太い眉を動かした時には、男はすでにカウンターに腰を下ろしていた。
「……いつもので良いかい?」
「最近は、こうやって飯を食わせてくれる店も、少なくなったな」
 気さくな店主の問いかけに、男は寂しげな微笑で答えた。
 ポケットから煙草を取り出す男の手の甲には、刃物で切りつけたような、古い傷跡が残っていた。
「こっちも、選べるもんなら客は選びたいがね。あんたがここで飯を食わなきゃ、俺が飯を食えなくなる」
 店主は笑顔を崩さないまま憎まれ口を叩くと、慣れた手つきでネギを刻み出した。
 ざくざくと小気味良い音に男が耳を傾けていると、その内店内に鰹出汁の香りが漂い始めた。
「だから、いつも言ってるだろ。あんたのうどん屋、味は良いんだが、場所が良くねぇのさ」
「そう思うなら、百杯でも二百杯でも食べてくれんかね。店ってのは、開くにもたたむにも、動かすのにだって金がかかるんだよ」
「それも、いつも言ってる事だろ。そんなに困ってるなら、俺が貸してやるよ」
「馬鹿言え。ヤクザもんに借りなんて作れるかい」
「……言うと思ったよ」
 映画に影響された男が、組の事務所に飛び込んだのが二年前。
 小腹をすかせた男が、人目につかない路地の片隅で、ひっそり経営しているうどん屋を見つけたのは、一年前の話である。
 以来、男が店を訪ねるたび、繰り返されてきたこの問答は、最早二人の挨拶のようになっている。
 やりとりが一通り済んだ頃には、男の前に一杯のきつねうどんが運ばれてくる。
 これも、恒例のことだった。
「……なぁ、オヤジ。うちの事務所に、中本貞夫ってのが居るのは、知ってるかい?」
 手を合わせながら、男が視線を厨房へ投げる。
「ただのうどん屋が、そんなこと知るかい」
 応じた店主の眉が、僅かに上がった。
 うどんが運ばれたら、何も言わずに黙って食べ、何も言わずに代金を机に置いて帰る。
 これも、お決まりのことだったからだ。
「喧嘩自慢の武闘派でな。ゴロ貞なんて呼ぶ奴も居る」
「そりゃ、乱暴そうだな。いくら客が少ないからって、うちには連れて来ないでくれよ」
「そいつが、昨日つまらねぇ喧嘩で刺されちまってな。半グレ相手にやられたらしい」
「刺された……」
 男は店の常連だ。
 店主にとっても、見知った相手のはずだったが、身の回りの話を聞いているうち、やはり男は、自分とは異なる世界の人間なのだと感じた。
「そりゃ災難だが……あんまり、飯が美味くなりそうな話じゃないな」
「俺の飯はいい。あんたの為に話してるんだよ」
「面白いこというね。ヤクザが半グレに刺されて、俺の為になるかい?」
 男は懐から写真を一枚取り出し、店主に差し出した。
 何かと思って覗き込んだ店主の目が、みるみる見開かれていった。
「そいつが、そのゴロ貞だ」
「おいおい、こりゃ……」
 そこに写り込んでいたのは、店主に瓜二つの男の立ち姿だった。
 やや眉が細く、割烹着の変わりに派手なスーツを着込んでいるという違いこそあるが、顔貌は本人でさえ、ここに写っているのは自分ではないかと疑うほどに似ていた。
「なぁ、オヤジ。ヤクザに借りを作るのが嫌だって言うなら、ヤクザに貸しを作っちゃ貰えないか?」
 店主がカウンターに目を戻すと、男の頭は、机に額がつくほどに下げられていた。

     

 お上の締め付けが強くなった関係で、最近はヤクザも小競り合い程度で鉄砲を持ち出すようなことはしなくなった。
 代わりに、代表者同士の決闘で話をつけることが多くなった。
 当然、抗争の代わりに行うものなので、どこの組も一番の武闘派が代表に選ばれる。
「……うちの場合は、例のゴロ貞だ」
 急なことに目を白黒させる店主に、男は頭を下げたまま説明を続けた。
「実は、うちの縄張りの境目に、あたらしく店が出来てな。みかじめのことで、他所と構えることになったんだ。当然、奴に出張って貰うつもりだったんだが……話が決まった途端、あの怪我だ」
「おいおい、それじゃまさか……」
 頭を下げる男の姿と、自分と瓜二つの男の写真を交互に見ている内、店主の方も段々と察しが付いてきたようで、段々とその顔は青ざめていった。
「頼む、奴の代わりになっちゃくれないか!」
「ちょ、ちょっとまってくれ!」
 不吉な予想が当たった店主は、咄嗟に写真をつき返した。
「俺はな、若い頃からこれ一本でやってきたんだ! うどんを踏みつけた事はあっても、人様を殴るなんて、出来るわけが……」
「あ、いや、待ってくれ!」
 にべもなく断ろうとする店主を、今度は男が制した。
「何も、代わりに喧嘩しろってわけじゃない……。顔だけだ。顔だけ貸してくれれば、それでいい」
「……どういうことだい?」
「小さい組同士とはいえ、ガキの喧嘩じゃないからな。時間決めて、川原で殴り合いってわけには行かねぇ……」
 立会人を呼んだ上で、お互い遺恨を残さない旨を宣誓して誓い合い、それから具体的な日取り、場所の取り決めに移る。
 男の説明を、店主は呆然として聞いていた。
 彼の言う『恒例行事』の極めて非日常である矛盾を、店主は頭の中で整理しきることが出来なかった。
「要は、義理事みたいなもんが先にあって、それから本番だ。あんたは、本番前だけ顔を貸してくれれば、それでいい」
「……それでいいって、それじゃ、その……あんたの言う、本番はどうするんだい?」
「そっちは本物にやらせれば良い。それまでには、多少なりと傷も塞がってるだろうからな」
「だったら、そいつの傷が治るまで、全部延期にすれば良い話だろ」
「そうはいかないから、こうして頼みに来てるんだよ」
 ヤクザの世界は、面子の世界だ。
 立会人にしても、二つの組が納得する人間となると、それなりの大物を呼ぶ必要がある。
 こちらから呼びつけておいて、一方的に延期などしたのでは、相手の顔を潰してしまう。
 当人のゴロ貞も、一世一代の大喧嘩で名誉の負傷というならともかく、名前も知らない半グレに刺されて動けません……となっては、もうこの世界で大きな顔は出来なくなる。
「そうなったら、あいつだけの問題じゃない。俺達の看板まで倒れちまう」
「そう言われてもな……」
「引き受けてくれたら、それなりの褒美は約束する。店の改築でも、引越しでも、好きにすれば良い。頼むよ、オヤジ。……実を言うと、親分にも話が通ってて、半分請け負ってから、ここに来てるんだ」
「勝手な事を……」
 呆れながら男の話を聞いていた店主だったが、駆け出しの若衆が、無理にでも親分衆の歓心を買うには、これくらいの無理が必要なのかと思うと、同時に幾らかの同情心も芽生えていた。
「あんたは、喧嘩じゃ負け無し、俺こそが無敵のゴロ貞様だと、ふんぞり返ってくれてれば、それで良いんだ。後のことは、こっちが全て何とかするから……」
「……本当に、喧嘩はしないからな」
「ああ、助かった! 勿論だ!」
 溜息混じりに店主が頷くと、男も安堵の溜息を漏らした。
 

 一身上の都合により、誠に勝手ながら、一時閉店させて頂きます。
 
 うどん屋の入り口に張り紙が出されたのは、その翌日のことである。

     

 伸び放題だった眉を整え、お仕着せの慣れないスーツに身を包んだ店主のもとに向かいが来たのは、夜もまだ明けきらないという早朝であった。
「仕込みでも、こんな早起きは無かったと思うがね……」
 いかにも気乗りしないという面持ちで、勧められるまま黒塗りの高級車に乗りこむ主人だったが、それを車内で待っていた男の表情は、対照的に軽やかだった。
「ぼやくなよ。中々男前が上がってるじゃねぇか」
「……なぁ、あんたの頼みだから引き受けたが、本当に顔を貸すだけだからな。他の事は、何も当てにせんでくれよ」
「分かってるよ。式典に参加して、決められた文句をさらっと読んでくれれば、それで終いだ。後は宴会だけ。飯も酒も、こっちの払いで、あんたは楽しく飲み食いしてればいい」
「宴会ね……」
 一杯何百円のうどんを売って、細々生計を立てている店主としては、それも、あまり気持ちの良い話には聞こえない。
 乗り合わせた他の人間に聞こえないよう、声こそ抑えていたが、いつものぼやきは止められそうになかった。
「金ってのは、どうもろくでもないところにばかり、吹き溜まるもんらしいね」
「そういうあんたも、これが終われば小金持ちだよ」
 車は何時間か走った後、大仰な門をくぐって、どこかに立てられた木造の大豪邸の前で止まった。
 店主は教えられたとおり、胸を張ってずかずかと上がりこんだ。
 事前に顔を教えられていた目上の人間にだけきちんと頭を下げ、それ以外の人間は、誰であっても険しい目付きで睨みつけて回った。
 通された部屋で小一時間ほど待たされた後、親分衆が到着して、いよいよ男の言う式典が始まった。
 強面の男達が広い座敷に並び、決められた文言が読み上げられるのを、黙って聞く。
 文句は難しいものだったが、要するに意趣遺恨を残さず、勝負の後は双方事前の取り決めに従うという旨の誓約であるらしい。
 はるか昔、学生の時分に経験した体育祭の選手宣誓を思い浮かべていた店主であったが、その予想は当たらずも遠からずといったところであった。
「ほら、あんたの番だ」
 横に並んでいた男に肘でつつかれた店主は、先程どこかの組の大親分が演説していたマイクの前へ、ぎこちない足取りで向かい、事前に渡されていた和紙を広げた。
「えぇ……若輩者で御座いますので、その……礼節の至りませんところ、御無礼の段、多々あるかと存じますが……」
 ドラマや映画でしか聞いたことの無い文句を読み上げている内、緊張と恐怖とで、店主の目の前は真っ白に染まっていった。
 その意識がまともに戻ったのは、全て済んだ後の酒宴の席での事である。
「……いやぁ、途中で固まりかけた時は、どうなることかと思ったぜ」
「あ……? そうか、まともに済んだか……」
 横で酒を呷る、上機嫌な男の顔を見て、店主はようやく、自分の務めが果たせたらしい事を知った。
「まぁ、声は裏返るわ、途中で言葉が出てこなくなるわ、まともってこともなかったが……。なに、こんなもんは形だけのことだからな。俺達の本業も演説ってわけじゃねぇし、気にすんなよ」
「そうかい、迷惑かけたね……」
「こっちの台詞だ。今日は近くで宿をとってある。ゆっくりしてってくれ。家には、明日送り届けるよ」
 分不相応な寝床に恐縮して、寝付けなかった店主がクマを作って、もとのあばら家に帰ってきたのは、男の言う通り一日後。
 店主の店に、札束の入った封筒を二つ抱えた男が訪ねていたのは、それからさらに三日後。
「すまねぇ、オヤジ。ちょっと不味い事になった……」
 受け取った金の扱いに困っていた店主の許に、青い顔をした男が駆け込んできたのは、その更に二日後のことであった。

     

 喧嘩というものは、柱を相手には出来ない。
 例のゴロ貞にも、当然定められた喧嘩相手が居た。
 隣町の親分の二代目、生まれついての極道と呼ばれたその男は、若いうちから喧嘩に明け暮れ、地元では負けを知らなかったのだという。
「……そいつが、どうにも血の気の多いやつでな。今すぐ勝負させろって聞かねぇんだよ」
「聞かねぇって言われたって……そりゃ、災難だったな」
 青い顔で打ち明ける男に、店主は殊更他人事のように応えた。
「いくらゴロ貞でも、そんな急に傷が塞がるわけねぇ……。あんたが、これ以上関わりたくないのは、もっともだ。それは重々分かってるんだ……その上で、頼まれちゃもらえねぇか」
「無茶言うな! この前も言っただろ、あんたに貸したのは顔だけだ。体も、命も、貸した覚えはねぇ!」
「だから、それは分かってるって! ……俺に考えがあるんだ。あんたは恩人だ、俺だって、死なせたくねぇよ……」
 男が、声を潜めて店主に耳打ちを始めた。

 奇しくも同刻、隣町の屋敷では、親分の怒号が響いていた。
「このバカが! 何で早まった真似をした!」
 叱り飛ばす親分の目の前には、不機嫌そうに目を逸らす二代目が正座させられていた。
「何でも何も、喧嘩だったら早いとこ済ませた方が……」
「それがバカだって言うんだ! この喧嘩はな、端から相手に勝たせるつもりだったんだぞ!」
 今回の揉め事の大元は、縄張りの境に立てられた、酒場のみかじめ料であった。
 相手の事情はいざ知らず、こちらとしては、あっても無くても同じような小銭。
 それを喧嘩までして取り合うのは、黙って相手に渡せば面子が立たなくなるからという、ただそれだけの理由である。
 同じ譲るにしても、勝負の結果、潔く負けを認めて明け渡したということであれば、必要以上に傷はつかない。
「その形だけが大事だったんだ。そんなつまらない喧嘩で、倅に何かあったんじゃ笑い話にもならん。 勝負を譲る代わり、八百長でも何でもして、形だけの喧嘩にしてもらうはずだったのに……」
「親父、言葉を返すけどよ、俺が無事で勝ったら、何も問題は無いわけだろ? 小銭だって言っても、手元に入るなら、それが一番だし……」
「……親が思うほど、子は親の心が分からんらしいな。お前も聞いているだろう、相手はあのゴロ貞だ。地元じゃ負けを知らず、喧嘩となれば、何をするか分からんという男なんだぞ」
「親父は聞いてないのかい? 俺だって、喧嘩で相手に容赦した事は一度も無いし、負けたことも無いんだぜ」
 不遜な調子を崩さない倅の姿に、親分は嘆息しながら首を振った。
「お前とあれとじゃ、モノが違う。お前、自分が今まで勝って来れたのが、全部実力だとでも思っていたのか? お前は相手に容赦しなかったかも知れんが、相手はお前に容赦していただろうよ。なにせ、ヤクザの二代目だからな」
「おいおい親父、それじゃ、俺がここの看板で勝ってきたって、そう言いたいのか? 俺だって、相手が気を使って手を抜いてるかどうか位は、分かるつもり……」
「ふざけるな! これだけ一緒に居た親の心も分からんで、赤の他人の気持ちが、お前に分かるか!」
 倅を叱り飛ばした親分は、憎々しげに天井を仰いだ。
「相手を挑発するようなマネまでしたんだ、もう八百長どころではないな。ことによれば、喧嘩の勢いという体で、倅の命も狙われるかもしれん……」
「ちょっと待てよ親父、考え過ぎだって。あんな小さな店の取り合いで、命のやり取りなんて……」
「それくらいしてくる相手だと、さっきから言ってるだろう! あれは根っからの喧嘩狂いだ。昔、あいつの喧嘩を見たことがあったが、終わったときには、拳は両手とも返り血で染まっておった」
「へっ、まさか……」
 表向き鼻で笑った二代目であったが、にわかに生唾が湧いてくるのを、自身でも感じていた。

     

 血気に逸った二代目の督促を受けて、件の喧嘩は異例の速さで段取りが進められた。
 場末の酒場のみかじめ料など、捨て置いても良かったのは男の組とて同じであったが、公然と喧嘩を売られた手前、引き下がるわけにも行かなかったのである。
 人目に付く事を避けるため、勝負は、とある工場の建設予定地で行われる運びとなった。
 東の一方からは喧嘩では敵無しと謳われたゴロ貞が、西の一方からは、生涯不敗と称される二代目が、それぞれ入場した。
 様々な思惑が入り乱れた末に執り行われた一戦であったが、当人達の心境は、その場の誰よりも複雑なものであった。
 相手より僅かに早く現場に入ったゴロ貞……に扮する店主は、頭の中で男の言葉を幾度も反芻していた。
「相手は、喧嘩じゃ負け無しって言われてるヤクザの二代目だ。相当強いに違いねぇ。この際は、そのイメージを利用するんだ」
 店主は、周りに気付かれないようズボンのポケットを探り、中に仕込んであったビニール袋を取り出した。
 勝負の前に、男がこっそり手渡したものである。
「……この中に、映画やドラマで使うような血糊が入ってる。あんたは、勝負が始まった瞬間、相手の拳を一発だけ貰ってくれ。すんでで避けておいて、喰らうふりをしてもいい。その瞬間、こいつをぶちまけて倒れるんだ」
 本当の喧嘩師同士の、本気のぶつかり合い。
 筋書きの無い喧嘩だからこそ起こり得る、ありえないほどの短期決着。
 それを演じるというのが、男の策だった。
「相手は変に思うだろうが、こっちが勝手に負ける分には、黙っててくれるだろう。喧嘩にはうちが負けることになるが、一応これで顔は立つ。親分衆も、大切なのはメンツで、あの店自体はどうでも良いそうだからな」
 遅れて入ってきた二代目を見て、店主の拳に力が入る。
 無論それが闘志ではなく、恐怖と緊張によるものだというのは、言うまでもないことである。
 一方の二代目も、店主の決死の形相を目の当たりにして、親分の言葉を思い出していた。
「いいか、倅よ。こうなったら、逃げるわけにもいかん。だが、無理にやりあう必要は無い。相手も、頭に血が上る前なら、そう無茶もせんだろう。勉強料だと思って、一発大人しく殴られろ。その後は、仰々しく倒れればそれでいい」
 調子に乗って期日を早めるようにまで言った二代目であったが、親分のあまりの怯え振りを見ている内、だんだんと相手に対する恐怖が大きくなっていた。
 血走った目で此方を睨みつけるゴロ貞の姿を見た瞬間、親分の恐れていた化物が、自分の目の前に実態として姿を現したのではと過った。
「本当に、こんなこと上手くいくんだろうな……」
 緊張で瞬きも忘れた店主の目は、乾燥して充血していた。
 喧嘩には、行司も審判も居ない。
 二人が顔を合わせたなら、もう勝負は始まっている。
(どうせ殴られるなら、こっちから飛び込んで早く済ませようか……)
 そう頭に過った時、店主の掌に、妙な感触が広がった。
(まずい!)
 緊張で握り締めるあまり、血糊の入ったビニールを破いていたのである。
 手から零れる血の雫を、二代目も見逃さなかった。
(あいつ、手から血が滴ってるぞ……もう誰かと喧嘩してきた後なのか!)
 相手の返り血で、しとどに濡れた拳。
 親分の言葉は、全て本当だったのだと、その瞬間確信していた。
(……こうなったら、今すぐ飛び込んで、やられたふりだ!)
 奇しくも同時に決意した二人は、同時に懐へと飛び込んだ。
 衝突と同時に、二人の間に血の飛沫が上がる。
 血飛沫に驚いた二代目が腰を抜かして倒れるのと同時に、店主も予定通り、自ら地面に倒れ付した。
 こうなると、驚いたのが周りで観戦していた組員達である。
「おい、一体どうした!?」
「二人がぶつかった勢いで、お互いの額が割れたんだ!」
「それだけな訳無いだろ! 二人とも血まみれで起きないぞ、一体どうしたんだ!?」
「……静かに!」
 予想していなかった事態に騒ぐ組員達を、一人の男が制した。
 他でもない、隣町の親分である。
「……見たところ、腕前は双方互角、用意に決着も付きそうにない。このまま続ければ、どちらかに人死にが出る。……どうでしょう、この勝負引き分けというわけには」
 倅が起き上がらないよう、大声で釘を刺しながら、同じく見物に来ていた、相手方の男に視線を送る。
「……そ、そうですな。では、例の件は折半という事で……」
 端から、負けを覚悟して喧嘩に臨んだ者同士である。
 引き分けで話が付くなら、それに越したことは無いと、互いに手を結んだところで、緊張から開放された店主が、やおら起き上がった。
「引き分け……? それじゃ、もうこの喧嘩は終わり……」
「あぁ、君が噂の喧嘩師だね。流石、たった一瞬だったが、凄まじい勝負だった……」
 頭越しに話を纏めたとあっては、相手方も納得いくまい。
 妙に気を回した二代目が、冷や汗を隠しながら店主を称える。
「君の気位の高い事は、よく承知している。このような形で終わりになるのは、不本意だとは思うが……。分かってくれ、こんなチンピラでも、わしの大切な二代目なんだ……」
 頭を下げる親分に、店主は晴れ晴れしい笑顔で応えた。

「いえいえ、私としても、手打ちが一番で御座います!」

       

表紙

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Neetsha