Neetel Inside 文芸新都
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ゆれるキモチ
第七話「sweet sweet sweet」

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あの日以来、一つ大きな変化があった。川本がクラブに顔を出さなくなったのだ。
そのことについて、関川や華美も気にしていたが、結局の所は休んでいる理由が分からなかったようだ。
もちろん、俺にはその理由が痛いほど分かる。
そして、新入生向けの演劇の本番が近づいたある日、クラブの後、関川に部室に呼び出された。俺と関川は部室にある椅子に座った。
「杉浦さー、まさかとは思うんだけど」そう言いながら関川はニヤニヤしている、相変わらず鬱陶しい奴だ。
「なんだよ。用件を早く言えよ」関川を睨む。奴は顔色も変えず、まだニヤニヤしている。
「あのさー、台本にキスするってあるじゃん。あれって本当にキスするって思ってたりしてる?」
奴は笑う。俺はその質問の返答に少し悩み、ここは否定した方がいいだろうと思った矢先……
「あ、やっぱりそう思ってた? マジかよ、うけるんだけどwwキスはあくまで演技に決まってんじゃんかよ。常識的に考えて」
「まさかそんなこと思ってる訳ねーよ」
「そうそう、木内にも一応確認してみたらさ、あいつも本当にするとか思ってたみたいだぜ。木内は何年も演劇やってるんだから分かってると思ってたんだけどな」
奴は笑ったまま去って行った。本当に、自分の言いたいことだけを言う奴だ。
でもこれで、俺の心の中にあった一つのモヤモヤが解決だ。
     キスは演技だということ
しかし、華美も同じことを思っていたのか……
まあ、合宿のときの様子を見てたら関川の言っていたことは嘘じゃないかもな。

      *

「大地まだいる?」部室の奥から声がする。華美の声だ。
「いるけど」
「久しぶりに一緒に帰らない?」華美の黒い髪が窓から漏れる夕日を浴びて光っている。
華美と一緒に帰るのはいつ以来だろうか? 高校に入ってからは一、二回あるぐらいだっけ。
「いいよ。んじゃ、校門前で待ってる」
俺は部室を出て校門に向かう。演劇部は四階に部室があるが、この階で部活動をしているのは演劇部だけなので、
放課後は静かだ。階段を下りて、下足で靴を履き替える。遠くのグラウンドで陸上部が整理体操をしている。
「待たせてごめん。じゃあ、帰ろうか」華美が下足を出て、歩き始める。
「おう」
「陸上部頑張ってるよね」華美が陸上部の女子を見つけて手を振る。
「そうだね」
「あー、もう私達三年生かー」華美は俺より少し前を歩いている。
「ああ」俺達の横を下校する自転車の集団が通り過ぎて行く。
華美が足を止めた。
「あのさ、台本のことだけど……」
「ああ、台本か、読んだよ」
「そっか」
「うん。主役だとセリフが多いから大変だな」
「そうだよー。大地ファイトだぞ!」
「まあな。家でも台本読みしないとなー」
 帰宅するまでの間に、俺は台本の「キス」のことを話すことができなかった。

          *

 発表の日はすぐにきてしまって、関川が熱心に指導してくれたお陰で、演技の心配はほとんど無い。気がかりな所は別にある。
 当日の朝は、今までの裏方としてではなく、主役だからだろうか、お腹の調子が悪い。
身支度を済ませて、駅へ向かう。休みの日の朝の電車はいつもより人がまばらだ。
電車を降りてから、学校までの道もいつもより人が少なく静かだ。
校門をくぐり、校庭の横の道を通る。グラウンドでは野球部が練習をしている。
いつものように下足で靴を履き替え、階段を上がって部室に入る。
もうすでに、部員の半数は集まっている。
「おはよう。緊張してる?」華美が真っ先に声をかけてきた。
「まあ、大丈夫だぜ」クールに答えた、が、背中に痛みが走る……奴だな。
「嘘つけー、ガチガチじゃねーか。部員が増えるかどうかはこの劇にかかっているんだから、しっかりしてくれよ」
関川はいつもと変わらぬ様子だ。これが経験の差なのか?
 それから、数十分ほど経って、関川が部員に集合をかけた。
「今から最後のリハーサルするから。本当に、これが最後だからな。本番だと思ってしっかりやろうぜ」
「はい」皆の声、キモチが一つになった。

          *

 リハーサルが終わり、関川が一言述べてから、演劇部一同は体育館に向かう。
例年だと、観客は数十人ほどだ。正直、体育館を半日貸し切るのが申し訳ないぐらいだ。
だけど、今年は……
控え室、と言っても、舞台袖の体育倉庫だけど、そこから見える人の数だけでも百人以上いる。
俺の出番は中盤まで無い。出番があるまでは、舞台袖の体育倉庫で待つ。
この場所の寒さからか緊張なのか、少し体が震えてしまう。
舞台は問題なく進んでいるようだ。
華美が演じる村のお嬢さんの話。どこかで見た童話のようなありきたりな話だ。
そのお嬢さんは魔王に連れ去られ、魔王の結婚を断ったお嬢さんは、魔王の魔法によって永遠の眠りにつく。
永遠の眠りについたまま、人が住んでいない山奥の森に置いていかれてしまう。
 そこで、俺の出番だ。

          *

スポットライトが眩しい。客席の方に目をやると、当たり前だが皆が俺に注目している。
「おお、村の勇者よ、お嬢さんが魔王に連れ去られたのじゃ、噂では山奥の森に居ると言うのじゃが……
もう、この村にはそんな所まで行ける物はおらん。どうか、助けてやっておくれ」村の長老が必死の思いを俺に伝える。
「分かりました、では向かいましょう」
「一人で向かうのか?」
「この村には僕ぐらいしか居ないでしょう」勇者は笑う。緊張からか少しぎこちないけれど。
「おお、勇敢な勇者よ。最後に、これはわしの助言じゃ。もしも、困難が訪れたら、最後は愛の力に頼るのじゃ、
愛の力を……信じるのじゃ」
「分かりました、では行ってきます」勇者は剣を天に掲げる。
幕が閉まり、森の場面に変わる。大道具係が慣れた手付きで大道具を動かす。
いつもなら俺の役目だけど、今日は違う。俺は今日、主役だ。ヒロインは、華美だ。
幕が開く。なぜだろう? あまり緊張していない。ランナーズハイみたいなものなんだろうか?
「すごい山奥だなあ。モンスターでも出そうな勢いだけど」俺はそう言いながら舞台中央に向かう。
舞台中央には永遠の眠りについた華美がいる。
「お嬢さん、お嬢さん、しっかりして下さい」俺は華美の体をさする。もちろん、そんなのは無駄な訳で。
「困ったな。もうお嬢さんは目を覚ますことはないのか? どうすればいいんだ……」
ここでタイミングよくナレーションが入る。
「もしも、困難が訪れたら、最後は愛の力に頼るのじゃ、愛の力を……信じるのじゃ」
この言葉で勇者は気付くのだ。お嬢さんを救う方法を。
俺は眠っている華美に近づく。最後のクライマックス、キスの場面だ。
どくん、どくん。胸の鼓動が激しくなる。
胸の鼓動が激しくなるのは、演劇のクライマックスだから? それとも、俺の体が華美の体に徐々に近づいているから?
華美の顔に近づき、キスをする。もちろん演技で、実際にはしないけれど。その時、耳元で華美が優しくささやいた。


「キスして」 



四文字の言葉が、心拍数を上昇させる。
今、この舞台には、俺と華美しかいない。もちろん舞台袖や、観客席に人はいる。だけど……
俺には華美しか見えない。
ゆっくりと、演技ではない本当のキスをした。
なんと表現したらいいのだろう? とても柔らかい感触。二人が一人になる感触。
胸がはちきれてしまいそうな高揚感。今、華美を独占しているという実感。
もう離しはしない。
誰よりも、俺は華美が好きだ。

       

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