Neetel Inside 文芸新都
表紙

ゆれるキモチ
第一話「生徒手帳の彼女」

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目が覚めた。時計に目をやり、時間を確認してみると、いつもより一時間も早い起床……なのに目覚めが良い。
二度寝しても良かったけれど、せっかくなので早めに通学の支度をすることにする。
――俺はいつも通り着替えを済ませて、少しきしむ階段を下りてリビングに向かう。
 リビングにはまだ化粧をしていない母親がいた。
「あら、大地(だいち)今日は早いのね。まだ朝食の準備ができていないわ」
そう言う母親に、別にいらないとだけ返事をして部屋を出る。
 時折、無性に早く学校に行きたくなる時がある。
別に学校が好きだからとかではなくて、空いている電車、誰もいない教室が好きだからだ。
 庭にとめてある青い自転車に乗って駅へ向かう。俺はこの自転車を漕ぎながら、風に当たり目を覚ます。
15分ほど自転車を漕ぐと駅が見えてくる。
駐輪場のBブロックに自転車をとめて、改札を通ってプラットホームに着く。
まだ六時過ぎということもあってか、人の数はまばらだ。
いつものように、プラットホームの端の方へ向かう。そうしていつもの定位置に着いた俺は一息ついて、
携帯を開こうとした……が、すぐに電車はやってきた。
 
 そしてこの電車の中で事件は起きた。

 見慣れたオレンジ色のラインが特徴の電車に乗りこむ。普段なら混んでいて座ることができないけれど、
早朝ということもあって座ることができた。
――気づいたら俺は眠っていて、電車は学校の最寄り駅に着いていた。
急いで電車を降りる。俺の前に同じ学校の女子生徒がいる。
こんな時間に登校する生徒が俺以外にもいるんだな……と感心しつつ、仲間意識のような物を感じた。
――そんなことを考えている最中、彼女が手帳のような物を落とした。
しかし、彼女はその「何か」を落としたことに気づいていない。
 誰も拾う人がいないので、拾うことにする。
どうやらその「何か」は生徒手帳のようだ。
 面倒だけど、彼女に渡さないとな。
俺がそう思った時にはもう遅く、人混みの中に紛れた彼女を捜すことはできなかった。

          *

 それから授業の間、先程の彼女のことで頭が一杯だった。一瞬だけ、しかも後ろ姿しか見れなかったが、
シャンプーのCMのモデルのような綺麗で長い黒髪。短いスカートから見える白くて……
「よし、羅生門のP29の所を杉浦に読んでもらう。杉浦、おい聞こえるか?」
「あ、はい」思わず声が裏返ってしまう。
「ぼっとしていたんだろう。もういい、廊下に立っておきなさい」
「わかりました」まったく、いつの時代だよ。廊下に立たせる先公なんて。
俺は言われた通りに廊下に出た。廊下は、時代遅れの教師の声を除けば、静かだ。
――だけど、耳を澄ましてみると、誰かが階段を登っている音が聞こえてくる。
その音は段々と大きくなっている。つまり、俺に近づいているのだ。
コツ、コツ、コツ、コツ、タッ、タッ、ト。
 急に音がしなくなった。
顔を横に向けると、廊下の先の階段の踊り場で、幼馴染の華美(はなみ)が立っている。
踊り場に来るようにと、ジェスチャーをしている。バレて、先公に怒られるのは勘弁だけど、華美の表情がいつもと違う気がする。 
 行ってみるか。
「なんで、華美がこんな所にいるんだ?」
「寄り道してたのよ」彼女は静かに呟く。
「寄り道? 授業は?」華美は冗談を言うようなタイプじゃないはずだ。
「それよりさ、一緒に授業をさぼらない?」
「今から? いくらなんでも、爺さんの授業をサボるなんて恐くてできねーよ」
華美は、何も言わず手を握って俺を連れ出した。
 華美とは幼稚園の頃から幼なじみで、だけど、でも、
俺が知らない一面を、彼女は唐突に俺に見せた。

          *
 華美の手は小さくて、少しだけ冷たい。
ぎゅっと握られた手は、学校の屋上の入り口辺りへ俺を運ぶ。
「ドラマだったらさ、簡単に屋上に出れるのにね」華美は俺の手を離して言う。
「授業中に、女の子に呼び出されるだけでも、ドラマだぜ?」
「キザなことも言うんだ、大地」華美の頬が少しだけ緩んだ。
「まあな、ところで、なんでこんな所に俺を連れ出したんだ?」
「聞くの?」真剣な眼差しで見つめてくる。聞くな、という意思表示が伝わってくる。
「幼馴染だしな」
「親しき仲にも礼儀あり、でしょ?」
華美が「俺」を呼び出した理由は分からないけれど、華美の「機嫌」が悪い理由は、分かる。
「なあ、華美、ピアノのコンテスト落ちたんだろ?」
沈黙。
「大丈夫だって、来年もピアノのコンテストはあるんだし、次目指して頑張ろうぜ」
沈黙。
「俺が審査員なら、華美は金賞なんだけどな」
「黙って。ねえ、なんでそんなこと言うの? ねえ……なんで?」華美の目に涙が溜まっている。
「ごめん」
「謝るくらいなら最初からそんなこと言わないで」
俺には返す言葉がない。
「幼馴染だから、少しは私のことを分かっていると思っていたけれど、大地はただの幼馴染だったみたいね」
授業中のクラスの笑い声が遠くで聞こえる。
「私、保健室に戻るね。バイバイ」彼女はそう言うと、振り返りもせずに去ってしまった。
授業の「終わり」を告げるチャイムが無機質に鳴った。

          *

 帰宅してから、華美に余計なことを言ったのを後悔した。
「ただの幼馴染」 華美はそう思っていたのか。確かにそうかもしれない。
 その言葉が俺の胸に突き刺さる。
苛々した気分を抑えようと、机の上にあるプリントを丸めてゴミ箱にシュートしようとしたが……やめた。
机の上にある生徒手帳に気がついたからだ。そう言えば、結局渡せなかったな。どんな人なんだろうか?
俺は後ろ姿というわずかな情報で、色々と想像してみる。
 可愛い子だということしか分からないな。
 まてよ、生徒手帳の写真を見ればいいんじゃないか? 単純なことに俺は気がついていなかった。
生徒手帳を開いてみる。真っ先に名前が目に入る。
 木内…………華美?
あの彼女は華美だったのか! そのことに驚いてしまって、思わず生徒手帳を落としてしまった。
生徒手帳を拾おうとすると、メモのような物が目に入った。手帳に挟んでいたのだろう。
そのメモに、派手な色の字で「光輝(こうき)君のアドレス」と走り書きがある。別にわざと見た訳じゃない。
――見なきゃ良かったな
 そういえば昔、俺が華美のアドレスを聞こうとした時、
「家近いんだし、何か用事があるのなら、直接会いに行った方がいいじゃん」とか言って、教えてくれなかったのにな。
 「ただの幼馴染」か……
俺は、ベッドに仰向けになった。小学校に入学した時に買ってもらったベッド。
昔は広く感じたのに、今はもう少しでベッドの端に当たりそうだ。
ピーンポーン、玄関のチャイムが鳴った。
少しして、母が俺を呼ぶ声が聞こえた。どうやら、華美が来たらしい。
 なぜだ?

          *

 急いで階段を降りる。きしむ音がした。玄関のドアを開けると華美が立っている。
「お、おう、どうした?」
「私……謝りたくて」
「謝ることなんてねーよ。悪いのは俺の方なんだから」
「そんなことないよ。私のストレスを大地に一方的にぶつけちゃった」華美は俯き加減に言う。
「いいんだよ、それで。俺ら幼馴染だろ」
「うん……ありがとう」少し涙が目に溜まっている。
「おいおい、泣くなよ。華美ってそんなに泣き虫だったっけ?」
「もう、ばか。泣き虫だったのは大地の方だったじゃん」華美が笑った。
「そ、そうだったっけ」いつもの華美だな。
「そういえばさ、華美これ落としたろ?」ポケットに手を突っ込み、生徒手帳を取り出そうとする。
その時に小さな紙が落ちた。どうやらその小さな紙は男のアドレスが書いてあった紙の様だと、気づいた時にはもう遅かった。
「ねえ、この紙に何か書いてあるのを見た?」
あっ、と俺はおもわず声をあげてしまう。
「見てないって。いや、見るわけねえよ」必死で取り繕う。
「嘘でしょ? 大地ってね、嘘をつく時すぐ顔が赤くなるし、目も相手の視線を避けて下を見るし、腕をかいたりするの。
だから、大地の嘘なんてすぐ分かるんだよ、私。だって幼馴染だもの」
 幼馴染と言われると、嬉しいけれど、なんだかくすぐったい。
「まじかよ。じゃあ、今までについた嘘も全て見抜いているのかよ?」
「もちろん」華美は笑っている。
「それよりさ、大地、私が男子のアドレス知ってるからって、嫉妬してるの?」
「え、別にしてないって」思わず、即答してしまった。
「また、嘘ついてるー。あ、でもこの光輝って人は、同じ塾の友達ってだけだからね。別に付き合っているとか、そんな関係じゃないよ」
華美は小さなかばんから、メモ用紙とシャーペンを取り出した。そして何かメモしている。
「はい。これ、私の携帯のアドレスだから。欲しいなら欲しいってちゃんと言ってよね」
「なんだよ、前に一回アドレス教えてって言っただろ」嬉しさを隠せず、つい、早口になってしまう。
「あー、そういえば聞いてきたよね。あれさ、冗談で聞いてきたのかなって思ってたんだ。
大地の嘘は見抜けても、冗談は分からないのよね、私」華美の頬が少し赤くなっている。
「サンキュー。あとでメールしとくな」
そう言ったところで、玄関の扉が開いた。
「大地、ご飯できたわよ」母親は相変わらずハイテンションのようだ。
「あ、おばさん。こんばんは」
「あら、華美ちゃんじゃない。ご飯食べてく?」
「ありがとうございます。でも今日は遠慮しときますね」
「そう、またいつでも食べにおいでね。昔みたいに」
「はい。えっと、大地、今日はありがとうね、じゃあ私帰るね」
「送っていこうか?」
「いいよ、近いしね」
「そっか。じゃあ、またな」俺は華美が見えなくなってから、玄関を開けて、階段を軽やかに駆け上がった。

       

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