Neetel Inside 文芸新都
表紙

どこにもいかない
【20年8月号】種子島編(2020/10/06)

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 今年二度目の無職を迎えた。
 なぜかこの会社には居場所がないような気がして、思えば自分の人生にはいつも居場所なんてなかったのかもしれない。
 いつも失職を繰り返しているのだけれど、無職になると開放感とまとまった時間ができるのが嬉しい。そのあとに来る就職できない焦りと、履歴書に顕現する自分の能力の低さの確認とセットなのだけれど。
 どこへいこうか、できれば行ったことのない場所がいいな。できれば九州管内で。
 夏になると島に行きたくなる。どうしてだろう?
 屋久島には西日本最高峰の宮之浦岳に登るために数年前に行ったことがあった。今と同じような夏の盛りで、幸運にも年間雨量日本一の島で、三日間好天に恵まれて登り通すことができた。とはいえ、こんなに長く歩く山を登ったのは初めてで登山計画も杜撰で、途中でカップラーメンに注ぐ水もなくなって、岩場で微かに滴っている水を集めていたら、同じ外国人登山者に憐れられて水場を案内してもらったのだけれど。
 その屋久島の隣に南北長く横たわる種子島にはそういえば行ったことがなかった。行く理由を見つけるのもなんだか、あまり無かった。それが逆に何か行く理由になってきたので、種子島を目指すことにした。
 交通手段は夏が来る前に買ったスーパーカブ110。うまくいけばリッター70近くを叩き出すモンスターマシーンだ。
 案外というか、国道3号を通って福岡から八代まではすんなりと辿り着くことができた。朝8時に出発して、6時間ぐらいだろうか。
 水俣からは伊佐の盆地を通り、鹿児島空港の側を通り、隼人で錦江湾が見えた頃にはとっぷりと空は暗くなっていた。
 晴れていれば桜島が見えるものの、鹿児島市へと向かう車のテールランプだけがせわしなく蠢いている。基本的に一車線で、スピードが抑制されてしまう。別府から大分へと向かう湾岸道路は三車線以上あるのでどうしてもそれと比べてしまう。
 鹿児島駅の近くの港にある易居のマクドナルドに着いた頃には夜7時になっていた。鹿児島へ向かうときはなんとなく鹿児島駅が目標になっているので、そこからふらふら走っていると着くこのマクドナルドは重要なセーブポイントだ。
 ここで朝まで待っていれば屋久島行きフェリー乗り場も近いのだけれど、長く原付きバイクに乗っていたせいで、足を伸ばして眠りたかった。そのために、基本的に野宿旅、更に南下する必要があった。
 喜入を最終的な目的地として、道中お金を引き下ろすために、ゆうちょATMのある地場スーパーのサンキュー和田店に立ち寄った。8時でATMの利用ができなくなるため滑り込みでなんとか到着することができた。鹿児島のコンビニは地銀のATMが入っていたりして持っている銀行カードが使えなかったりする。
 外でほっと胸をなでおろしていると、同じスーパーカブの50ccに乗ってやってきたおじいさんと目が合った。リアにホームセンターのボックスを取り付けていかにもツーリングしにきましたという自分に興味を持ったのだろう。
 どこから来たのか、どこへ行くのかというやりとりをした。僕は給付金でこのカブを買ったよ、リッター70ぐらい走るよ、というと目を輝かせて、「走るなあ!」と言う。おじいさんは童貞なので給付金は風俗に使いたいらしい。昔の職場で伝え聞いた熊本のあるソープがいいよ、と僕は言った。
 そのあと「北海道に行ったことある?どう?」「何もないから良いよ」「那智は?」「大きな滝がある」「四万十は?」「きれいな川があるね」「いい人生してるね」
 そこへ、原付に乗って、もう一人の恰幅のいい男がやってきて、おじいさんの隣に立って、僕に話しかけてきた。
 「持ってきてないやろな?」
 南国なまりの強い発音で聞いてきたので、僕は何度か聞き直した。次第にどうでもよくなって、「どうですかね」とはぐらかしていた。
 「俺の言ってること理解してないやろ」
 「バイクで長時間走ってきたので頭が回ってないんです」
 僕が弁明すると、
 「変な病気持ってきてないか聞いてるんや」
 ああそうか、コロナのことか。
 おじいさんも、そういうことか。と、合点が行った声を上げた。
 「お友達かなにかですか?」
 僕が聞くと男は、そうじゃないと言う。あとからおじいさんは、「奄美から仕事を求めてこっちに来てるみたい。こっちにはああいう感じの人が多い」と言った。
 「どこに行く?」
 「種子島です」
 哀れみのこもった口調で、
 「なんにもないぞ」と言った。
 「宿は?」
 「野宿です」
 それならそこここにバス停があるからそこがいいぞ。
 「きばれよ」
 切なげにそう言って、恰幅のいい男は去っていった。
 

     

(2020/10/19)

 コスモライン。鹿児島から種子島へと向かうフェリーの船名だ。
 早朝。快晴。いそいそとテントを仕舞って、朝の眠たい目を擦りながらフェリーターミナルへと足を運ぶ。
 出港は8時半だから、7時には搭乗手続きを終えていても遅いということはなく、ターミナルに着いた頃には種子島へと向かう様々な車高の車が列を成していた。
 青い服を着た作業員と肩を並べて乗船用紙に必要事項を書き込んでいく。その後、カメラ式のサーモグラフの前に立たされて、検温。問題がなかったので確認済みの紙を手渡される。
 外に出て、フェリーのチケット売り場に向かうと工事用のプレハブ小屋のような佇まいだった。
 「予約はしていますか?現在、車はキャンセル待ちですので……」
 原付だと言うと、それなら空きはあります。と伝えられた。平日だといっても一日一便だからだろうか、それなりの利用者数があるようだ。原付だと片道分のチケットしか買うことができず、明後日から天候も崩れるみたいなので、明日の14時に種子島から出るフェリーを予約してもらった。
 すぐに種子島ナンバーの原付バイクの後ろに着いて乗船の時を待った。
 いの一番にお呼びがかかって船の腹の中へと入れられると、奥まったところで転回して駐車してくれと言われる。どうやら入口しか出るところがないようだ。不完全な生き物のような構造だ。
 船室に上がると、利尻島で乗ったときのような、中距離タイプの船体の装いをしていた。基本的に雑魚寝のスペースが多くを占めてあり、売店などはなく、サービスは最小限という感じ。
 デッキに出て風に揺られていると、大型のフォークリフトがタラップを持ち上げて切り離していた。汽笛が鳴り響き、するすると船は港から離れていく。数人の作業員と事務員が手を振って見送るだけの寂しい船路となった。
 太陽の日差しと照り返しでじりじり熱く、女性が一人写真を取りに来てはすぐに船室へと帰っていったので、自分も後に続いた。
 『おじゃり申せ、種子島』
 ロボティクスノーツというアニメ作品のポスターが船内に貼ってあった。そういえば新海誠の「秒速5センチーメートル」の一舞台もこの種子島だった。新海誠作品の聖地とは青森でも会った気がする。ロケハンを経費で落としているのが羨ましくも思えてくる。
 防波堤に描かれたKAGOSHIMAの文字。稚内のようにも見える船からの鹿児島の街。反対側に見える桜島と噴煙。いつまでも途切れない大隅半島と、怪しい城。
 エチケット袋が備え付けれていて、太平洋上に出て体調がどうなるか心配だったものの、本が読めるぐらいに問題はなかった。
 定刻通りに鹿児島へ着岸。
 船から見える町並みは、思った以上に街そのものだった。
 すべての車が船体から吐き出された後で、バイクに火を入れて、足よりもまずタイヤが種子島の地に踏み入れた。
 かごしまロマン街道と掲げられた大きな看板が色素の薄い青空と強い太陽光の元で佇んでいた。
 鉄砲館1キロ、鉄浜海岸15キロ、種子島宇宙センター51キロ、門倉岬53キロ。
 南北に長いというだけあって往復すれば都合百キロ以上かかることになる。一周しようとすればどのくらいになるのだろうか。自転車で来ることも考えたものの、やっぱりバイクでよかったな、と思った。
 国道58号線。鹿児島を経て、種子島、奄美大島、沖縄本島へ至る日本一長い国道の途上。少しだけ下って町並みを眺めていく。自動車教習所があり、九州ではおなじみのドラッグストアコスモスとドラッグストアモリが近くにあった。驚いたのはカーエネクスのセルフスタンドも国道沿いに等間隔であったこと。セルフスタンドのある島嶼に来るは初めてだ。本土で給油してきたからしばらくはガソリンが持つと思うが、カブのガソリンタンクからしたら往復しただけで空になりそうだ。
 少し戻って、ホテルの一階に間借りしてあるファミレスのジョイフルで昼食を取った。九州にならどこにでも店舗があって、そして、島だからなのか少しだけ値の張った日替わりのハンバーグ定食を口にする。たぶん学生の頃に食べたものと同じ味だ。
 お店の中は家族連れで賑わっていて、本土と何ら不便のないような暮らしぶりに見えた。お店を後にすると、海を左手に見ながら、種子島最北端の喜鹿崎灯台の方へとバイクを向けた。藍色の海に、こんもりとした緑が特徴的な、南国情緒の溢れる風景の中へ没入していく。三十分としないうちに灯台へ辿り着いた。空気の澄んだ日には大隅半島まで見えるということらしいが、曇っていて見えそうにもない。どうやら脇道があって、岩で出来た浜辺まで降りることができそうだ。なんだったら一番北らしいところまで行ってみたくなったので、飛び石の感覚で、ゴロゴロと無秩序に転がった岩場を飛び越えていく。イタチが岩の間から出てきて、こっちを見つめていた。こんな海のへりにもいるのか、と不思議がっているとすぐに隠れてしまった。振り返れば灯台は小指よりも小さくなっていて、思ったよりも先端部は遠くにあった。波に洗われている岩の前に立ち、そこを最北端と決め、カラカラに張り付いた喉を潤すためバイクに置いてきた水を求めて、同じ歩数だけそそくさと戻ることにした。
 種子島を時計回りに東側に躍り出て、民家も何もない畑がちの道を走っていると、突然現れた通行止めの看板によって、最東端へ後もう少しのところで足止めを食らってしまった。東端は特に名もない場所ということもあるし、ガソリンの量も心許なくなってきたので、あっさりと四端制覇を捨てて、またフェリーターミナルのある西之表の方へと向かうことにした。
 ガソリンを給油して国道58号を南下していく。丘陵を何度も登って下ってを繰り返していく道をしている。途中で何十、百にも及ぶサーファーが海の上に揺蕩っていた。この人たちは一体どんな仕事をしているんだろう……、という無職の自分が疑問を持ってしまうほどだった。自分が思う以上に種子島はサーフィンの聖地ということなのだろう。
 内陸へと入っていって、中種子町。「なかたね」と読むらしく、子は発音しないらしい。初めて読む耳馴染みのない地名だ。道から少し外れてアイショップ石堂店へと向かう。アイショップ自体は鹿児島本土にもあるが、この店は新海誠のいくつかの作品に出てきた象徴的なお店なので気になって足を運んでみた。どちらかといえばコンビニというよりも個人商店という感じで、入るのに二の足を踏んでいたものの、いざ入ってしまえばなんということはなく、ヨーグルッペとコーヒー牛乳をレジまで持っていき、緩い動作のおばあちゃんにお釣りをもらってお店を後にした。確か秒速五センチメートルで、主人公とその章のヒロインがカブで乗り付けてお店の外のベンチで飲んでいた記憶がある。種子島もとい、鹿児島では原付に乗っている高校生をよく見かける。ナンバープレートの下に高校と許可番号のようなものが貼り付けてあって、高校生の頃からバイクに乗れるというのがなにか羨ましく思う。
 宇宙センターでも有名な南種子町に入ると、時刻は夕方になっていて、運転の疲れもあって種子島最南端のコンビニでもあるファミリーマートで休んでいると、スコールのようなどしゃぶりの雨が降り出してきた。青い作業服姿の男性が急いで車へと走り込んでいく。イートインで帰れなくなったとざわつく女子高生達の笑い声と、お店の軒下でぶつぶつと天への不満を言っているおじいさんがいて、僕はただ、店の片隅に並べられた宇宙食のグッズを眺めて雨が止むのを待っていた。
 門倉岬。
 数百年前と変わらず在り続けている岬。眼下に広がる海岸線にポルトガル商船が漂着して鉄砲伝来が始まったことに対して、歴史のロマンというよりも、漂着なのだから仕方のないだろうにしても、どうしてこんな場所に……?という気持ちの方が強かった。コンクリートで出来た小さな船の模型に上がり、雲に包まれた屋久島の方を望む。
 暮れかけているということもあって自分以外には誰もいなかった。帰り際、岬の断崖にかかっている柵に、黄色いカラーテープが巻かれてあり、そういう性質を帯びている場所だということのほうが、歴史よりも皮膚感覚に刺さった。
 先程のファミリーマートで夜食のカップ麺を買って食べる。そして、東へ程なくしたところにある「南種子町河内温泉センター」へと向かった。入泉料、三百円。検温をして、券売機で購入した券を「島民」「島外」と書かれた透明な箱に入れるようになっていて、今日島の外から来たビジターは自分だけだということだった。脱衣所に入ると、たしかに鈍感な自分がよそ者だと感じるぐらいに島民同士がなまりのある口調で世間話をしている。烏の行水とはいかないまでも、体を洗って湯船でぶくぶくするとすぐに上がってしまった。なんだか勿体ない気がした。

     

(2020/10/28)

ロケットの格納庫が見える丘で朝目が覚めた。
 普段の夜空では見えない星たちを、マットに寝転がって目で追っていたら眠たくなってしまって、テントに戻ってすぐに夢に落ちた。
 今日はもう島を発つ日で、午前中そこそこに観光を終わりにしなければならない。
 流行り病の関係で宇宙センターへは事前予約が必要のようなので、予約もなにも必要のない、島の最西端にある島間埼へとバイクを転がしてみた。
 国道58号線は正反対になったレの字を描くように、島間港で途切れる。この先は奄美大島に接続される。そこへは、いつになったら行けるのだろうか。
 島間港はロケットの部品が運ばれてくる港という触れ込みなのだけど、普段の見た感じでは、なにもない漁港に近い。
 そこから少し登ったところに島間岬はあった。
 駐車場は無く、細い小径の突き当りにバイクを止めた。その道の脇の露出した土に数匹のカニが這っていた。
 少し歩くと、小さな社が建てられていて、海岸へと降りていく階段が備え付けられ、生命力を感じさせる緑の群生が、太陽の光を遮っている。遠くで小さな灯台が、荒れる波風にじっと耐えているように見えた。まだ南のほうにある台風の影響がここまで来ているようだった。ジャングルの中を途中まで下って、なにか嫌な感じに囚われてしまったので、引き返してしまった。
 島の真ん中を貫いて、種子島空港、そして西之表へと向かっていく。空港にも秒速5センチメートルのパネルが置いてあって、映画の公開から日が経ってもこうして観光の呼び水になっているようだった。
 午前中にはフェリーターミナルに着いてしまってやることもないので、昨日喜志鹿灯台に向かう道中で海の青さが印象に残った浦田海水浴場へ向かうことにした。
 サンシードというショッピングセンターに入っているキャンドゥでゴーグルを調達。
 同じ道を二度目ともなると道程が長いように感じられて、緯度は低く、太陽は高く、頭がくらくらとしてくる。早く海に入りたい。
 平日の海ということもあってか、長い海岸線に数組の家族連れが泳いでいるだけだった。
 水着もないので、ただパンツ一枚だけになって、日本海側の澄んだ海のような青さの中に飛び込んだ。
 8月の終わりといっても、本州では35度を超える日は続き、海もまたひんやりとした心地良い冷たさを保っていた。
 それから一時間ほど浮かんだり沈んだりをしつつ海を満喫した。
 14時出港の便に間に合うように、一時間前にはターミナルに帰ってきた。
 丁度着いた頃に、瓶をひっくり返したようなスコールが地に叩きつけられた。天気は思わしくなく、乗船案内のボードに「条件付き運行」だと書かれてあった。海が時化ている場合引き返すのだろう。
 鹿児島からやってきたプリンセスわかさが着岸を始める。船員がもやいを投げて陸上にいる作業員が後ろ手に引っ張っていく姿が、今更ながら船旅の醍醐味というものが、こういう一場面にあるんだなーと、乾燥した心に打つものがあった。

       

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Neetsha