Neetel Inside ニートノベル
表紙

活字の海に溺れることができたなら
第一話

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 今日もまた、活字の海を彷徨っている間に眠りに就いた。
 寝ぼけまなこをこすり、睡魔をこらえて何とか目を覚ますと、自分の寝ていた場所の付近に文庫本が散乱していることに気付いた。私は、今日もまた本に囲まれ眠りに就いてしまったのだ。、
 耳を澄ませば微かに聞こえてくるモスキート音にさえ苛立ちを感じるような、やたらと神経過敏な日曜日の夜の出来事だった。
 ベッドに辿り着く前に、私は眠りに就いてしまっていたのだ。寝違えてしまったのか首が痛い。冷たい床に伏していたせいか、体全体が何だか冷んやりとしている。寒い。散々だ、と言いたいところだけど、嬉しい誤算があった。
 とても面白い夢を見た気がするのだ。


「小説のネタにしよう……」
 私はペンとメモ用紙を手に取った。
 夢の中で何が起きたのか、覚えているだけのことを書き出してみた。時系列の通りに出来事を並べて変えてみる。ひとつの物語が出来上がった……のは良かったのだけれど。
 夢で見た物語は、支離滅裂なファンタジーだった。それも、まごうことなき、支離滅裂が過ぎる物語だった。
 とても腹が立った。メモに書き出す前はあれほど面白い物語だったのに、おかしい。でもこのメモに書かれたことは、どれも私の記憶を頼りに書かれたことだから、私はひどくつまらない夢を面白いと思っていたということになる。私は私に心底落胆した。あんな物語を面白いと思えるほど、私の感性は鈍ってしまっていたのだ。それが何だかとても悲しくて、哀しかった。


 私は夢の中の出来事を書き留めたメモをしわくちゃにしてゴミ箱に投げ捨てた。それから私はスマホを手に取った。友達のシイちゃんにさっきの出来事を話したくなったのだ。
「シイちゃんさ、ちょっと聞いてよ」
 本当は電話をしたかったのだけれど、連絡アプリでのメッセージを送ることにしたのだ。
シイちゃんは夜の10時を過ぎたら寝てしまうのだ。現在時刻は夜の11時45分、シイちゃんはきっと今頃眠りの中だ。だから私は電話をするのは諦めた。明日以降の返信になってもいいと思い、私はシイちゃんにメッセージを送ったのだ。


 それから10分ほど時間が経った。当然ながらシイちゃんからは何の返信もなかった。
 当然といえば当然か。わかってはいたことだけれど、何だかとても寂しくなった。


 胸に手を当てる。何だか、胸の奥にぽっかり穴が空いているような気がした。もちろん、物理的に私の胸に穴が空いているというわけではない。ここでいう穴が空いているとは、あくまで私の精神状態を比喩しているに過ぎないのだが、何だか本当に穴でも空いているかのように体に力が入らない。


 心の中にぽっかりと空いた穴を埋め合わせるために、私は誰かに電話をかけることにした。
 誰に電話をかけようか。迷っていたところ、ケンジの名前が目についたので、ケンジに電話をかけてみることにした。
 ツー、ツーというコール音が鳴った。数分待っても同じ様子だったので、私はケンジに着信拒否されているのだということに気付いた。
 その時、私は胸の奥にぽっかり空いているような穴の意味に気付いた。このぽっかりと空いた穴は、つい最近別れたケンジの存在の大きさを暗示していたのだ。


 ケンジから別れを切り出されたのは、先週の日曜日のことだった。美術館でのデートを終え、行きつけのカフェで一息ついていたところ、ケンジから突然別れを切り出された。
 ケンジから別れを切り出された時、私は自分でも驚くほど平然としていた。初めから何もかもわかっているようだった。一切取り乱さなかった。
 私はケンジの顔をまじまじと見つめながら、ケンジが傍にいないこれからの人生について思いを馳せていた。だけど何も想像できなかった。ケンジと結婚して、子供を産んで、ケンジと一生を添い遂げる。それ以外のビジョンは何も見えなかった。
 ケンジが私の傍にいない人生なんて、考えられなかった。悪い夢を見ているようにしか思えなかった。


 それからしばらくして、別れの時がやってきた。私がホットココアを飲み干すのを確認した後、ケンジは席を立ち、無言でレジに向かった。いつものケンジならココアを飲み終えてから少しお喋りをしてくれるので、いきなりレジに向かってしまうケンジに少し驚いた。
 ケンジは私の分の会計を済ませると、「じゃあね」と言って店の外に出ていった。「待って」と声をかけようとしたが、ダメだった。ケンジは一切後ろを振り返ることもなく、街の向こうに消えていってしまった。


 私はしばらくの間、その場で呆然として立ち尽くしていた。何もできなかった。本当はとても悲しかったはずなのに、涙ひとつこぼれてこなかった。
 あいにくその日はケンジとのデート以外何も予定がなかったので、一切寄り道せずにまっすぐに家に帰ることにした。私は最寄りの駅へと歩を進めた。


 電車に乗り、家までの帰路をとぼとぼと歩いている時までは平気だった。だけど、家に帰り、真っ暗な部屋に明かりをつけ、部屋着に着替え、スマホに入っているケンジの写真を見た時、涙があふれて止まらなくなった。
 何だかタガが外れたみたいだった。涙で視界が滲む。
 どうして、どうしてこうなってしまったんだろう……。私は今までケンジのことを深く愛し、ケンジが望むなら何だってやってあげる、そういう想いでいっぱいだったのだ。
 でも、ケンジは、きっとそんな私が嫌いだったのだろう。私は重い女だったのだ。ケンジにとって所詮私は都合の良い遊び相手の一人で、ケンジはきっと私を想ってくれていなかったのだ。きっとそうだろう。
 そう思うと、私はひどく悲しくなった。
 私は読書に逃げることにした。読みかけの文庫本を床に所狭しと並べた。今日はもう悲しみに浸ることはせず、何も考えず、ただひたすらに活字の海を彷徨っていようと、そう決めたのだ。
 つまり私は、読書に逃げたのだ。
 酒ではなく読書に逃げた。傷付いた心を癒すため、私は活字の海にこの身をなげうった。


       

表紙

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