Neetel Inside ニートノベル
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この物語はフィクションではありませんか?
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私は幼稚園の頃、絵画教室に通っていた。
絵画教室と言ってもテクニックを学ぶことではなく、何かを表現することを主な目的としていた。絵を描くだけに留まらず、拙い裁縫をしてぬいぐるみのようなものを作ったり、木材や瓶の蓋など本来ゴミになるようなパーツを用いて工作もした。
先生たちが技術面であまり口を出す方針ではなかったこともあり、手を動かし作品を作るのはとても楽しかった。

水彩絵の具で絵を描いていた日。
一人の先生が私に「この色を使うともっと良くなるかもよ」と言って、通路の向こう側で同じように絵を描いていた私と同い年くらいの子のパレットを借りて差し出した。私は差し出されたパレットから絵の具を貰い、自分のキャンパスに色を乗せていった。

私に絵の具をくれた子は泣きだしてしまった。
私はその子にお礼を言っていなかったのだ。
先生は顔を引きつらせて私に「ありがとうを言ったほうがいいんじゃないかな……」と言った。

今思い返すと物を貰ったのでお礼を言うのは礼儀として当たり前なのだが、先生が私に確認せず貰ったものなのにどうしてお礼を言わないといけないのか当時は疑問に思うばかりだった。
当然母にもこっぴどく叱られたのだが、母の怒鳴り声しか覚えておらず「こういう場面で何故お礼を言わないといけないのか」の答えはわからなかった。

     

私が幼稚園に入る前に父が撮影したビデオを見たことがある。

画面の中の私は、近所に住む同い年の子と2人でクッキー缶を囲んでいた。
私はクッキーを食べ続けている。
もう一人の子はクッキーを食べつつ、撮影していた私の父に時々クッキーを持って行った。

改めてこれを見ると恥ずかしさしか感じないが、当時これを撮影していた父もまわりにいた大人も、誰もおかしいと思わなかったのだろうか。

     

小学校低学年くらいの時に、当時の親友の親戚が交通事故に遭ってひどい怪我を負った。
(※その親戚さんは学年が違うけど、同じ学校に通ってたから顔見知り。今はもう治ってるらしい。)
助からなかったらどうしよう……と泣いて焦っていた親友に気の利いた言葉をかけることができなかった。
大怪我をした親戚が心配なのはわかる。わかるんだけど、何を言ったらいいかわからなかった。

逆の立場だったらどうだろう。
寄り添ってくれるのはありがたい、けど、こういう時は一人になりたいと思うかもしれない。
根拠もなく「大丈夫だよ」とか「きっと助かるよ」って言われても、
万が一助からなくて「元気出して」とか言われても「お前に何がわかる!?」って八つ当たりしてしまうかもしれない。

こういうのって相手の気持ちを考えたら自然に言葉が出てくるもんなのかな。

       

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