Neetel Inside 文芸新都
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踏み切りとそのサイレント
<ソウタ 1>

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<ソウタ>

 五年前、別れ際のドラマに花を添えた、あの汽笛の音。変わっていない。
 夏の日差しは陽炎を生み、眩暈がするような蒼い空。雲が一切なく、そのせいでどこまでも抜けて高く続いているような錯覚さえ覚える、そんな天気だ。
 こういう空を見るたび、彼女の「太陽が似合わない人」という言葉を思い出す。目を隠すほど伸びた黒髪に触れて、そうだろうなという感傷にまた浸る。
 いまだに彼女のことを引きずっている自分に嫌気が差して、駅の入り口でたたずむ俺に一人の男が近づいてきた。
 黒地に紫のラインが一本入ったポロシャツに、ダメージ加工のジーンズを穿いた爽やかそうな男だ。名は確か、樋口大志という。
「どうも。背が高いから遠目でも分かりましたよ。ソウタさんですか?」
「ああ、樋口くん?」
「はい。あ、樋口でいいですよ。同い年ですよね、確か」
「俺今年で二十三だけど」
「じゃ、おんなじだ」
「おんなじだ」
 相手の言葉の抑揚にどことなく面白みを感じたので、反復してみる。怪訝そうな顔をされたが、見なかったことにした。どうせ、根暗そうな若者だな、程度に思われているのだろう。
 駅前の駐車場に停めてあった、樋口の青い軽自動車に乗り込む。エンジンがかかると、ステレオからカントリー調の曲が流れ、彼は短い短髪を尖らせた頭を、リズムに合わせて控えめに揺らせ始めた。
「……煙草」
「うん?」
「吸っていいですか?」
「どうぞ」
 樋口はシャツの胸ポケットから箱を取り出すと、火をつける前に此方に一本差し出してきた。セブンスターだった。
「どうも」
 自主的に煙草を吸うようなことはしないが、薦められたら断る理由はない。箱から一本引き抜いて、自前のライターで火をつけた。
 紫煙を吸い込み、少しニコチンが濃すぎると思ったが、なるべく顔に出ないようにして半ばまで開けた窓から煙を放り出す。
 駅の正面に伸びる長い大通り。シャッターが閉まっていたり、店ごと変わったりはしていても、当然ながら大まかな外見は記憶の中身と変わってなどいない。
 ほっとすると同時に、やはりこの街を離れてよかった、と再認識した。大仰な言い方をすれば、ここは変わることをやめた街。中途半端な田舎と中途半端な都会がない交ぜになったようで、住民も中途半端に流行を追いながら中途半端に満足している。
 嫌いではない。変わらないことは。ただ、好きでもない。
「ソウタさんて、ここ出身なんでしたっけ?」
「そう」
「そうですかぁ。俺半年前に関東の方から越してきたから、まだこの辺は微妙なんですよ」
「へぇ。……なんでまたこんなところに」
 本音だった。そこまで時代に取り残された街ではないが、わざわざ社会人になる年齢の人間が越してくる所でもない。入社早々、支社に飛ばされてきたのだろうか。
「うーん、そうですねぇ。人が多いのが、嫌になっちゃったのかな」
 実は彼とは互いの職業も知らないほど面識がないのだが、困ったような顔で頭を掻く彼を見て、なんとなく予想がついた。フリーターだろう。
 無職の彼が、こんなところに引っ越してきた理由までは分からないが。
「関東に比べれば、ここも田舎だろうな」
 別に相手の出身に卑屈になっていたわけではないが、樋口はそう捉えたらしく、困った顔を更に三割ほど困らせていた。
「そんなことないです。むしろ、これぐらいでいいんじゃないかな。街は綺麗だし、空が広いし」
「俺は、空が広くて救われたことはないけどねぇ」
 今度は明確な嫌味でチクリと刺してみることにした。横目でその反応を確認すると、予想通り、いや予想以上に、青汁を初体験したような苦渋の表情を顔に刻んでいた。大方、話しづらい人だな、くらいに思ってるのだろう。
 嫌悪を滲ませていないところに、彼の性格のよさを感じる。
 空は広い。蒼い。気分が悪くなるほどの天気のよさだ。どうしてこんな空の下で俺のような人間が生きなければいけないのだろう。
 こんな世界に生まれてしまったために、俺は神のことを憎む。せいぜい、神も俺のことを憎んでくれればいい。
 もともと愛されてなんかいないか。人間なんて。

       

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