Neetel Inside ニートノベル
表紙

短編集(予定)
帰還少女

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「またこの学校に戻ってこられるなんて……!」
 興奮で顔を赤く染めた少女が息混じりの声で言った。少女は丘の上にたたずむ四角い建物――彼女の学び舎を見上げる。彼女の鼓動は自然と高鳴った。
 異世界からやって来た謎の敵・オブジェクトゥムとの戦闘に繰り出され、異世界へ赴いていたこの三佐倉コハルにとって、それは一年ぶりに見る母校だった。オブジェクトゥムとの最終決戦に勝利した彼女たち戦闘員は、その任務から解放され、忌々しい灰色と荒廃の異世界を後にした。そして、普通の少年少女に戻ったのである。
 コハルは、丘の上の校舎を目指して、上り坂を進む。
 坂道の右側に植えられた桜は満開、彼女の心も満開、と言わんばかりに、るんるんるんと鼻歌まじりに駆け上がる。
 坂道には彼女と同じく学校に向かう無数の生徒の群れ。
 彼女の胸ははじめ、喜びと希望に満ち溢れていた。が、通学する生徒たちの姿を見るにつれ、かすかな不安が芽生え始めた。
 顔見知りが見つからないのである。同じクラスで仲が良かったあの子も、自分に意地悪をしてきたあいつも、姿が見えない。
 みんなどうしちゃったんだろう、とやや不安げな顔つきであたりを見渡す。
 まだ登り切っていない坂道の途中で知り合いがたまたまいなかった、ということもあるだろう。あるいは自分が異世界に行っていた一年のうちに彼らの外見が変わってしまったということもある……
 さらに坂道を進んでいく。それでも知る顔はなかなかない。私って人の顔覚えるの苦手なのよね、と自らに言い聞かせつつ足を進める。彼女の焦燥を表すように歩くスピードもアップしていた。
 私は知らなくても向こうは知っているかもしれない、なんせ私は世界を救った英雄たる少年少女のうちの一人なのだから、というように彼女は近くの男子生徒に声をかけることにした。
「あの、ちょっとすいま――」
 せん、と言い終わらぬうちに、その男子生徒は、「あんたまさかうひゃあでもだってああこれが」などと叫びながら逃げてしまった。彼女は、その背中をただ見つめることしかできなかった。
「いくら何でも失礼すぎるでしょ」と呟く彼女の顔には憤慨と不安のまじりあった色が見えた。
 逃げて行った男子生徒につられて周囲の生徒たちも彼女から徐々に離れていく。ちょっとした騒ぎである。
「え、ええ……」
 さすがに様子がおかしいと思った彼女が、「あ、あの」と救いを求めるように一番近くにいた女子生徒に手を伸ばすと、その女の子は歩くウンコにでも襲われたかのように「きゃああ触らないでえええ」と叫びながら逃げて行ってしまった。
 気づけば周りには誰もいない。何が何だかわからない。
 彼女は考え始める。一体、この学校に何が起こっているのだろうか。あるいは、私に何が起こっているというのか。
 まず、考えられるのは、ここが彼女の通っていたのとは違う学校である、という可能性である。しかし、他の生徒らの制服は自分の着ているものと同じだし、あの特徴的な校舎は見間違えるはずがない。よってこの可能性は考慮するに値しない。彼女はこの可能性を捨てた。
 次。あの男子生徒が言っていたことを思い出してみよう。彼は「あんたまさか」と言っていた。その言い振りから推測されるのは、彼が彼女のことを知っていた、という事実である。少なくともそっくりな誰かを、知っていたということになる。ということは、ここから派生する可能性は二つ。まず、自分が何らかの理由から避けられているという可能性がある。二つ目は、生徒たちが彼女をほかの忌避されるべき誰かと間違えているという可能性である。
 後者については、ありそうにない可能性だ。それは以下の理由による。話しかけた二人ともが自分を忌避する程だから、かなりの程度でその誰かは自分と容姿が似ていることになる。同じ学校でそれほどまでのそっくりさんがいる確率は低いのではないだろうか。
 では、前者について考えてみる。自分が何らかの理由から忌避されている可能性。女子生徒は触れられるのを極端に嫌がっていた。彼女が異世界で戦っていた間、地球では一年が経過している。異世界に対する忌避感が大衆の間で芽生えた? そう、例えば異世界から持ち込まれたウイルスか何かを原因として。充分にあり得る可能性ではある。だが、なぜ私がそのことを知らされていないのだろうと彼女は不思議に思う。ふつう異世界から帰ってくるときに検疫とか消毒とかされるよね。ん? ちょっと待てよ。どうやって自分は異世界から帰って来たんだ?
 記憶が混乱しているようだ。
 そもそも本当に地球では一年しか経過していないのか? もっと経っているという可能性は? 高校は全生徒が三年で入れ替わるのだから、もしそれ以上経っているのなら、知り合いが一人もみつからなかったことの説明がつく。
 異世界と地球では時間の流れ方に違いがあることが知られている。が、それはさほど複雑な差異ではなく、単純な計算によって容易に求めることができる。彼女は自分が異世界にいた時間から大まかに計算してみるが、やはり地球では一年ほどしか経っていないはずだ。
 少し整理しよう。今、彼女に降りかかっている不可解な現象は三つある。
 一つ目は、自分の知り合いが一人も見当たらないこと。二つ目は、生徒たちが彼女を忌避していること。そして三つ目、記憶に混乱が見られること。
 この三つの不可解な現象がたまたま同時に起こる可能性もなくはないが、やはり何らかの関連性があると考えるのが自然だ。
 コハルはこれらを同時に説明する仮説を考えてみることにした。先ほど検討した、「時間が一年以上たっている」という仮説では、一つ目の現象「知り合いが一人も見当たらないこと」が説明できる。また、異世界から帰還する際に、記憶障害の類を患ったと考えれば、三つ目の現象「記憶に混乱が見られること」も説明できる。この二つの仮説を合わせて、「異世界から帰還する際、記憶障害を患ったことで、帰還してから今まで(三年以上)のあいだの記憶が失われている」とすれば、第一と第三の現象はさほど無理なく説明できる。
 だが、この場合、二つ目の現象である、「生徒たちが彼女を忌避していること」は説明がつくだろうか。覚えていないだけで何かとてつもなく汚いことをしてしまったのかもしれない。ウンコにまみれたとか。だが、自分がそのようなことをするとも思えない。
 あるいは、異世界帰還から今までの間に起きた何らかの出来事のせいで、記憶を失くし、同時に他の生徒から忌避されるようになったのかもしれない。ただ、これは何の説明にもなっていない。その出来事が何だったのか明らかにしない限り。
 以上のように思考を巡らせてはみたものの、仮説を調べるだけの検証方法がないというのが現状だった。
「一体なにが起こっているというの……? 一体わたしはどうすれば……」
 彼女はそうつぶやいた後、しゃがみ込み、頭を抱えた。
 
 すると、背後で声がした。
「コハルは難しいことを考えるとき、いつもあんなふうに頭を抱えていました」
 懐かしい声だった。その声の主は彼女にとって特別な人、夏樹だった。彼は、彼女と同学校・同クラス、おまけに机の位置は何度席替えしても前後に隣り合っている、という関係性だった。対オブジェクトゥム戦闘員たる彼女が、基地の近くのこの学校に転校してきてはじめに声をかけてくれたのも彼だった。コハルがクラスに馴染めたのも夏樹のおかげだったし、ただひたすら命令に従い訓練と戦闘を繰り返すだけの毎日に喜びを与えてくれたのも彼だった。オブジェクトゥムとの最後の戦いにおいて前向きな気持ちでいれたのも彼のおかげだった。
 要するに、夏樹は、コハルにとって、戦う理由であり、生きる理由そのものだったのである。
「夏樹!」
 彼女は目を輝かせながら声のする方に勢いよく顔を向ける。
 そこにいたのは、私服姿で大学生風の夏樹と、スーツを着たおっさん、そして物騒な恰好をした十数人の男女だった。
 なぜ制服ではなく私服を? このスーツのおっさんと物騒な人たちは何者? コハルがますます混乱していると、おっさんが口を開いた。
「今度は学校に現れるとはな。生徒たちを避難させるのに手間取ってしまったよ。前回と比べてどう、夏樹くん?」
「はい……しぐさやしゃべり方なんかコハルそのものです」
 せっかく夏樹に会えたと思ったのに、その夏樹は横のおっさんとおかしな会話をしている。避難? 前回? コハル”そのもの”? そりゃそうだろ、私がコハルなんだから。不可解なワードの数々が少女の頭に渦巻く。
「な、夏樹、その人、誰?」
 コハルは心細げに夏樹を見つめる。夏樹はきまり悪そうに目をそらして、かすかな声で言った。
「ご、ごめん」
「なんで謝るの? なんでみんな私から逃げるの? 異世界からウイルスとか持ってきちゃってた?」
 無理やり笑みをつくるコハルの顔は痛々しく、見るに堪えた。
「……」
 気まずそうに俯く夏樹。
「それに夏樹、ずいぶん大人っぽくなったよね? もしかして、あれから3年くらい経ってる? やっぱり私、記憶障害か何かで……」
「どちらも部分的には当たってる。素晴らしい推理力だよ。ただ、本質的な部分が残念ながらハズレ。とは言え、すごいもんだよ、本当に」と、少女の言葉を遮るおっさん。
 見下ろしてくるおっさんを睨みつけるコハル。
「ど、どういうことなんですか。あなたは何者なんですか」
「カツラギというものだ」そっけなく、おっさんことカツラギが答えた。
「そんなことを聞いているんじゃありません。なんでこんな訳が分からないことが起こっているんですか。なに、ドッキリ? だったらすぐにやめてください。私は、こんな仕打ちを受けるために戦ったわけじゃない。せっかく帰ってきたのに、こんな――」
 カツラギは口を開く。
「残念ながら君は帰ってきていないんだよ。いや、より正確に言おう。三佐倉コハルは地球に戻ってきていない。彼女が対オブジェクトゥム戦争における英雄だということは確かだ。しかし、彼女は戦死した。死体も回収されている。君は三佐倉コハルではないんだよ」苦しく、カツラギの声が響く。
「そ、そんなわけないじゃないですか、意味が分からない、何言ってるんですか。私は、三佐倉コハル、戦争の英雄、異世界から帰ってきたんです! どう見ても生きているじゃないですか!」
「君はコハルじゃない。……いや、人間ですらない。オブジェクトゥムの残党が作った出来のいいゴム人形、有機機械、またはゾンビ。三佐倉コハルによく似せて作られた、偽物。我々人類を欺こうとしてるんだよ」
 コハル、もとい偽コハルはこの事実を受け入れられず、何とか論理のスキを突こうとして、震える声で言う。
「そんな……ッ! ど、どうやってそんなことわかるんですか。私の身体を調べたとでも言うんですか! 急にやって来て何なんですかッ!」
「そりゃわかるよ。だって、これが初めてじゃないもん。君で二十四回目だからね。こっちの身にもなってよ、本当に大変なんだから」
 泣き叫ぶ偽コハル(二十四番目)を無視した後、カツラギは夏樹の方を向き、聞いた。
「君から見ても違いがわからない?」
 夏樹は問いに黙ってうなずき、わずかな声量で、
「もう……いいですか。ちょっと気分が悪くなってきました」
「ああ、すまない。もう少し配慮が必要だったな」
 カツラギはそう言い、もういちど偽コハル(24番目)の方を見た後、後ろに控える男女らに身体を向けた。
「後はよろしく頼む。じゃあ、行こうか、夏樹くん」
 そう言って、夏樹とカツラギは偽コハル(24番目)から遠ざかり、代わりに物騒な男女十数人が武器を構えながら近づいてきた。
「一体どういうことなんですか! なんで銃なんか私が何をしたって」
 
「ごめん」
 後ろで叫ぶコハルによく似た声と銃声を聞きながら、夏樹はそうつぶやいた。それを聞いていたカツラギは、
「君にはつらいだろうね。だが、君のおかげで我々の調査も着実に進んでいる。何度も何度も、本当にすまないね」
「今回で二十四回目……もう耐えられません」
 最終決戦終了から今まで四年。大体一、二か月ごとに合計二十四回も偽コハルは現れていた。それは、基地、寮など、コハルが活動していたさまざまな場所に現れた。
 戦後わずかに生き残ったオブジェクトゥムの残存勢力による何らかの罠、という見方が有力だった。
「そもそも、何度も何度も偽物を送ってきて、残存勢力の目的は何なんですか?」
「現在も調査中だ。連中のやることはさっぱりわからない。まあ、すぐわかるなら、そもそも戦争になることなんてなかったはずだ」
「ところで気になってることがあるんですが、聞いてもいいですか?」偽コハル(二十四番目)の死体を入れた灰色の袋から目を逸らしながら、夏樹は尋ねる。
「なんだね。できる限り答えよう」
「その、回を重ねるごとに本物に近くなっているというか、どんどん現実感が増しているような感じがあるんです、あれ。最初は外見だけでもすごかったですからね」
「ああ、最初は頭が二つに、手足が三本ずつだったな。衣服と生体の区別もついていなかったしな。ハハハ。言ってることもちぐはぐだった」
「思い出させないでください。それが徐々に――クオリティが上がってきて、今ではコハルそっくりだ」
「ああ、確かに。敵の残党も学んだということだろう。でも、もう少しで殲滅完了のところまで来ている。我々に任せたまえ。心配するな」
 背後では、先ほどまで偽コハル(二十四番目)がいた場所が念のため火炎放射機で焼かれている。
「いえ、僕が心配しているはそのことではなくて――」
 
 クオリティが上がっているのは外側だけではないはずだ。内側もそれなりに質が上がっているに違いない。今回の偽コハルは特にすごかった。話し方やちょっとしたしぐさだけでなく考え方や感情の動き方までコハルそっくりに見えた。コハルそのものだったと言っていい。ということはあの偽コハルには、内面があって本物の悲しみや苦しみを本物のコハルとして感じているのだろうか。
 だとしたら――
「僕はあと何回コハルを見殺しにしなければならないのでしょう」
 
 *
 
 季節は初夏、一人の少女が喜びに満ち溢れた表情で、ある家の前に立っていた。
「久しぶりに夏樹に会える! 夏樹のやつ、私がいきなり家に現れたらびっくりするかな? ああ~緊張してきた! 一年ぶりだもんね」
 少女は深呼吸をして、ゆっくりと家のインターホンを押す。

       

表紙

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Neetsha