Neetel Inside ニートノベル
表紙

短編集(予定)
移動する男

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「え? なにこれ? 夢? え? これ夢?」
 とある地方都市の公園にて、たどたどしく歩きながらしきりに呟く謎の男が目撃された。中肉中背、平均的な体形と言ってよかった。大量の汗で肌が光沢を帯びていたその男は安っぽい手ぬぐいの目隠しを除いては全裸だったという。
 平成初期に建設された公園の、今となっては「使用禁止」の張り紙が貼ってある遊具の数々の間を手探りで進みながら、男は夏の鮮明な風景の中に溶け込んでいた。貼り紙は風に煽られ、パタパタと一定のリズムを刻む。今にもはがれそうな様子である。
 男は周囲の音にいちいち反応し、見えもしないのに首をあちこちに向けている。首の激しい動作によって不安定な歩行はさらに不安定になる。男は自分に何が起こっているのか全く見当もつかないようで、困惑した表情を浮かべている。
 前日の台風の影響で地面には木の枝や細かいゴミの残骸などが散乱していた。よって男が転ぶのは時間の問題と言えた。案の定、彼はつまずき、転んだ。当然のことながら体表には大量の砂粒が付着した。
「もう~~なに~~勘弁してよ~」
 それを見ていた幼い子とその母親は一目散に公園を脱出し、すぐさま警察に通報することとなる。男の身体に付着した無数の砂粒はその肌に特徴的な模様を形成した。それは日本国内の某県某市の田園の分布にそっくりだったが、それに気づく者はもちろんいなかった。なぜなら男の身体をつぶさに見る者もいなければ、田園の分布に関する専門家も周囲には一人も存在していなかったからだ。
 砂まみれの男と誰もいない公園――公園に植えられた、地元民に愛される巨大なケヤキはそよ風に揺れ、涼し気な音を立てる。一方で男は不気味なうめき声と共に不快な臭気を発している。遠くの方ではすでにパトカーのサイレンが微かに響いている。かろうじて聞こえるか聞こえないか、くらいの音ではあったが。
「ううぅ……ぅうわぁあああ!!」
 男は不快そうに体を掻きむしる。そして十数秒のあいだ這いまわり、のけぞった後、忽然と消えた。
 真夏の水曜日、午前十一時のことだった。

「え? え? もうなに、今度はなに、やめてよ~~」
 日本海に面する美しいビーチで、夏になると観光客も多数訪れる名所に響いたその声は、男性にしては高めだったが、不条理に翻弄される人間としてはやけに冷静だったという見方もできる。
 観光客らの悲鳴を浴びながら、砂浜に足を取られつつ男はひたすら足を進める。
「え? なに? 海? ここ海?」
 所在地に関するヒントを見つけた男の疑問に返答する者はいない。
「……錆びた自転車」三十代そこそこの痩せた男性ががそうつぶやいた。傍らに幼い姪を連れている。
 確かに、裸の男の前方には錆びた自転車があり、このまま進むと彼はそれにぶつかり転倒するだろう。姪を連れたその男性に注意を促す目的があったのかは全く不明である。
「えっ? 錆びた……なに? もっとはっきり言ってよ、なに? え?! なに、もうなに?」
 男はその発言が聞き取れなかったらしい。それもそのはず、その叔父は小学生の時分から声が小さいことで有名で、高校に入るころには声の小ささを是正することは完全に諦めていたし、大学を卒業してからはその声の小ささに拍車がかかっていたからである。
 いつの間にか裸の男の周囲にはその錆びた自転車を除いては均一的な砂浜が延々と続くだけとなっていた。要するに多数の観光客は避難したということだ。男は錆びた自転車と対峙していたが、彼がそのことに気づいている様子はない。遠目に眺めていた先ほどの男性は「あっあぶない」と思ったが、今度は口に出さず、代わりに傍らの姪の手を強く握りしめた。姪は十年後になってもその時のねっとりした手の感触をやけに鮮明に想起することができたという。
 そして、男は自転車に躓いた。転倒した衝撃で軽く膝から血を流したが、その赤色はさほど美しいコントラストを形成したとはいえず、むしろありきたりな幼少期のやかましい泣き声が思い出される程度だった。それは男の人生にとってさほど大きな意味を持たなかった。
 警察が出動するまでにかかった時間はせいぜい五分といったところ。警察が到着した頃、男がすでに消失していたことがまたしても大きな問題となり、とある警察関係者の手記によれば、「これほど不思議な日はこれまでに経験したことがない」。

「せめて見えるようにしてよぅ」
 だれもその両手で目隠しを取ればよいとは言えなかった。
 次に男が現れたのはとある田舎町の無人駅の駅舎だった。周囲には誰一人としておらず、男の存在を認めるものはいなかった。男を捉えていたのは駅舎の監視カメラである。彼が現れた途端、カメラは何かに反応したように、内部モーターをうならせた。カメラが男の存在に気づいたかどうかは不明である。
 男はカメラの視界の中で数回こけた。男はこけるたびに「んもぉーー」という声を発している。
「こまめに 水分をとり 出来るだけ 外出は 控えましょう 熱中症に 注意してください……」遠くの方からかすかに聞こえるのは防災無線の音。「死に至る危険があります 熱中症に 注意してください……」
 長年ヒトが訪れることのなかったこの場所で、監視カメラは景色を見ているだけだった。そのカメラが防災無線に恋心、あるいは友情、あるいはその他の何かを抱いていても無理はない。カメラは音声に反応し、結果、男はカメラの視界から外れた。
 その間に男は現状を打破しようと無駄な努力を続けていたらしい。結果として男は線路に転落した。かろうじて「S本線全線電化を!!」という文字列が視認できるほど壊れかかった看板のすぐ下だった。間もなく、やって来る貨物列車に衝突しそうになる直前、男は消失した。その瞬間を目撃したものはおらず、また、記録したものもいなかった。が、状況的に見て彼がまたしても消えたことは明白な事実だった。

 次に出現したとき、男は声をあげることはなかった。ああ、またか、いつまで続くんだろう、くらいにしか思わなかった。何度も繰り返されているのだから当然と言えば当然かもしれない。しかし、唐突に男に出現された側としては反応するしかなかった。
「きゃぁあああああ!!!」
 ここは公立中学校のプール。水は張られていない。何かのペナルティか、放課後に生徒数人が汚れたプールの掃除をさせられていたのだ。
 悲鳴を挙げたのは女子生徒二人で、彼女等は一目散に逃げていった。男子生徒二人は強がりながらも徐々に男から離れ、やはり最終的には逃げていってしまった。
 悲鳴に驚くと同時に男は勃起した。その後、滑って転んだ。その拍子に外れた目隠しを視認した男は、今までこんな汚い手ぬぐいを顔に巻いていたのか、と驚いた。
 水の抜かれたプールには生徒が一人だけ残っていた。彼/彼女は男を凝視している。
「えっ? あの……なんですか?」
 おそるおそる問いかけた男の方向へ、彼/彼女は近寄ってくる。
「え? なになに? え?」
 プールの端っこまで追い詰められた男の視界にはいっぱいの笑顔があったはずである。
「おまたせ、キミを迎えに来たよ」

       

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Neetsha