Neetel Inside ニートノベル
表紙

エスト
駆ける騎士

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 イースの南区域にある8畳ほどのワンルームの部屋には、
ベッドとクローゼット、低いテーブルに毛糸で縫われたカギ編みのラグが敷かれ、
ごちゃごちゃと脱いだ服や、休みの日に買った服が散らばって、
クローゼットからもしまいきれずにはみ出ています。

 ベッドでぬいぐるみと一緒に眠っていた女性は、
部屋のドアがドンドンと叩かれる音で目が覚めます。
目を開けるのも苦しいほどの頭痛に、居留守をしようとベッドの中に潜り込みますが、
一向に音は止みません。

 朝から頭痛がひどくてお城にも行けなくて、落ち着いたら病院へ行こうと思っていましたが、
お昼を過ぎた今も激しい痛みは変わらず、なかば落ちるようにベッドから降りると、
テーブルに手をついたり壁に寄りかかったりして、なんとかドアのほうへたどり着きます。
 頭痛に響くドアを叩く音に腹が立って、
文句の一つでも言ってやろうと勢いよくドアを開けると、
そこには傘を持って驚いた表情をしている金色の騎士が立っているのでした。
見たことのある姿に、顔からつま先までくるりと見ると、
やっと誰が来たのか理解してきます。

「ひっ!」

 頭痛も怒りもすっ飛んで、驚きのあまり思わず悲鳴をあげます。
それもそうでしょう。
円卓が、特に騎士が個人の家に来るなど、あり得ないことなのです。
 そして彼女は、自分がパジャマで寝ぐせでぼさぼさで、
顔のむくんだ寝起きの状態であることを思い出して、青ざめます。

マージュは目配せして、開いたドアから中が見えないようにゼルを動かすと、
外から中が見えないように自分を盾にしてドアの開きを最小限にします。

「ご機嫌いかがかな。」
「ぱ、パラディーナ様、ごきげんよう…」

混乱で返答になっていない答えを返しながら、メイドは両手で顔を隠します。

「体調が悪いところに押しかけて悪いね。驚いただろう。」
「はい、あの、何故…」
「ちょっと教えてほしいことがあってね。
 君は一昨日、甘い香りのするものを口に入れなかったかな」
「甘い香りのするもの…?」
「そう、リンゴを甘く煮たような香りのもの。記憶にないかな。」

頭痛と恥ずかしさに耐えながら、メイドは必死に考えます。

「貰った飴なら…」

考えるのも苦しそうな様子ですが、容赦なく質問は続きます。

「誰からもらった飴?」
「ジョージさんです…」
「ジョージ?」

知らない名前に眉をひそめます。

     

「…検問所のおじさんのことですか?。」

ゼルはメイドが見えない位置から問いかけます。

「はい、そうです。」
「なるほど。」

マージュは納得したように頷いて、ベルトの右腰にぶら下げられた巾着から
濃い茶色の瓶を取り出して、手渡します。

「君の頭痛はすこし特殊でね。
 これは特効薬だから、飲んでみてほしい。
 一度に全部飲んでしまっていい。
 しばらく眠っていたら次目覚めた時には効いているだろう。
 次に城に出勤したら、その後の経過を病棟の受付へ伝えてほしい。
 できるかい?」
「はい、もちろんですマージュ様…」
「じゃあ、苦しい時に本当に悪かったね。ありがとう。」

 騎士が優しく微笑むと、パタリとドアが閉まって部屋に静寂が訪れます。
メイドは瓶を握ったまま、ぼーっとします。

「…パラディーナ様ってあんなにかっこいいんだあ…」

 微笑む女騎士はまるで華やかな男役スターのようで、
背中にはキラキラと薔薇の花が見えた気がします。
ふと、渡された瓶を見て、特効薬だと言っていた瓶を透かすと、
中に液体が入っているのが見えます。

「…あれ、飴もらったのって、ジョージさんからだったっけ…?」

 考えを巡らせると、思い出したように頭痛が襲います。
はやく痛みから解放されたくて、メイドは指に精一杯の力を入れてコルクの蓋をぽんと外すと、
思いっきり飲み込みました。
 量は、本当に一口分でしたが、思わず眉間にしわを寄せて
口をあけて舌を出してしまうほどの苦みが襲います。
大急ぎでお水を飲んでごまかそうとしますが、なかなか舌から剥がれない苦みに、
しばらく口をもごもごとさせているのでした。


     

 ゼルとマージュは検問所へ向かいます。
朝に比べて、随分雨も風もおさまって、傘を持って街を歩けるほどになっていました。
ときどき、レンガで舗装された道の小さな水たまりでパシャパシャと音をさせて歩く
二人の足取りはずいぶんと軽いものです。

 メイドの家から検問所へは10分ほどの場所にあって、商人街のすぐそばでした。
木造の屋根のあるドアも壁もない小さな出店がずらりと並んでいて、
商人たちは多少の雨ならこうしてお店を開くことができます。
ほとんどのお店は1区切りの狭い場所に、たくさんの品物を並べたり、
色とりどりの飾りつけをしてお店を華やかに飾って、
積極的に前を通る人々に声をかけて、とってもにぎやかです。
 端から端まで、ゆっくり歩くと1時間ほどですが、お店は背中合わせで並んでいますから、
全てのお店を見るなら往復しなければなりません。
珍しいものもたくさん並んでいましたから、つい足を止めてお店を見ようものなら、
3時間は余裕で楽しめる場所でした。

 思わずマージュが、砂漠の国から来たという鮮やかな色彩の織物に足を止めますが、
ゼルがなんとか引っ張って足を進ませます。

「イーギルだったらもう少し待ってくれるのに」
「自分はイーギル様じゃないので…」

 残念そうな顔でしぶしぶ歩き始めます。
少し引きずったところで、今度はアイスキャンディーのお店に足を止めます。
さっきと違って、びくともしません。

「マージュ様」
「心配するな、おまえの分も買ってやるから」
「そういう問題じゃないんです…」

 声はどんどん諦めに変わって、
ついに足を止めてお店の前でアイスキャンディーを食べ始めます。
街の人々は、ちょっと不思議そうな顔で2人を見るのでした。

「うーん、久しぶりに食べるとおいしい」
「うんうん、そうだろう。」

 食べ終わりそうなところで、遠くから、まて!という男の人の声が聞こえてきます。
そちらを見てみると、小さな赤いバッグを抱えながら人々にぶつかりつつ、
こちらに走ってくる男が見えます。
 マージュは口にアイスの棒を咥えて、ちょいと道路の真ん中に出ると、
腰に差している鞘が付いたままのレイピアをちょうど野球のバッターが持つように握って、
走ってきたひったくりのお腹にレイピアという名のバットを打ち込みます。
 かわいそうなひったくりは、うっ、という声をを漏らして後ろに倒れこんで、
動かなくなってしまいました。
すぐに兵士たちが2,3人が追いついて取り押さえている姿を見ながら、
レイピアを腰に差しなおし、併せて差している短剣と当たる音が聞こえてきます。

「…見事な素振りでしたね。」
「うん、気持ちがいいくらいに腹に入った。」

 満足そうにアイスの棒をお店の人に渡しながら笑うマージュに、
兵士たちはお礼を言いながら敬礼して、手際よく縛り上げるとどこかへと連れて行きました。

「商人街、ときどきあるんですよね。
 イースは警察兵が見回ってくれているので、ほとんど捕まりますけど。」
「うん、我が兵の教育がきちんとなっている証拠だね。」
「スリだけは手口が巧妙でなかなか減らないんだよなあ…」

 ゼルがボヤいたところで食べ終わり、棒を店主に渡して今度こそ目的地へと進みます。
気温はそんなに低くないはずなのに体が冷えて、少し肌寒く感じます。
少し歩いたところで、また男性の、まて!という声が聞こえてきます。
 二人が向こうから走ってくるであろう人を人ごみの中から探すと、
わたわたと痩せた男が走ってくるのが見えました。

     


「ん?」

 と不思議そうな顔をしながらもマージュはまたレイピアを握りますが、
瘦せた男に向かって何かが落ちてきて、そのまま取り押さえられます。
 落ちてきたのは、商人たちの屋台の屋根をつたって走ってきたイーギルでした。
ギリギリと体重をかけて、涼しい顔でうつ伏せの相手の髪をつかんでのけぞらせて、
何か話しかけているようです。
 ゼルとマージュは小走りで近寄ると、その足音に気づいたイーギルがこちらを見ます。
雨で濡れて髪から雫が滴っています。

「ああ、2人とも。」
「どうした。普通のひったくりじゃないようだけど。」
「うん。」

 イーギルが男の服をめくり、腰のあたりをまさぐると、こちらに何かを見せてきます。
それは、緑色の瓶でした。

「検問の前でやたらとびくびくしていたから、
 ボディチェックさせてくれって言ったら逃げ出しちゃってさ。
 で、これは何?もしかして初めての持ち込みじゃない?」

 ぐいぐいと髪をひっぱってエビぞり状態の痛がる男に、
容赦のないイーギルはさらに背中に体重をかけますが、
80キロほどの男につぶされて、男はうめくことしかできません。
またやがて兵士たちが追いつくと男を手際よく締め上げて、
イーギルからの指示を受けてどこかへと連れて行くのでした。
 ゼルが、気にする様子もなく雨に当たり続けるイーギルを自分の傘にそっといれてあると、
こちらを見てにこりと微笑みます。

「ありがとうゼル。」
「で、怪しかったはさっきのが初めてか?」
「うん、でも他にもいるのかもしれない。
 明らかに挙動がおかしかったから捕まえたけど、
 個人への検問をもっと厳しくしないと、このままだと普通に通られてしまう。
 …まあ、あの人が持っていたのが例の薬かどうかわからないけど。」
「そうだな…ご苦労。」
「うん。2人はどこに?」
「検問所へ行こうと思っています。」
「そっか。」
「傘使いますか?」
「ううん、大丈夫だよ。ありがとうゼル。」
「行こう。風邪ひくなよ。」
「ふふ、もちろんだよ。2人とも、またディナーでね。」
「はい、失礼します。」

 もう背中を向けて歩き始めているマージュの後をゼルは追いかけます。
傘にあたる雨の音がここちよく、露先から落ちたしずくが肩を濡らします。
 ゼルはなんとなく、傘で自分の顔を隠して歩きます。
また街の人々が自分の瞳を見て帝国へ行けと、言ってくるような気がしたからです。
もし、ジョージさんが薬を今も飲んでいたとしたら、薬をばらまいていたとしたら…
不安は尽きません。

 検問所について、軒下で傘を閉じて雫を払うと早速中に入ります。
先日と同じ様子は変わりませんでしたが、申請に来た商人が数人手続きをしています。
ただ、中で働く人たちは、マージュが入ってきたことでぎょっとしています。
傘をドアのそばの傘立てに入れて、ゼルは目的の人物を見つけて、そちらに近寄ります。
 こちらに来たことを察して、ジョージは体を重たそうに持ち上げて立ち上がります。

     


「ジョージさん、こんにちは。」
「はあ、エスト様、今日はパラディーナ様もご一緒のようで…」
「はじめまして。」
「ええ、はじめまして、ごきげんよう」

目をまんまるにして驚いて、眉尻を下げてちょっと身を引いているものの、
それでもにこやかにぺこりと頭を下げます。

「今日はパラディーノ様があたりを回っておられますし、
 何かあるんですかな…別室へご案内しましょうか?」
「特別何かが起こるわけではないので安心してください。
 大した話じゃないので、ここで大丈夫です。」
「かしこまりました。どうぞ、おかけください。
 ほら、椅子をお持ちして」

 ジョージは後ろのほうでバタバタと動き回っている女性スタッフに声をかけて、
しっかりした木の椅子を用意してくれたので、
背もたれに背中を預けて足を組んで、ゼルのやや後ろに座ります。
 女性スタッフがこっそり握手を求めているのを見て
ゼルはまるで有名人のような扱いだな、と思いましたが、
一緒にいることが当たり前なのがおかしいことを思い出して、
自分と国民との感覚のずれを実感したのでした。

 改めて、ゼルは大きく息を吸って止めると、
決心したように目の前の困った様子のおじさんと目を合わせます。

「ジョージさん、先日自分に、”帝国へ行かないのか”と言ったこと覚えていますか?」
「エスト様に?」
「ええ。」

 ジョージは、なんだか覚えていないようですが、
数秒、ゼルの瞳を見つめたかと思うと、少しぼんやりした顔になって、

「言ったかわかりませんが…行かなくていいのですか?」

とそれがまた当たり前のように聞いてきます。
ゼルは二度目の質問にひるむことなく目を合わせたまま続けます。

「なぜです?」
「それは、緑の眼ですから…」
「誰から言われたのです?」
「だれにも」
「ではなぜ、緑の眼は帝国へ行かなければならないのです」
「呼んでいるからです」
「誰が?」
「だれでも」

 2人はお互いの眼を見たまま、無言になります。
マージュは鋭い眼光のままぴくりとも動きません。

「では質問を変えます。ジョージさん、
 甘い香りのする薬を飲んだり、飴を食べたりしませんでしたか?」
「記憶にありません」
「では、手荷物を見せてもらってもいいかな。」
「なぜです?」

 その一言に、明らかにいらだったのか眉をひそめて口をきゅっと結んでいます。
ゼルは視界の端で、テーブルの上で組んでいる指に力が入るのが見えました。

     

「ジョージさん、今私たちは、他の国から入ってきた薬を探している。」
「それで?」
「貴方がそれを持っていると疑っている。」

 マージュは体勢を変えずに、冷たい視線を送っています。
それを跳ね返すようにジョージはゼルからマージュへ視線をうつして、
にらみ合って無言になります。

「私がそのようなものを持っていると?」
「ええ、貴方なら手に入れることができる。」
「…まさか、エスト様も私を疑われているのですか?」
「はい、ジョージさん。
 お願いです、手荷物を見せてもらえませんか。」

 その瞬間でした。
ジョージが勢いよく立ち上がったかと思うと、右手に鈍く光るものがみえました。
あろうことか、カウンター下に用意してあった護身用の銃で
マージュを撃とうと立ち上がったのです。
同時に、それを察知したマージュが、
ジョージが立ち上がるためにカウンターの上についた左手の甲を
書類を記入するために用意されていたそばにある万年筆で、
昆虫標本のピンのように打ち付けます。
 手の甲を貫かれた痛みで銃を落としたので、発砲を防ぐことができましたが、
ドン、という大きな音で周りの職員や手続きをしに来た商人たちが驚いてわあっと後ずさり、
じわじわと流れ始める血を見て、ゼルはちょっと体を引きます。

「大騒ぎして悪いけど、誰か兵士を呼んでくれるかな。
 …そこの子、お願いできる?」 

 誰一人動く様子がないので、さっき椅子を持ってきた女性に指示を出すと、
おびえた様子で返事をして大急ぎで外へ出ていきました。

「さてジョージさん、後で勝手に荷物を拝見する。
 あとあなたの家も場合によっては。」

 苦しそうに脂汗を流しながらも、にらみつける視線の強さは変わりません。

「か、勝手に人のかばんや家を捜索するなんて、
 い、いささか職権乱用がすぎるのではありませんかな!」
「こういうことも時には必要悪でね。」

 奥歯からぎりぎりという音を鳴らしながら異議を唱えますが、
全く冷たい目でマージュは見下ろします。
 万年筆を机から抜こうにも、手から抜こうにも痛みが走り、
脂汗を流しながらどうにもできず唸り声をあげながら耐えるジョージに、
ゼルは手を伸ばしかけますが、
流れる血を見ているだけで貧血を起こしそうな感覚になります。

「ゼル、触るな。」
「は、はい」

 左手首を握って必死の形相で痛みに耐えている姿をみながら、
ハンカチを取り出して手渡します。

「…ジョージさん、なぜ自分を撃とうとしなかったのです?」
「なぜって…緑の眼だからです…」

 ハンカチを受け取る際にゼルと目が合ったとたん、
鬼のような形相から、ほんの少し、いつもの朗らかな表情が見えます。

「それに、お優しいエスト様を撃つことなんてできません。」

     

 それが、彼の本心からの言葉だったのか、薬によるものなのかはわかりませんが、
返す言葉が見つからなくて思わず口をつぐんでしまいます。
4人の兵士がバタバタと到着し、マージュが詳細な指示を伝え始めている所を眺めていると、
ジョージが頭を抱えて辛そうにし始めます。

「大丈夫ですか?」
「ええ、いや、頭痛がひどくなってきて…」
「きっとあの甘い香りの薬のせいです。」
「ええ、早く飲まなければ…」

 ゼルは、やはり持っているんだと確信します。
そして、できるだけ落ち着いて、声色を変えないようにします。

「大丈夫です、もうあの薬を飲まなくても、博士特製のお薬を飲んだらすぐに良くなります。
 …誰からもらったのですか?」

目を閉じて、頭と左手の痛みで苦しそうに唸りながら、
右手で目を覆って思い出しているようです。

「名前がわからないのです、でもただ、太った男と一緒に…」

 そこまで言ったとたん、突然ジョージは自分の左手を貫いている万年筆を
ものすごい勢いで抜いて、カウンター上に何気なく載せていたゼルの左手に突き刺します。
 マージュほどの勢いはなく、親指と人差し指の間の柔らかいところに
ペン先が埋まる程度でしたが、それでもゼルは鋭い痛みに息を飲み、
思わず立ち上がり、座っていた椅子がガタンと倒れます。
 兵士たちが4人がかりで取り押さえている間に
マージュはゼルから万年筆を急いで抜いて投げ捨てると、傷口をハンカチで押さえます。

「ゼル、帰るぞ。
 傷はともかく、あいつに刺さっていたペンがお前に刺さったのは非常にマズい。
 私が目を離したからだ。すまない。」
「い、痛い…!」
「当たり前だ。」

 眉間にしわを寄せたマージュがゼルの右腕を引っ張るので、つまづきながら検問所を出ます。
ちらりと振り返って、取り押さえられているジョージと目が合うと、
悲痛な顔でこちらを見ているのが見えました。
 外に出ると、来た時よりも雨は小降りになっていて、力強く引っ張られて行った先は、
南区域を管轄する警察兵のいる駐在所でした。
 入り口前で待機するように言われて待っていると、
中に入って何かを大きな声で伝え、バタバタと音がしたと思ったら
裏から茶色の馬に乗ったマージュが現れます。
 口には、銀色で縦長のホイッスルを咥えています。

「のれ。」
「う、馬にですか?」
「わたひの上にのれというとおもうのか」

 咥えたホイッスルでちょっと不思議な発音になりながら、
呆れた顔でこちらを見てきたので、ゼルが後ろに乗ろうとすると、

「まえにのれ」

 と指示が出されます。

     

ゼルは、マージュに後ろから抱かれる形になるのでちょっと気恥ずかしくもありましたが、
ここで抵抗しても仕方がないのでしぶしぶ前に乗ります。
 ホイッスルが甲高い音を鳴らしたかと思うと、馬がクールベットをしていなないて、
超特急で街を走り始めます。
 街中で出来る限りの全速力で走る馬に、耳元でならされるホイッスルの合わせ技で、
耳はキーンとするし内臓が浮いたり沈んだりするし、
ゼルは歯を食いしばりながら情けない声を出してしまいますが、
途中から、呼吸がしづらくなってきたのを感じます。

はあ、と音を立てて大きく息を吸った時、マージュはその息遣いを聞いて、
まずい、という顔をします。
 身体をぴたりと引っ付けていると、どんどん、ゼルが肩を上下させて
無理やり呼吸を続けようとしているのを感じます。
 お城は目の前に見えているものの、街の構造上すぐにたどり着くことができません。
焦る気持ちをどうにか落ち着かせて、最短ルートを思い出し、
街の人々に細心の注意を払ってホイッスルを鳴らします。
ホイッスルを鳴らすことで、街の人々は緊急であることに気づいて、
道を開けてくれるのです。
 ゼルは、自分の呼吸がどんどん苦しくなるのを実感していました。
できるだけ呼吸に集中して、落馬しないようバランスを取り、
パニックにならないように思考を整理します。
 マージュが自分の背中にぴたりとくっついたときに、自分の異常に気付いたのだと感じました。
自分顔のすぐ右に、マージュの呼吸とホイッスルの鋭い笛の音が聞こえます。

 お城の門扉が見えたところで、ゼルは大きな音を立てて息を吸います。
もう限界の合図でした。
マージュの抱きかかえる腕が更に力強くなって、、
”ああ、ゼル、たえてくれ”と小さな声で祈るように言ったのが聞こえます。

 門兵たちは、必死の形相でゼルを抱えながら、馬のスピードを下げずに
開けろと大声をあげて突っ込んでくるマージュを見て大急ぎで門を開くと、
閃光のように中に走って行く姿に目を白黒させました。
 門を抜けたら庭園を駆け、植木や花壇を跳び越え、薔薇のアーチを風のようにくぐり抜け、
中庭のキシェのラボをめざします。

 お城の2階の窓から、マージュが乗った馬が疾走していくのを目で追っていたイグジクトは、
ただならぬ気配を感じ取って早歩きで部屋を出ました。

 一方、キシェのラボのサンルームでは、以前王が書類を並べていたカフェテーブルに、
紅茶とケーキが並んでいます。

「カヨカヨ、今日はキイチゴのラルトだねえ」
「タルトだよキシェ」
「タルロおいしいねぇ」
「そうだね。私はモンブランだけどね。」
「雨やまないね。」
「そうだね、早く晴れてほしいね。」

 と、2人で小雨の中庭のほうを見たところ、
小走りの馬から転げ落ちるように降りる人影が見えてぎょっとします。
大急ぎでガラスのドアを開くと、マージュが真っ青な顔のゼルを抱きかかえていたのでした。

       

表紙

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Neetsha