Neetel Inside ニートノベル
表紙

エスト
そばにあるもの

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 ゼルが目を開けて見えたのは、見覚えのない天井でした。
自分が荒く呼吸をしていること、汗だくになっていることに気が付きます。

右腕には管が刺さっていて、壁にぶら下げられた点滴とつながっています。
ふと隣を見ると、左脇あたりで、掛け布団に入ることなく
真っ白なリネンのチュニックと膝上の短パン姿のキシェがすやすやと眠っています。

 眉をひそめて目を閉じて、映像がフラッシュバックしないようにすぐに目を開きます。
大きなため息をついて、身体を起こそうとすると、ズキリと左手が痛みました。

「あ、そうか…」

 万年筆で刺されたことを思い出して左手を見ると、
包帯が少しのヨレも隙間もなく丁寧に巻かれ、
傷口のあたりに青と緑のインクで不思議な模様が書かれています。
 ため息をついて、もう一度痛くないように、
なおかつキシェを起こさないように上半身を起こしました。

 ふつふつと額に浮いていた汗を、服の袖で拭いて
さらに大きなため息をつきます。
 周りを見回すと、どうやらここは病棟ではないようです。
5畳程の正方形に近い形の部屋は若草色の壁で、
妖精のランプが部屋を明るく照らしています。
 入口が北側にあり、南側には大きな窓、西側には小さな窓が付いていて、
自分は西側の窓の下にあるベッドで、入口に足を向けて眠っていたようでした。
東側には棚があって、大小の瓶とアヒルのおもちゃが大きさ順、本は色順、
小さな四角のテ―ブルの上の太めのロウソクは高さ順と、全て律儀に並べられています。
 寄り添って眠っているキシェに、弟の体温を思い出します。
外はすっかり真っ暗になって、雲の隙間から、瞬く星が見えています。

 自分がこうなるまでを思い出しつつ、息を吸ったり吐いたりします。
少し吸いにくさはあるものの、特に問題はなさそうです。
呼吸が止まる寸前に思いっきり息を吸った時の、
マージュの切実な声も一緒に思い出されました。

 もう一度、大きな大きなため息をゆっくりと付いたところで、
キシェがもぞもぞと動き始め、目を覚まします。
ゼルが上半身をあげていることに気が付くと、眠たそうな目のままベッドから降ります。

「ゼル?」
「あ」
「どう?身体」
「もう何ともないです。」
「ゼルまっててね…ちょっとだけ…」
「あ…」

 ふわふわとした足取りで、ドアを開け放してぺたぺたと裸足で部屋を出て行ってしまいます。
追いかけようにも、点滴の針が刺さっていて、へたに動くことができず困惑していた所に、
イグジクトがひょいと顔を出します。

「調子はどうだ。」
「問題ないです、ちゃんと呼吸もできてますし。」
「そうか。」

     

 部屋に入ってきて、ベッドの隣の丸椅子に座ると、
足を組んで膝のあたりで指を組みます。

「あの、マージュ様は大丈夫ですか?」
「…なんで?」
「自分のこと、気にしてるんじゃないかと思って」
「そりゃあ国民大勢を守る役割の騎士が、おまえ一人を守れなくて
 気にしないとでも思ったか?」
「でも、自分が油断していたので刺されたわけで…」
「違う、今回の件はあいつの過失だ。
 死にかけたおまえが他人の心配をしている場合か。」
「いや、自分はもう大丈夫なので…」

 大きくあきれたような顔でじっとこちらを見てくるので、
ゼルはすこしたじろぎます。
紫色の眼は、疑う光こそありませんが、心底気に食わなさそうにしています。

「あいつのせいでこんな事になったんだぞ。
 そもそも容疑者とおまえから目を離す馬鹿がどこにいる。
 万年筆で攻撃されるなんて予測できたことだし、
 さらに血液に有毒性があることを把握していながら、
 垂れ流しにしておいたのも悪手だ。
 ついでに不注意でけがをさせたのが円卓ときた、全部最悪だ。」
「そ、そこまで言わなくても…」

どんどん連ねられていく指摘の言葉に、
ゼルは自分が責められているかのように肩を落としていきます。
イグジクトは眉間にしわを寄せて、いらだった顔をします。

「同情するのもいい加減にしろ、無駄だ。
 今回は助かったからいいものの、死んだら元も子もない。」
「…確かに、そうですけど…」

 ゼルは、包帯の巻かれた左手を見つめて、
それはそれは困った顔で言葉を探して黙ります。

「でも、マージュ様はいつも自分のことを気にかけてくれるんです。
 円卓になったときも、今も。
 そんな人を責めることなんてできません。」

 イグジクトは、それを聞いて勢いよく立ち上がると、
ゼルの左手の傷を思い切り親指で押してきます。

「あ!いた!痛い!いたたたた!」
「このクソお人よしが!
 ”この人はいい人だから”なんて考えていると、
 お前みたいな弱っちい奴はすぐ騙されて死ぬぞ。
 常に人を疑い、判断しろ!」

どんどん、言葉が強くなります。
ゼルは圧倒されながら押されている傷の痛みに耐えます。

「前にも言ったが、ディルトレイ様は俺たちすらも常に疑っている。
 油断していると、円卓の誰かが裏切ったときに利用されて貧乏くじを引くのはお前だ!
 だから…」

ふと大声を出していることに気づいたイグジクトは、突然喋るのをやめます。

     

傷から手を放して重力に任せるようにどさりと丸椅子に座って、
ふう、とため息をつくと、

「わかったか。」

と吐き捨てるように言いました。
 ゼルはジンジンと痛む傷をおさえて涙目になっていますが、
また困った顔をして考えて、イグジクトのほうを向くと苦笑します。

「わかりました。
 でも、でも今回は仕方ないというか」

 まだ口答えをしてくるゼルに、イグジクトは再度むっとした顔をすると、
立ち上がって今度は右腕の点滴の針の刺さっているあたりを力いっぱい押してきます。

「あ、い、いだだだだだ!」
「本当に甘すぎて人をダメにするタイプの人間だなおまえは!
 おまえが死んだらマージュも立ち直れないだろうが、
 使い物にならなくなったらおまえは責任とれるのか!」
「い、たたたた」
「あの女は有能だ、まだまだ騎士をやってもらわなければ困る。
 ゼル、おまえもそうだ、俺が王になるまで生きていてもらわなければ困る。」
「は、はい!あいたたたたた」

イグジクトは許してやるとでもいうように手を放し、
ゼルはまた半泣き顔で今度は点滴の針のあたりをおさえて響く痛みに耐えています。

「どうだ、無意味な暴力にイラっとしたか。」
「ちょっとだけしました…」
「フン、その怒りはマージュにぶつけろ。嫌がらせの一つでもしてやれ。」

イグジクトがどすんと椅子に座ると、部屋が突然静かになりました。
ふう、と息を吐くと足元を見て黙ります。

「…おまえを刺した奴は死んだ。」
「え?」
「連行中に舌を噛んで死んだ。何も聞き出せずに終わった。」

 ゼルは絶句します。
また、知っている人がいなくなってしまったのです。
夢でみた現実を思い出して心臓がバクバクとします。

「そんな」
「鞄からはあの薬が入っていたであろう空の瓶が見つかった。
 家族は、薬瓶の存在すら知らなかった。」
「い、イーギル様が捕まえていた男はちがったんですか?」
「ハズレだ、別の持ち込み禁止の麻薬だった。
 これからはシラミ潰しであの薬の入手ルートを探さねばならない。」
 
 ゼルは悲しさに負けないように、額に手を当てて、
深く呼吸をしながらできるだけ冷静になります。
 そして、手を刺される前、最後にした会話を思い出し、少しの間のあと、
イグジクトと目を合わせて、

「ジョージさんは」

とはっきりとした口調で切り出します。

     


「ジョージさんは、名前のわからない太った男からもらったと」
「…ほう?」

イグジクトはさっきの激しい剣幕をすっかり忘れたように
目をまん丸にして驚いた顔をします。

「”太った商人”とは言いませんでした。
 それから、もう一人誰かがいるような言い方でした。
 それが、渡してきた側にもう一人いたのか、
 受け取った側にもう一人いたのかはわかりませんが…」
「ふうん、なんだ、ただ死にかけただけじゃなかったか。」

 少し考えるふうにして静止すると、身体を前のめりにしてニヤリと笑います。
さっきまで声を荒げていたのが嘘のように、いつもの余裕そうな、
ちょっといじわるな顔のイグジクトが戻ってきます。

「他に言っていたことは?」
「…ありません、頭痛で苦しそうに手で顔を覆って、
 すぐに自分の手を刺してきたので…」
「そうか、わかった。あとは私が考えておく。
 また何か思い出したら明日でもいいから教えろ。」

 ふとドアを見て、何かに気づいたように立ち上がって部屋を出ていこうとしたので、
すぐにゼルが呼び止めるように声を掛けました。

「あの、ご心配ありがとうございます。」

イグジクトは身体は向けず、顔だけこちらに向けます。

「別に、心配なんてしていない」
「でも、なんというか、本心を言ってくれたんだって思いました。」
「…なぜ?」
「さっき、自分のことを”俺”って言っていたので…」

 ちょっと考えて、今度はしまったという顔をしてくるりと上半身をこちらに向け
ビシッと指を指してきます。

「それ、ディルトレイ様に言うなよ。」
「なぜです?」
「王になるからには言葉から正せと言われて気を付けているんだ。
 国のトップが”俺”というと、こう…皇帝みたいだろ。」
「皇帝陛下って…そうなんですか?」
「そう聞いたことがある。私が目指しているのはイースの王だからな。
 …じゃあ、おまえと喋りたい奴がドアの前で待っているようだから私は行くぞ。
 言うなよ絶対。」

 珍しく焦った様子のイグジクトはそういってくぎを刺すと、
足早に部屋を出て行ってしまいました。
 ランプにいた妖精はいつの間にかいなくなっています。
ぱたりとしまったドアの外で、誰かが話す声が聞こえたかと思うと、
入れ替わりでマージュが入ってきました。
 髪を下ろして、いつもの余裕たっぷりの笑顔はなく、悲しそうな顔で
ドアも閉めずに足早にそばに駆け寄って、丸椅子に座りもせずに片足を立てて跪きます。

     

「ゼル、もう身体は大丈夫なのか」
「はい。平気です。」
「守ってやれなくて悪かった。私の過失だ。」
「はい、でも、自分はもう大丈夫なので。」
「こういう時は怒っていい。私のせいで死にかけたんだ」
「今、イグジクト様にも言われました。」

 ゼルは微笑みますが、マージュは変わらず思いつめた顔です。
いつもと違って、優しくて抑揚のない、静かな声色です。

「おまえはそうやって私を甘やかす。
 怒ってくれたほうが気が楽なこともある。」
「自分が怒る分、イグジクト様が怒ってくれていたので…」
「じゃあ、”嫌がらせの一つでもしておけ”くらい言われただろう。」
「はい、言われました。」
「何をするか決めたか?」
「うーん…じゃあ、今度目の前で美味しそうにお菓子を食べます。」
「…わかった。」
 
 ほんのすこしだけ破顔したマージュがゆっくりと立ち上がったかと思うと、
ふわりとシトラスのいい香りがゼルを包み込み、
抱き寄せられたのだと気付くのに時間はかかりませんでした。
心から自分を心配し、後悔し、不安でたまらなかったのでしょう。
 少しだけ身体を預けることにしました。
腰まである白金色の絹の糸のような長い髪が、さらさらと腕に当たるのが気持ちよく感じます。

「生きていてよかった。
 本当にごめん、ゼル。私は大切な友人を亡くすところだった」

 ゼルは、背中に手を回すべきか迷って、両手を少し宙に浮かせたところで、
開け放たれたドアからひきつった笑顔のイーギルと目が合います。
意中の女性が、他の男に抱きついているのを見ていい気分なわけがありません。
 目をそらさずに冷や汗が滝のように流しながら、
自分はハグをしていませんよ、そんなつもりもありませんよ、
とでも言うように肘をまげて両手を上げますが、気まずくて気まずくて仕方がありません。
突然、イーギルが何かを思いついたような顔をして、部屋に入ってきます。

 足音に気づいたマージュが振り返ろうとしたところで、
イーギルはたくましい腕でマージュごとゼルをハグしてぎゅうぎゅうとくっついてきます。

「う!」
「うんうん、ゼルが無事でよかったね。僕も嬉しいよ。」
「おい、離せ、私はいい」
「いたた、て、点滴の管が…」
「あ、マージュ、ヘアオイル変えた?ふふ、良い香りだね」
「この、イーギル離せ、あっ、あ」
「あいだだだだだだ!」

 イーギルの腕から逃れようとするマージュがバランスを崩して、
身体を支えようとベッドに手をつきますが、ついた先はゼルの左手の上です。
仕方ないと言えど痛くて痛くてつい大きな声が出ます。
それを聞きつけたイグジクトが部屋の様子を見に戻ってきます。

「おい、何をしている、ゼルも病人だぞ静かに…うわ気持ち悪」

 大人3人がもみくちゃになっているのを見て、心底不快そうな顔をします。
でも、なんだかその表情の中はホッとしたふうでもありました。
 騒ぎを聞きつけてやってきたカヨに、

「一応病人なんだから大事にしてもらわないと困ります!
 イグジクト様も何ほほえましそうに見ているんですか!」

と騎士二人と王子はこっぴどく怒られてしまいましたが、
怒ったカヨも、どことなくホッとした様な顔です。
 明るい声の響く深夜の部屋は、暖かい光を放っているようでした。

 お昼に空を覆っていた雲は去って行って、星たちの輝きがどんどん姿を見せます。
騎士たちが去っていった一人の部屋に、また妖精のランプが灯ります。
静かになった部屋で、もう一度横になったゼルは静かに目を閉じます。
もうあの夢をみても、きっと大丈夫でしょう。




       

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Neetsha