Neetel Inside 文芸新都
表紙

創作の心理学、創作の哲学
そもそも物語とは何か?

見開き   最大化      

そもそも物語とは何か?

物語と実際の人生はある決定的な違いがあります。それを一言で説明すると、物語は起承転結で最終的に「終わる」のに対して、実際の人生は明確な起承転結と終わりがありません(もちろん、死は個人の物語の終わりにはなりますが)。

物語は、「そしてみんな幸せに暮らしました」といってハッピーエンドとして幕を閉じる事が出来ます。しかし人生はそのような終わりがないのです。
よく言われる事に、結婚はゴールではなくスタートである。とか、大学入学や就職はゴールではなくスタートである、という言葉があります。人はゴールを定めても、そのゴールに到達したら「物語が終わる」わけではないので、次のゴールを定めなければいけません。ここで、次のゴールがない人が人生に失敗するのです。
ある話では、東大生に「燃え尽き型」というのがいると聞きます。燃え尽き型学生とは、東大入学を人生のゴールだと思っていたので、いざ入学するとその後本当にやりたい事がない事に気がつき、受験勉強に精神力を使い果たしてしまっていて、文字通り燃え尽きてしまった学生です。
目標には、終わりのある目標と、終わりのない目標があり、自己啓発の考え方によると、人は終わりのない目標持つべきだとされています。
終わりのない目標とは、具体例は、「人を助けたい」などです。医者になったり、消防士になったり、教師になったりする事は真の目的(ゴール)ではなく、あくまで人助けをする手段であり、人が医者になった後の使命は医師試験に合格する事ではなく、人を助ける、幸せにする事です。人を助ける事には終わりがありません。なので「燃え尽きる」事もなく、一生を捧げる事が出来るのです。

というわけで、人生には明確な起承転結がありません。起承転結がある「エピソード」は人生の中でいくつも発生します。しかし人生全体をみると、バラバラな要素が不安定に組み合わさった、中途半端な起承転結が順不同で入り組んで散らばったもので、創作の物語のような整った形式は見出せないものです。
長編漫画にエピローグが必須である理由もここにあります。我々は読んでいた物語が終わる時、主人公や登場人物全員が場合が死んだ場合は別ですが、本当は「物語は終わっていない」事を分かっているのです。なので、キャラクタたちがその後どうやって生きていくかの後日談がなければ、我々は重要な情報を隠されているように感じ、感情移入が大きいほど喪失感を感じる事になります。




さて具体的に有名漫画の考察をしてみましょう。
ワンピースは、「海賊王になる」、「ワンピースを見つける」がゴールとして設定されています。
恥ずかしながら筆者はワンピースをほとんど読んだ事がないので、内容を語れる立場には無いのですが、内容への無知を自覚した上で、哲学的、心理学的な立場から、ワンピースという作品が何であるかを考えてみます。
ワンピースはいまや超・長編漫画となっておりますが、私の想像では、作者の尾田栄一郎氏は、完結を「恐れている」のではないかと思うのです。ここまで長編の作品となると、これは作者がほぼ人生をかけたライフワークだという風に言えます。ルフィは海賊王になって、ワンピースを見つけたいのかもしれませんが、これはルフィだけではなく、尾田氏自身の旅だとも言えるのです。尾田氏はもしかしたら、「漫画王」になりたくて、「世界で一番大事なもの」を知りたいのかもしれません。その投影が、「ルフィ」と「ワンピース」なのだと。
ワンピースが何か、についてはファンから様々な考察がされていますが、究極的には、ワンピースは見つけないほうが良いのではないか。ワンピースが何であるにしろ、おそらく、物理的な「モノ」として登場したら殆どの読者がガッカリする事は目に見えています。どれだけ莫大な財宝だったとしても、たぶん「これだけのために何十年も連載したの?」と皆が思う事でしょう。
終わりのない目標のほうが優れているという立場に立って見れば、ワンピースは見つける必要がありません。なぜなら見つけてしまったらもうやる事がなくなるからです。「ワンピースを探す」事は、物理的なモノを探すという行為よりももっと重要な、霊的な意味を含んでいると考えられます。それは読者の旅でもあり、作者の旅でもあるのです。


ハンターハンターの主人公、ゴンは「父親を探す」ことを目標に、ナルトは「火影になる」ことを目標にしています。
かといって、例えばハンターハンターは、作中全てのエピソードが直接的に父を見つける事と関わっているわけではありません。ナルトも同じく、全てのエピソードが直接「火影になる」ことと関わっているわけではないですが、この「長期的な目標」が、個々の、バラバラなエピソードをつなげるパイプの役割を果たします。この目標は太い木の幹のようなもので、様々な方向に枝が伸びるも、話がバラけないようにつなぎとめ、全体にまとまった流れを作ります。
長編漫画には決まった目標があったほうがいいという事です。目標がないとどうなるか?を知りたければ、ブリーチを見るといいです。

ブリーチの主人公、黒崎一護は目標を持っていません。何がしたいのか、最終的に何になりたいのか、読者は分かりません。なのでルフィ、ゴン、ナルトと比較すると弱い主人公だと言わざるを得ないのです。
一護は目標が無いため、物語は強引に一護のために目標を作る必要がありました。ルキアが囚われたから助けに行く、織姫が拐われたので助けに行く、等。捕らわれた仲間を助けた後一護はどう生きるの?それははっきりしません。これが、ブリーチが長期化するとともにどんどん内容がなくなって行った最も根本的な理由だと考えられます。もし一護に具体的な目標があったら、久保帯人氏も一護と同じ「目標」を持って(それを「描く」という事)熱心な活動を続ける事が出来たはずです。


今回の内容をまとめると、以下のようになります。

・創作の物語の基本は、主人公に終わりのあるゴールを設けること。
・だが実際の人生では、終わりのないゴールを持つべき。終わりのあるゴールを達成しても、まだ人生は続くので、次のゴールを定めなければいけなくなる。

そして今回の深層心理学的な主張はこうなります。

・創作の主人公が物語の中で持つゴールは、その作者が内的に持つゴールの投影でもある。なので主人公の「個性化の過程=物語」は、作者自身の内的な「個性化の過程=物語」でもある。
こう考えると、テーマのある長編作品を描くという事は、ただの作業や仕事ではなく、作者の自我と直結する、文字通りのライフワークとなる。

       

表紙

草薙勃起不全 先生に励ましのお便りを送ろう!!

〒みんなの感想を読む

Tweet

Neetsha