Neetel Inside ニートノベル
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生徒総会あらため、生徒“葬”会
第四十話 蜘蛛

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【8日目:夕方 東第二校舎一階 廊下】

 久遠吐和子はバレーボール部のエースアタッカーとして、いわゆる体育会系の生徒との交友関係は広い。
 『親友』とまで呼べるのは嶋田来海と御陵ミリアだけだが、吐和子の人脈全体から見れば、非体育会系である二人のほうがむしろ例外的存在だ。
 そんな吐和子でも、空手部や柔道部といった武道系の面々とは、そこまで付き合いがない。体育館やグラウンドとは少し離れた場所で練習しているというのもあるし、やはりスポーツと武道とでは、色が違う。
 そして内心吐和子は、彼らに対する一種の恐れを感じていた。
 肉体を鍛え、技術を磨き、精神を高める。
 それはスポーツであろうと武道であろうと同じこと。
 しかし武道におけるそれは、突き詰めれば人を殺す術の追究だ。
 それが吐和子には理解できない。
 小中学生の頃、何度か男子が取っ組み合いの大喧嘩をするところを目の当たりにしたことがあったが、そのたび足がすくんだものだ。
『吐和子は背も高いし、その辺の男子より強いんじゃね?』
 なんて、バレー部のチームメイトが言っていたこともあったが。
 体格とか運動神経とかだけじゃない、喧嘩というのには向き不向きがある。
 人を傷つけること、人に傷つけられること、それに対する恐れというのは、たとえどれだけ体格や運動神経に恵まれようと、決して払拭できるものではないのだ。
 吐和子は、自分が殺し合いに向いていないことを理解している。
 ましてや相手は、柔道部の雄・岡部丈泰。
 鳥肌が立ち、足が震えるのを止めることはできなかった。
 それでも、吐和子が歩を進める理由。
 そして、ミリアの協力を断った理由。
 それは、来海とミリアをできるだけ危険な目に遭わせたくないからだ。
 『糸々累々(ワンダーネット)』は、確かに戦闘向きの能力だし、三人の中で身体能力が頭一つどころか二つ以上抜けている吐和子が前線に立つのは理に適っている――しかし、理に適っているというだけで、理由としてはあくまでも表向き。方便だ。
 吐和子は、可能な限り自分だけの力で戦うつもりだった。
 来海とミリアには手を汚させたくないし、当然傷ついてほしくない。
 特に、自分の身体を好きでもない男に捧げるまでしたミリアは、きっと自分や来海のために、必要とあれば身体を張り続けるだろう。
 そんなこと――自分は望んでいない。
「――そこにいるんだろ。隠れてないで出てこい」
「…………。はあ、イヤになるわぁ」
 二階へと続く階段の二、三段目に足をかけ、廊下の向こうから近付く足音に耳を傾けていた吐和子は、野太い声に促され、溜息混じりに一階へと降り立った。
 廊下の先、十数メートル離れたところに岡部丈泰が立っている。
 身長は二メートルほどあり、体格も柔道家らしい、太く鍛え上げられたもの。
 ただそこに立っているというだけで、圧を感じるほどの強靭な肉体。
 自分が着ているものより何段階もサイズが上のブレザーを着ているのに、それすらどこか窮屈そうに映る。
 丈泰は、「久遠か」と呟き、それから続けて訊ねてきた。
「お前は、どうするつもりだ?」
「……どうするって何を」
「決まってるだろ。この生徒総会でどう動くつもりかって話だ」
 堂々した口調の中に、不安や恐怖は欠片も見受けられない。
 それほど自分の強さに絶対的な自信があるのだろうか。
 だとしても、こちらが強力な『能力』を持っている可能性を考慮すれば、こうも動じずにいられるものだろうか。
 そこまで考えていないのか、それとも『能力』も強いものを持っているのか。
 岩のような存在感を放っている丈泰に気圧されないよう、吐和子は敢えて強めの口調で返した。
「そんなコトをワザワザ聞く必要があるの? 生きて帰りたいのはみんな同じ。そのためにやらなきゃいけないコトをやる。それだけっしょ」
 声の震えも体の震えも、今だけは必死に押し殺す。
 来海とミリアを守るため、自分はこの男に負けるわけにはいかない。
「……そうだな。俺も死ぬのは御免だ。生徒葬会が始まってから、色々考えた。どうにかここから脱出する方法は無いかだとか、『議長』を倒すことはできないかだとか。諦めの悪いことに、つい最近まで考えてた」
「……。今は、考えてないの?」
「……柔道部の部員たちが死んでいるのを何度も見た。俺自身も他の奴に襲われたりもした。――現実は甘くないな。だから俺は覚悟を決めたよ。お前も、生きるために俺を殺すつもりで潜んでたんだろ? 殺気を感じたよ」
 丈泰はそう言いながら、ゆっくりと腰を落としていた。
 両手を軽く開いた状態で前に出した、柔道の構えだ。
 あの自分の足の倍は太いんじゃないかと思えるほどの腕で掴まれたら、自分の力では振りほどくことは不可能だろう。
「自分で言うのもなんだけど、殺す相手にわざわざ俺を選ぶのは正気の沙汰じゃない。よほど強い『能力』を持ってると考えていいな?」
「さあ、どうだろ……手帳集める以上、選り好みばかりもしてられないし?」
 来海とミリアがいて、三人で拠点にしている場所なので無視もできないから――という理由は伏せる。
 二人の存在を露呈させないよう、あくまでも自分は単独行動であることを強調するように、吐和子は続けて言った。
「他の奴が来たらお互い面倒だろうし、さっさと終わらせよっか」
「大した自信だな。まあでも同感だ。――さっさと終わらせるぞ」
 丈泰がそう言い終わるか終わらないかのその刹那、吐和子は彼を見失った。
「!?」
 丈泰の姿が忽然と消えたように見え、混乱の中、それが彼の『能力』である可能性に思い至ったときには、丈泰は自分の数メートル前にまで迫っていた。
 その姿を見たとき、ようやく脳による視覚情報の処理が完了し、吐和子は理解した。
 丈泰は透明になったわけでも瞬間移動したわけでもない――ただ、自分の理解を超える踏み込みの速さと身のみなしで、間合いを詰めたのだ。
「柔道の試合を見たことはなさそうだな。柔道は遅くないぞ」
 丈泰はそう言いながら、吐和子めがけて腕を伸ばす。
 掴まれたら最後、凄まじい力で投げ殺されるだろう。
 しかし――
「マジで驚いたけど――なんとか『足りた』わ」
「……!」
 丈泰の目が見開かれる。
 無理もない――あと一メートルほどで吐和子に手が届くという距離で、彼の動きが止まっていた。いや、止められていた。
 丈泰は全身に力を込めて前に進もうとしているが、小刻みに体が震えるだけだ。
 やがてその目が宙に光る『それ』を捉え、丈泰は悔しげに歯ぎしりした。
「『糸』か……!」
「目、いいじゃん。ま、視力が大事なのはスポーツも格闘技も一緒か」
 丈泰の動きを止めているのは、一本一本は視認できるかできないかくらいの極細の糸。
 それらが何十本、何百本と不規則に絡み合い、折り重なり、丈泰を雁字搦めに捕らえているのだ。
 そしてその糸を、吐和子は両手で掴んで引っ張っていた。
 それにより、丈泰に絡みついた糸が緊張し、その巨体すらも止めている。
「ウチの能力、『糸々累々(ワンダーネット)』って言うんよ。目には見えないほど細い糸を口から吐ける能力。それに、その糸をハッキリ見ることができるっていうオマケ付き。蜘蛛みたいで気持ち悪いっしょ? 糸吐いた後は口ん中に髪の毛へばりついたときみたいになって気分悪いけど、アンタ止めれるくらいだしやっぱ便利だわ、コレ」
 吐和子は饒舌に語りながらも、両手にはしっかり力を込めていた。
 糸を緩めてしまっては、丈泰を拘束する力が失われてしまう――常に一定以上の力は込めておく必要がある。
 吐和子はあらかじめ、この東第二校舎の一階および外に、『糸々累々』によって吐き出した糸を縦横無尽に仕掛けていた。
 もちろん途方もない手間と時間がかかったが、来海とミリアにも協力してもらいながら、数日がかりでセッティングした大掛かりな罠だ。
 能力の効果の一環としてその糸を一本ずつでも視認できる吐和子とは違い、他の生徒はそれらの糸に気付くこともなく、東第二校舎に辿り着く頃にはかなりの量の糸がデタラメに巻き付いた状態になってしまう。
 その頃には、注意すれば辛うじて、糸が重なって太くなっている箇所には、視力や観察力が優れた人間なら気付くことができるという程度――そして気付いたところでもう遅い。
 丈泰はもはや、吐和子が張った蜘蛛の巣にかかった哀れな虫だ。
 ――しかし、そうは分かっていても、丈泰ほどの怪力の大男に対し通用するかどうかは定かではなかった。来海やミリアにかかってもらって実験はしていたが、正直女子としても非力な部類の二人に通用したところで屈強な男にも通用するという確信は持てない。
 そのため、どうにか丈泰の動きを止めることができて、吐和子は心底安堵していた。
「悪いけど、ウチはここで死ぬわけにはいかないんよ。岡部――何か言い残したいこととかある?」
「……言い残したいことか。それを伝えたお前が生き残れるとも限らないだろ」
「言えてるね。でも、ウチは本気で生きて帰るつもりだから。アンタもそうだったんだろうけど」
 丈泰とはただの同級生であり、友人ではなかった。
 しかし、クラスメイトだったこともあるし、話したことがまったくなかったわけでもない。
 少なからず見知った顔の同級生を手にかける抵抗が、無いわけではない。
 むしろ、できることなら人殺しなんてせずにいたい。
 それでも、来海とミリアと共に生きて帰るために、自分はここで丈泰を殺さなければならない。
 吐和子は、糸を掴んでいる指が汗ばんでいるのを感じながら、丈泰に告げた。
「言い残すことがないなら、もう終わりにするよ」
「……言い残すことなんて無いな。そんなもの――死ぬまでない!」
 丈泰は、その台詞と共に――両腕を、持ち上げていた。
「!?」
 なんで動ける――その疑問が脳裏に浮かんだときには、吐和子は浮遊感に見舞われていた。
 両足が廊下の床から離れ、宙に浮いている。
 そして、丈泰のほうに思い切り引き寄せられている。
 今度こそ丈泰の『能力』か、と思ったが――そうではなかった。
 丈泰は、持ち上げた両手で、自分に絡みつく糸を掴んでいる。
 数ある糸の中でも、吐和子の手に直接続いている、主軸の糸を。
「なっ――!?」
「すべての糸は見えなくても、お前の手の位置と縛られてる感触で、メインの糸がどこにあるかは大体分かった。それに、やっぱり全力を出せば動かせる程度だったな。少し力を込めてみて予想した通りだ」
 丈泰は冷静にそう呟く。
 まさか――糸に囚われて身動き取れない状態に陥ったはずが、実際にはまだ糸が足りなかったのか。
 一度動きは止めたものの、丈泰はいつでも再び動けたのだ。
 少なくとも、両腕を持ち上げて糸を掴み、引っ張るという動作はできた。
 それを、こちらに隙を生じさせるために動けないかのように装っていた……!
「久遠、何か言い残すことはあるか?」
「ふ、ふざけ――」
 声を荒げかけて、凍りつく。
 丈泰はいつの間にか、糸から手を離し、吐和子の胸倉と袖とをそれぞれの手で掴んでいた。
 たったそれだけで、『糸々累々』による拘束と同等の強固さだ。
 吐和子は、数秒後に己に訪れる結果を予期し、目を見開き――その直後には、吐和子の視界は反転した。
 凄まじい力で投げられたということを、頭の片隅で理解する。
 そしてその事実に対して、何かを考えたり思ったりする暇すらなく。
 吐和子は、硬いリノリウムの廊下に叩き落されていた。

       

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