Neetel Inside 文芸新都
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第3話 波動

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第3話 波動
第3話

 遠足が終わった次の週、学校に行ったらかなえちゃんの様子がいつもと違うのに気付いた。
「おはよう」
「……うん」
 違和感があった。いつもならもっと明るく返してくれるんだけどな。わたしはつい首を傾げてしまった。疲れているのかもしれない。かなえちゃんは普段から世話焼きで色々なことをしているから、遠足でも自然とクラスのまとめ役を担っていたのだ。
 疲れない人間なんていないと思うし、誰だってこんなテンションのときはあるだろう――そう頭の中で整理して、わたしは一時間目の算数の準備を始めた。

 体育の時間が嫌いだった。というか体育の時間の前と後が嫌いだった。幼稚園の頃は昼寝の前と後も嫌いだった。とにかく着替えが遅いのだった。
 わたしは母親から教えられたとおり、服にしわを作らないよう、脱いだ服を丁寧に折り畳むようにしていた。ずっとそうだった。意外だったのはみんながそうしていないことだ。脱いだ服は雑に机の上に放り投げて一目散に校庭や体育館へ駆け出していく、みんな。わたしもそれに合わせればいいのかも、と思うことも度々あったがそう出来ないまま小学五年生まできてしまっていた。今更合わせられない。
 体育の時間の開始を告げるベルが鳴っても、わたしはまだ服を折っていた。ようやく終わり、さて校庭に向かおうと教室の出入口に目を移すと、そこにかなえちゃんが立っていた。当然ながら体操着へのフォームチェンジは完璧に済んでいた。
「かなえちゃんどうしたの? 待ってくれてたの?」
「…………」
「いいのにー。いつも遅いし最後の一人になるのは慣れっこだから気にしなくてさ」
「それは別に気にしてないんだけど……ねえ、所さん」
 突然苗字で呼ばれたからビックリした。いつもならすずねちゃんとかすーちゃんとか呼ばれるから、いまいち自分の中でピンとこない感じがした。
「……あの豆、なんだったの?」
「豆? あぁ、あのバスの中で交換した? チョコ棒美味しかったけど、豆も悪くなかったでしょ?」
 わたしはあの豆がけっこう好きだ。家には母親がたくさん買っているから在庫がたんまりある。かなえちゃんからもっと欲しいって言われたらたくさんあげてもいいか、母親に聞いてみようと思っていた。
「もっと欲しい?」
「ううん――要らない」
「……美味しくなかった?」
「もう二度と、要らない」
「え、そ、そうなんだ」
「あの豆、なんだったの? あたし、家に帰って食べ終わった袋見られたら、お母さんから叱られたんだよ。なんで怒ったのか、理由は教えてくれなかったんだけど……」
「え、ほ、ほんと? なんか、ごめんなさい」
「別にいいけど……よく分かんないことで怒られるのって気分悪いよね。元はと言えば交換しよって言ったのはあたしの方だからこっちが悪いんだけどさ。でもなんか、スッキリしなくて」
「そうだよね、ごめんね」
「いいけど。分からないならいいよ」
 ごめんね、足止めしちゃって。早く授業いこ! そう言って走り出す時のかなえちゃんの表情はすっかり元に戻っていたので、わたしも少し安心していた。

 波動という言葉を聞いたのは、いつかちゃんの家に行ったときだった。
 いつかちゃんの家は街の少し外れの方にあって、そこは同じような見た目の背の低い家がひしめき合っていた。どれも色褪せている建物だった。
 木の板で出来た玄関ドアを開けると、すぐに廊下があって、一直線に五歩歩いたら居間のようだった。今の隣の部屋の襖はしっかり閉じられていた。
 座って、と言われたので座布団の敷いてあるところに座った。いつかちゃんのお腹くらいの高さの冷蔵庫から麦茶か何かが入ったポットが出されて、透明なガラスのコップに中身が注がれた。コップにはよく知っているオレンジジュースのロゴが印されていた。口をつけてみると、麦茶ではない何かのようだった。ただ、まずくはない。
 わたしがお茶を飲んでいる間、いつかちゃんは何を話すでもなく、こたつテーブルの上に置かれていた本を開いて読み始めた。視線は本に集中している。目だけじゃなく、たぶん意識も。この瞬間、いつかちゃんは私がここにいるということを忘れたのかもしれない。それか、考えないようにしているのかも。とにかく集中したいんだろうということを理解して、わたしはいつかちゃんが読んでいる本の表紙や背表紙を凝視した。背表紙はよく分からない言葉で書かれているけど、小さく日本語も添えられていた。ただ、なんで書いてあるかは部屋が暗いせいもあって確認できなかった。表紙は、たくさんの人が同じ方向に向かって、いつかちゃんが公園で普段しているような格好で並んでいるカラー写真だった。
 わたしは内心感動していた。いつかちゃんはきちんとこうして勉強した上でああしているんだ、と。他の人からは理解されないとしても、わたしはいつかちゃんの姿が地面と一つになっているように見える姿勢の良さは美しいと思う。まじめでなければああはできない。そして、そのまじめさはたった今証明された。いつかちゃんは勉強家だ。
「今までも色々な人が声をかけてはどこかにいなくなっていったけど……」
「うん」
 突然いつかちゃんが話し始めた。なるべくなんでもないように聞こえるように努力したけど、わたしは内心喜んでいた。
「たまに、砂をかけられたり、ひどい時は蹴られたりすることもあったけど」
「ひどっ! 信じられない!」
「……ついてきたいって言ったのは、あなただけだよ」
「マジで?」
「マジよ。ねえ、あなた――名前は」
 ああ、しまった! わたし、いつかちゃんに名前を伝えていなかった。わたしから声をかけておいて名乗らないとは、どれだけ緊張していたのか。
「ごめんなさい! 所すずね!」
「すずねちゃん。すずねちゃん」
 いつかちゃんの声で名前を呼ばれた。それも、二回もだ。耳が「気持ちいい」と言っている。わたしはいつかちゃんのことが好きだ。
「ねえ、“波動”って聞いたことある」
「波動?」
 さっぱりだった。

       

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